おはようございます。部屋の温度は9℃。芸術は人に希望の光を与えると。いつも前向きに生きる方途を見つけよう。今日もお元気で!

 

〈ワールドトゥデイ 世界の今〉 スペインの文化芸術都市 バルセロナ2023年12月3日

歴史と現代が調和するバルセロナ。アートのような街の至る所に、人々が憩う「公共空間」が広がる

歴史と現代が調和するバルセロナ。アートのような街の至る所に、人々が憩う「公共空間」が広がる

 
 師匠を胸に生きる人生が、どれほど強く、幸せか――。世界192カ国・地域の同志が今、報恩と勝利を誓って新たな前進を開始している。文化と芸術の花開くスペイン第2の都市・バルセロナにも、師弟の誓願を原動力として、同国広布の発展に尽くすメンバーがいる。信心で磨いた人間性を発揮して、地域・社会に信頼と共感を広げる友の様子を取材した。(記事=萩本秀樹、写真=石井和夫)
 
 

師を胸に歩む「最上の人生」

 地中海地域には「最上の光」が降り注ぐと、建築家のアントニ・ガウディは言った。強すぎず、弱すぎず、ものをありのままに見せる光によって、この地に本物の芸術が栄えたのである――と。その地中海に面するスペイン・バルセロナを、ガウディ自身も活動の拠点とし、サグラダ・ファミリア聖堂をはじめとする世界的建築を残した。
 
 人にも光が必要だ。生きゆく光を信仰に求め、人生の師と出会い、祈り、励まされ、自分も人を励ます中で、ありのままの自分の内側にこそ、光の源があると知る。生命と生命で結ばれた桜梅桃李の連帯が、バルセロナに大きく広がる。

サグラダ・ファミリア聖堂

サグラダ・ファミリア聖堂

 
 ディアナ・ゴメスさん(婦人部員)は、俳優として国内外で活躍する。この道で生きようと決めたのは、20歳の頃。浮き沈みが激しい芸術界で、収入が安定せず、自己肯定感の低さから、納得のいく演技ができない時期があった。
 悩みを打ち明けた友人から、信心の話を聞いた。唱題の実践を始めたものの、疑いながらの数年間。それは「不安や疑問に覆われた、舞台での自分そのままでした」。御本尊を疑わず、自分を疑わず。大確信で祈ると、舞台でも自信を取り戻していった。
 
 入会直後の2016年、喉にポリープができ、声が出せなくなる。だが、もう自分を卑下しなかった。「病気は私の価値を下げるものではないと思えました。それどころか、これを乗り越えたらもっと良い俳優になれるはずと、歓喜の思いで手術に臨みました」
 ゴメスさんにとって、信心は、「自分の価値を認め、最大限の力を引き出してくれるもの」。コロナ禍の中で配信された、「ネットフリックス」の連続ドラマで主役を演じるなど、信心の実証も光る。明年も、さまざまな活躍の舞台が予定されている。

ディアナ・ゴメスさん

ディアナ・ゴメスさん

 
 ペルー出身のホルヘ・デ・ラ・クルスさん(方面副男子部長)は、ギタリストの夢を追って、2020年にバルセロナへ。好きで始めたギターだが、競争が激しいこの世界では、好きなギターが苦しみの種になることも。
 乗り越えられたのは、アーティストとしての「使命」を自覚できたから。「困難も、人を励ます糧になる。希望は自分でつくると教えてくれたのが仏法です」
 
 家族や友人もその変化に驚くほど、何事も前向きに受け止められるように。その姿を見て、故郷の母が信心を始め、唱題を実践していた2人の友人も、本年9月に入会を果たした。

ホルヘ・デ・ラ・クルスさん

ホルヘ・デ・ラ・クルスさん

 
 「何ができるか」と皆で祈り、知恵を出し合ったコロナ禍。それは価値創造の日々だったと、パスカル・ルイスさん(本部長)は語る。
 
 2020年2月、心臓に疾患が見つかり、手術に踏み切った。術後の数週間は声も出せないため、静養を余儀なくされた。学会活動の全てがオンラインに切り替わったのは、その頃である。
 御本尊に手を合わせ、心の中で唱題。メッセージで同志と連携を取り、一文字一文字、祈りを込めて励ましの言葉を送った。その時期があったから、「話せるようになった時の喜びはひとしおでした」。題目をあげられる。画面越しに語り合える。小さな「できること」に感謝を忘れないルイスさんを先頭に、苦難の中でも創価家族の絆は深まっていった。

