おはようございます。部屋の温度は14℃。池田先生を生涯の師匠とされ、インドに大学を設立。素晴らしい人がいるもんだ。先生の思想を我が生き方へと。我らも負けずに師弟不二の道を行こう。今日もお元気で!

 

なぜインドに「創価池田女子大学」を開学したのか?――セトゥ・クマナン議長に聞く2023年11月17日

11・18「創価学会創立の日」記念インタビュー

 池田大作先生を師と仰ぎ、インド・チェンナイに「創価池田女子大学」を設立したセトゥ・クマナン議長。師との出会いから四半世紀を経て、創価の教育哲学や師弟の精神の広がりを、どう見つめているのか。同大学を訪ね、インタビューしました。(聞き手=小野顕一)

 〈2000年に創価池田女子大学が開学し、24年目を迎えました。チェンナイを代表する名門マドラス大学のカレッジとして18学部を有し、卒業生は6000人を超えたそうですね〉
   
 海外で市民権を得て活躍する人もいれば、パイロットの夢をかなえた人もいます。
 1期生からは大学教授も誕生しました。彼女は学費の捻出が難しく、無償で教育を受けた一人です。
  
 インド出身の若者が名だたるIT企業でグローバルに活躍する様子が取り上げられ、国中に教育が行き届いている印象も抱かれがちですが、児童の義務教育が制定されたのは2009年のことで、現在の大学進学率は28%ほど。
 特に農村地域で女子教育への偏見は依然として根強く、女性は家の手伝いをして、早く子を産み、家族に尽くすべきだとの考えが残っています。
 

さわやかにあいさつを交わす。語らいの輪はキャンパスのあちこちで

さわやかにあいさつを交わす。語らいの輪はキャンパスのあちこちで

 ある学生の父親が、高等教育は女性に悪影響を及ぼすと主張し、娘の大学進学をやめさせようと訴訟を起こしたこともありました。
 何度も対話を重ねて、納得してもらうことができました。卒業後、彼女は有名な歌手となり、テレビにもよく登場しています。
 育児に励みながら、音楽研究の博士課程にも在籍し、今では彼女の選択を父親も祝福してくれています。
  
 こんな人生を誰が想像できたでしょうか。「教育」によって彼女の未来は開かれたのです。
 教育は、この一生の可能性を最大限に引き出すためにあるのです。
   

大学名に「創価池田」と掲げた理由とは

 〈なぜ大学名に「創価池田」と掲げたのですか?〉
   
 私が池田先生を知ったきっかけは「母」の詩でした。
  
 世界詩歌協会創立者であるクリシュナ・スリニバス博士から頂いた書籍で「母」を読み、雷光を目にしたような衝撃を受けたのです。
 
 母の姿が浮かびました。家畜の乳搾りをして学費を工面してくれた母です。
  
 私は詩人です。
 各国で詩人の集いに参加してきましたが、これほど感銘を受けた詩は初めてでした。
 “この詩人にいつか会いたい”と願うようになりました。
  
 1996年に日本での世界詩人会議に出席した折、創価大学を訪問することができ、そこで初めて、池田先生が詩人だけでなく、いくつもの教育機関を創立した教育者であることを知ったのです。
 仏法指導者、平和運動家としても著名であると伺い、「創価」が「価値創造」の意味であり、SGIが仏法を基調とした団体であることを知りました。
 
 創価女子短期大学の見学を終えた時、空には大きな虹が懸かっていました。
 この時、インドの地に池田先生の名を冠した女子大学をつくろうと決めたのです。
   
 「教育は私の最後の事業」「21世紀を女性の世紀に」との先生の精神に基づき、私は「創価」と「池田」の二つの名を大学に冠することを願い出て、快諾していただくことができました。
  
 女性が教育を受けることで、家庭にも地域にも、そして次世代にも良い影響が広がります。
 ただ貧しい地域では、女性が高等教育を受ける機会が限られます。学校に通うため都会に出ることも難しい。ですので、あえて都市部から離れた地域に大学を設立しました。
  
 チェンナイは1961年に池田先生がインドを初訪問された際、その第一歩を印された地です。
 この地に建設した意義が時と共に高まると信じています。
  

 創価池田女子大学の学生が歌う「母」の動画はこちらから

 〈大学の設立に当たって、苦労されたことは何でしょうか〉
   
 まず資金が十分ではありませんでした。自宅を抵当に入れて資金集めに奔走しました。
 さらに、親戚や友人から設立を反対されました。なぜ日本人の名を掲げる必要があるのか。やめた方がいいと忠告されたのです。
  
 「創価」の意味や「池田大作」という人物について、設立の認可を申請した当局や学位授与の提携を要請した大学から繰り返し質問を受けました。
 
 今、振り返っても、本当に苦しい時でした。でも、ひるみませんでした。
 できることは限られていますが、私は教育の分野で先生との誓いを果たす。自らの行動で先生の偉大さを証明してみせると決意していたのです。
 
