新春教学随想――Buddhism Essay2024年1月1日

  • 御書研さんは世界同時進行!

石田 男子部教学部長

互いの心つなぐ仏法の探究

 池田先生が随筆で「世界教学の年」と、たたえてくださった昨年、60以上の国と地域で教学試験が実施され、7万人以上が受験しました。
 「“私たちは、皆が地涌の菩薩”との法理は驚きでした! 苦悩は全部、誰かを勇気づける力に変わるんですね」(台湾)、「仏法の哲学を学び、人生の指針として心に刻みました」(ベネズエラ)など、多くの喜びの声が寄せられました。
 4年前、新型コロナウイルス感染症が広がり、世界が“孤立と分断”に襲われた時も、創価の友はオンラインを活用するなど、工夫して御書を学び続けました。マレーシアでは、御書講義や『法華経の智慧』を学習する短編動画を配信。南アフリカでは、“今こそ学ぶ時!”と、「立正安国論」をひもといたそうです。
 仏法の英知の探究は、物理的な距離を超えて人と人とを結び、苦境を乗り越える力となっているのです。

等身大の言葉で

 昨年、フィリピンでの教学研修会に参加しました。
 特に、初めて開催された「未来部講義」では、思春期にコロナ禍で制限された生活を送ってきた未来部員が、真剣に講義に臨む姿が印象的でした。元気よく御文を拝読する声に、苦難を信心で乗り越えようとする求道の息吹を感じました。
 講義は公用語の英語に通訳していただきました。しかし、フィリピンの中高生にとっては、英語は外国語のため、耳で聞くだけでは理解しづらいこともあるそうです。そこで、スタッフの方が事前に、視覚的にも分かりやすいようにスライドにまとめ、スクリーンに表示してくださいました。
 また、未来部員からの質問に答えることはもちろん、逆にこちらから質問を投げかけるなど、一方的な講義ではなく、双方向の“語らい”も。御書の深い哲学に触れ、「目がさめるような思いがしました」と、さらなる挑戦を決意したメンバーもいました。
 日本でも同様です。男子部では語り合いを大切にする教学運動「ブディスタ」を推進。青年部サイト「soka youth media」の記事等を活用し、等身大の言葉で語らうことを心がけています。身近な言葉で御書を学ぶことで、信仰を深めながら、互いの心と心をつなぎ、励まし合いの連帯を広げています。
 日蓮大聖人が、「この手紙を、志のある人々は寄り合ってご覧になり、よく思索し心を慰めなさい」(新1291・全961、通解)と仰せの通りです。

実践の中で学ぶ

 戸田先生は記されました。「会員一同上下新旧の差別なく之(=御書)が研究に多大の時間を当てているのである」と。
 また、池田先生は、「創価教学とは実践の教学であり、自他共の幸福を創造する生命の法理の探究である」と指導され、その通りに鎌倉時代に説かれた大聖人の教えを、現代の生活に即して分かりやすく示してくださいました。
 今や世界同時進行で友は平等に御書の精神を学び、語らっています。この“実践”の学びの中で、一人一人が人間革命の勝利のドラマをつづり広げることこそ、広宣流布であると確信します。
 私たちは、この偉大な創価の伝統をしっかりと受け継ぎ、「御書根本」「日蓮大聖人直結」の実践の教学に励んでいきます。

横井 女性部主任部長

“あなたこそ宝”と敬う生命観を

 “私たちはこれからもずっと、大好きな池田先生と一緒です!”――未来部のある会合で、富士少年希望少女合唱団が思いを込めて、学会歌「今日も元気で」の英語版である「フォーエバー・センセイ」の合唱を披露しました。全世界が池田先生への報恩感謝の題目で包まれた、昨年11月下旬のことです。
 「今こそ、みんなに元気を届けたい」との一心で、力の限り歌ったのです。
 未来部の友の“目の前の一人を大切にしたい”との真心に、深い感動を覚えました。
 「世界青年学会」は全員が主役です。私も、その一人として、池田先生と同じ心で、目の前の友に勇気と希望を送り、今いる場所から平和を広げていきたい――そう決意を新たにしました。

平和への原点

 私の“平和への原点”は、2009年、創価大学2年の時にさかのぼります。北アイルランドの首都ベルファストにある、クイーンズ大学の交換留学生として、学んだ頃のことです。
 ベルファストは、1998年の和平合意に至るまで、イギリスとアイルランドの間で、宗教的な要因等により、紛争や対立が長く続いた地域です。
 過激派によるテロなども絶えず、一般市民を含む多くの人々の命が奪われました。街には、居住地を隔てる「ピース・ウォール(平和の壁)」と呼ばれる壁が。家屋ごとに、人々は異なる国旗を掲げていました。
 争いが終わってもなお、人々を分断させる、心に残る憎悪の深さを、垣間見る思いがしました。
 そうした地域で、SGIのメンバーが、平和への真剣な祈りを重ねていました。
 「どうしてSGIに入会したのですか」と伺うと、「宗教は争いや憎しみを生むものだと思っていたけれど、この仏法は違った。御本尊に向かって、誰もが同じ題目を唱えられる。どんな国籍や人種の人も差別なく、一緒に祈れること自体が、すごいことだと感じて入会したんだよ」と、語ってくれました。
 すべての人の生命を等しく尊敬し、“共に幸福になっていける”と説く日蓮仏法は、憎しみをも超克しゆく希望に満ちた平和の哲理なのだと、胸が熱くなりました。
 あの時、私もこの仏法を弘め、平和を築いていける人になりたいと思うようになったのです。

手を取り合って

 御書には、「日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は、末法不軽菩薩なり」(新1066・全765)とあります。混乱の時代にあって、相手の仏性を信じ敬い、題目を唱え、仏法を弘めていく人は皆、尊い存在であると仰せです。池田先生は、こうした日蓮大聖人のお心を拝しながら、折々に、“あなた自身が宝の存在である”と、呼びかけてくださいました。
 誰人にも、他者を憎み、怒る生命はあります。と同時に、誰人にも、他者を慈しむ仏の生命もあります。この生命観に立ったとき、人と人は、差異に注目して互いを否定するのではなく、同じ尊い生命を具える人間として、心から敬い、手を取り合っていけるのです。
 だからこそ私たちは、目の前の友に、「あなた自身が宝なんだよ」との温かな励ましを送り、誰もが大切にされる社会を周囲から広げていきたい。そうして皆が尊い存在と輝いていった先に、真の平和が築かれていくのではないでしょうか。
 池田先生が願われた、平和な未来へ、永遠の師弟旅を歩む喜びに燃えて、進んでまいります。