パスカル・ルイスさん

パスカル・ルイスさん

 
 カルロタ・ロペスさん(女子部副本部長)は、時間を見つけてはメンバーに電話をするよう心がけた。小さな配慮や日常の声かけを欠かさないのは、コロナ禍以前からの女子部の“伝統”である。会合後は、“無事に帰った?”とメッセージを送り合う。信頼し合い、同じ目標に向かって団結する“華陽姉妹”の連帯。前へと進む原動力となった。
 
 ロペスさんが、初めて信心の話を聞いたのは2008年。家族は無神論者で、宗教には“洗脳”のイメージがあった。彼女自身も「入会には不安があった」。それでも当時、乗り越えたい悩みがあった。家族のけんかが絶えず、一度解決しても、すぐに怒りをぶつけてしまう。「宿業」だと教わった。
 ロペスさんは、疑問を全てぶつけた。どんな哲学か。組織の構造は。一つ一つの明快な説明に、納得を深めた。
 
 強く印象に残ったことが二つあった。宿命は必ず変えられるということ。そして、その変革の力は自分の内側にあるということ。入会後、その通りの体験が、ロペスさんを待っていた。
 自分次第で、環境は変えられる。この考え方が、多くの若者にも魅力に映っていると、ロペスさんは語る。

カルロタ・ロペスさん

カルロタ・ロペスさん

 
 スペインは、東は地中海、西は大西洋に面し、南はジブラルタル海峡を挟んでアフリカ大陸を望む。多様な言語と文化が出あう。国内にもさまざまな地域性があり、バルセロナがあるカタルーニャ地方をはじめ、固有の言語をもつ地域も多い。
 
 1978年に成立した現行憲法で、長く続いたカトリック教会の国教制は廃止され、「信教の自由」が保障された。一方で近年は、宗教に対して懐疑的な人が増えているという。その理由に、フランコ独裁体制(39年~75年)の影響を挙げる人は多い。
 フランコはカトリック教会との関係を重視し、特に教育においては、十字架と聖母マリアの肖像画を教室に飾ることを義務づけるなど、カトリシズムを中心に据えた。また、地方言語の使用を禁じるなど、スペインの「統一化」を進めていく。反体制的な動きは力で封じ込めた。
 
 カタルーニャをはじめ各地域に自治州が設置され、カタルーニャ語など固有の言語が州内の公用語として認められたのは、フランコが死去し、78年に憲法が成立した後のことである。民主化後も、抑圧と弾圧の歴史は暗い影を落とし、多くの人にとって、宗教への負のイメージと重なっている。

グエル公園

グエル公園

 
 ベルナット・アグリョさん(地区部長)は、1980年にバルセロナで生まれた。7歳上の兄は、カタルーニャの名前を付けられなかった。その兄と5歳上の姉は、カトリック教会の洗礼を受けたが、アグリョさんは受けていない。時代の移り目に幼少期を過ごした。
 東京の大学院に在学中、現在の妻から折伏を受けた。連れられるがまま、座談会や男子部の会合へ。何でも言い合える雰囲気に、宗教のイメージが変わった。
 
 結婚後、バルセロナに帰郷。フリーランスのエンジニアとしていくつもの企業と関わる。以前の自分は、立場や経歴で人を見がちだった。「でも信心を通して、どの大学を出たか、どれだけ仕事ができるか以上に、『心』が大切だと思うようになりました」
 大きな苦労を抱えてなお、他者の幸福に尽くす人がいる。心から尊敬できる人たちに出会える学会は、「自分を磨く最高の場所」とアグリョさんは言う。