 当時、私が抱き締めていた先生の指針があります。
 “一人決然と立つ時、その胸中の思いは普遍の真実となって全世界に伝わっていく”という言葉です。
 

創価池田女子大学の正面玄関

創価池田女子大学の正面玄関

 私は関係者一人一人に会い、「なぜ今、池田先生という人物が必要とされているのか」を、忍耐と誠実をもって訴えました。
 
 徐々に支援者が増え、ようやく資金の目途がつきました。土地を取得することもできました。
 レンガを無償で提供してくれる人、後払いでいいからと資材を手配してくれる人、破格の工賃で建設作業を請け負ってくれる人……。中には「いつか、この創価池田女子大学が必ず有名になるよ」と、励まし続けてくれた人もいました。忘れられません。
 
 大勢の方々の協力を得て、2000年8月に大学を開学することができ、翌年度から学生を校舎に迎えることができたのです。
 
 この時、私は知りました。師匠とは、弟子が一番苦しんでいる時に「力」と「幸福」を与えてくれる存在なのだと。
 大学の設立は、私が池田先生を心から尊敬している証しであると同時に、次々に直面する困難に師と共に打ち勝った証しでもあるのです。
 

なぜ池田先生を師匠に?

 〈クマナン議長と池田先生は国籍も言語も異なります。なぜ先生を師匠と定めたのですか〉
  
 創価学会員ではない私が、なぜ池田先生を師匠と決め、力を尽くしているのか。その理由は、私が先生に“生きる光明”を見いだしたからです。
  
 実は以前、私は「師匠」を探し求めて、世界中を旅していました。100を超える国を巡りました。
 友人はたくさん見つかりましたが、師といえる存在には巡りあえなかったのです。
  
 池田先生を師匠と決めたのは、先生の「詩」を読んだ瞬間です。
 詩人と詩人は、すぐに共鳴するものです。詩は、世界に隠されている美しさを明らかにするものです。魂を高揚させ、若返らせます。先生の詩は、どんな人にも分け隔てなく力を与えています。
  
 美しい詩を作る人は、世界に数え切れないほどいます。しかし、詩の創作はしても、実践の伴わない人が大半です。ですが、先生は理想のために「行動する詩人」でした。
  

授業を前に談笑が弾む

授業を前に談笑が弾む

 著名な詩人であったアブドル・カラム大統領(当時)を官邸に訪ね、先生の「母」の詩を紹介したこともありました。
 大統領は「これこそが詩のあるべき姿だ」と、「母」を3度、詠唱されたのです。「人々に幸福をもたらす、本当の詩人がここにいる」と語っていました。
 
 創価の三代の師弟は、いずれもが卓越した教育者です。
 初代会長の牧口常三郎先生は、経済的に苦しい中、女子教育の普及に多大な尽力を果たされました。
 第2代会長の戸田城聖先生は、牧口先生の教育理論を実践する私塾を開いています。
 その師と弟子の契りは、激動のさなかで受け継がれていきました。
 
 牧口先生と戸田先生は軍国主義に抵抗して投獄されました。
 牢獄で殉教された牧口先生の遺志を継ぎ、戸田先生は創価学会の再建に孤軍奮闘されます。
 学会を支える戸田先生の事業が苦境に陥った時、池田先生は夜学に通うのを断念してまで師を守りました。そして「戸田大学」で万般の学問を教授されながら、師弟のあり方を示されたのです。
 
 絶体絶命の窮地にあって師弟の究極の姿を示されたからこそ、創価の師弟は時代や国境を超越し、老若男女あらゆる人の“人生の模範”と輝いているのです。
 

「イケディアン」とは?

創価池田女子大学ではスポーツも盛ん。ユニホームには「IKEDIANS(イケディアン)」の文字が

創価池田女子大学ではスポーツも盛ん。ユニホームには「IKEDIANS(イケディアン)」の文字が

 〈ガンジーの思想を実践する人を「ガンディアン」と呼ぶように、創価池田女子大学の学生は、池田先生の思想を実践する「イケディアン」を自称しています〉
  
 イケディアンであるということは、「幸福である」ということです。
 状況に支配されるのではなく、池田先生のように積極果敢に立ち向かい、他の人をも勇気づけながら自身の問題を解決していく。
 これは人生の一つの真髄です。
 
 だから私も問題に直面した時、先生のことを思ってきました。
 自分の悩みが小さく感じられ、行動する勇気が湧きました。
 
 創価池田女子大学に入学したばかりの学生にとっては、「創価」という言葉や池田先生の存在は耳慣れないものです。なので、先生の著書を通して、その精神を学びます。
 
 1年生は『香峯子抄』(英語版)が必読書です。あれだけの世界的偉業を達成された池田先生を、どのように香峯子夫人が支えられたのか。問題をどう乗り越えるのかを、ディスカッションを通して深めるのです。
 地域や社会の問題を解決していくためには、その根本となる家庭が平和で価値的でなければなりません。
 

「母」の歌を高らかに

「母」の歌を高らかに

 『若き日の日記』(同)も反響が多くあります。
 若き日の池田先生は何を思い、何をされていたのかを学ぶ。苦境にありながらも師を守り抜くことで、人生の価値を何倍にも開いていける師弟の原理を知るのです。
 
 私は幼稚園から高校までの一貫教育を実施するセトