なるほどSOKA みんなで学ぶ学会の歴史(少年少女きぼう新聞2024年1月号)2024年1月4日
- 第10回 1月2日 池田先生の誕生日
- 私は嬉しい。君たちがいるから
人々の心に、勇気と希望とはげましを送り続ける人生を歩んだ池田先生。その心を受けつぐみなさんこそ、未来を明るく照らす存在です
1928年1月2日。今の東京都大田区の入新井という場所にあった池田家に、5番目の男の子が生まれました。のちの、池田大作先生です。
池田家は先祖代々、東京湾の大森海岸一帯で、のり作りをしていました。このころの大森海岸は砂浜が広がる、のどかな漁村でした。
先生が生まれる5年前には関東大震災が起き、それ以来、のりがあまり育たなくなっていました。
池田先生が小学2年生の時には、お父さんが病気で寝たきりになります。先生も夜明け前から起きて冷たい海でのりを取る手伝いをし、6年生から3年間は新聞配達をして、一家の暮らしを助けました。
しかし、日本はまもなく戦争につき進み、米軍の空襲で池田家も家を焼かれます。先生が大好きだった一番上のお兄さんは、遠いビルマ(今のミャンマー)で戦死しました。
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戦争が終わって3年目の夏、先生は戸田城聖先生に出会いました。戦争中も信念をつらぬき、牢に入っていた人です。「この人なら信じられる!」。そう感じた池田先生は創価学会に入り、やがて戸田先生のもとで働くようになりました。
戸田先生が創価学会の第2代会長になると、先生は戸田先生の心を心として、あの地でもこの地でも人々をはげまし続けました。
そして、1960年5月には、32歳の若さで池田先生が学会の第3代会長になります。先生は日本だけでなく世界各国をかけめぐりました。
各国に地区や支部が誕生し、やがて世界192カ国・地域に広がる創価学会インタナショナルへと発展します。池田先生によって、日蓮大聖人の正義の仏法が、今や世界のすみずみにまで広まったのです。
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先生はまた、平和・文化・教育のため、民音や東京富士美術館、創価学園、創価大学、アメリカ創価大学なども創立しました。
千人を超える世界の指導者や学者たちと対話し、世界平和への道を真けんに切り開いてきました。
さらに小説『人間革命』『新・人間革命』のほか、対談集や詩集など、たくさんの本を出して、人々をはげまし続けてきました。
広宣流布とは、全人類を幸福にしていくことです。それは、一人の一生の時間でできることではありません。だからこそ、弟子が師匠と心を合わせ、師匠と同じ誓いを胸に、あとに続いていくのです。
2023年11月15日、池田先生は95歳の尊い生涯をとじました。その池田先生の心を受けついで、次の100年を開いていくのがみんなの使命なのです。
かつて、先生は未来部のメンバーに、こうつづりました。
私は嬉しい。
君たちがいるから。
私は楽しい。
君たちがいるから。
私は幸せである。
君たちがいるから。
■クイズ
若き日の池田先生は、人生の意義を深めるため、あることを続けていました。のちに戸田先生のもとでも、けんめいに取り組んだことは何でしょう?
答え:読書
【文】ひがし しんぺい 【絵】間瀬 健治