ベルナット・アグリョさん

ベルナット・アグリョさん

 
「振る舞い」で信頼を広げる

 90年代初頭、スペインでは、広布破壊の謀略の嵐が吹き荒れた。渦中の91年6月、池田大作先生はヨーロッパ訪問の折、スペインのメンバーを真心から励ました。その後も、「正しいからこそ、勝たねばならない」と万感の激励を。師の心を抱き締めて、“新生スペイン”は船出した。
 
 同じ頃、スペイン社会も大きく変わろうとしていた。市民による宗教間対話の取り組みが、バルセロナを中心に始まったのである。宗教の多様性を尊重し、異文化間の理解を促進する挑戦だった。
 こうした取り組みに、スペインSGI(当時)は当初から関わってきた。2004年にバルセロナで開かれた「世界宗教会議」では、SGIが議長団体を務めている。
 
 長年、宗教間対話に参加してきたセバスティア・ビラノバさん(方面長)は、「最初は何もかもが手探りでした」と述懐する。他宗教の人たちと、どう接し、何を語り合えばいいのか。試行錯誤の連続の中で、回を重ねていった。
 何度も深めた池田先生の指針に、こうある。
 
 「人間の安心立命、民衆の幸福と平和こそ、本来、あらゆる宗教の目指すものである」「それぞれの異なった教義の中には、人間の幸福を実現するための何らかの洞察と真実が含まれている。現代の宗教間の対話において、それぞれの違いは違いとして認め合いつつ、各宗教の洞察と真実を学びあっていけば、人間の幸福のための宗教として、互いに錬磨していくことができるに違いない」
 
 この指針を心に刻み、ビラノバさんは意見が異なる相手であっても尊重し、学ぼうとする姿勢を貫いた。そうした振る舞いに人望は集まり、カタルーニャ仏教協会では、2007年の発足時から7年間、書記を務めた。
 その後も、スペイン社会で大きく広がる創価学会への信頼。ビラノバさんは語る。「信心で磨いた人間性を発揮して、一人一人が、社会や地域に尽くしてきた結果です。スペイン創価学会は『振る舞い』で勝った。そう強く思います」

セバスティア・ビラノバさん

セバスティア・ビラノバさん

 
 本年10月、創立570年の伝統を誇るヨーロッパの名門・バルセロナ大学に、新たに看護学部が設立された。教授陣の一人として、新設に携わったのがアンパロ・デル・ピノさん(婦人部本部長)。看護師として約30年間働いた後、同大学では学科長などを歴任。今月、アスリートのプログラムへの貢献をたたえられ、大学から表彰されるなど、医学の最前線で奮闘する。

アンパロ・デル・ピノさん

アンパロ・デル・ピノさん

 
 幼少期から、看護の世界に興味があった。人の生命は何より尊いはずなのに、世界では戦争や暴力が絶えない。人のエンパワーメント(能力開花)を教える仏法に、「これこそ求めていた生命哲学だ」と確信した。
 
 1998年に入会。当時、35歳。苦学して看護師の免許も取り、“もう十分頑張った”と思っていた。だが、信心を始め、“妙法のナイチンゲールに”との看護師に対する池田先生の心に触れ、夢がどんどんと膨らんでいく。新たに精神看護学を学び、心理学も学んだ。博士号の取得を目指し、奨学金を得て海外での研究も。仕事との両立の中で、全てをやり抜いた。
 
 ぼんやりと描いていた看護の道が、使命に導かれて壮大に広がっていった。前途をともし続けたのは、師弟の光。博士論文をもとに出版した書籍の冒頭には、池田先生の詩を載せた。
 「これほど幸せな人生はありません。だから私は、誇りをもって創価学会員であることを語り、池田先生の偉大さを伝えるんです」とデル・ピノさん。
 
 師と共に歩む「最上の人生」――バルセロナ、そして世界の友の実感である。

バルセロナで広布の使命に生きるスペイン創価学会の友。「アレグリア(歓喜)」の心で世界青年学会へ先駆する(本年9月、バルセロナ市内で)

バルセロナで広布の使命に生きるスペイン創価学会の友。「アレグリア(歓喜)」の心で世界青年学会へ先駆する(本年9月、バルセロナ市内で)

 
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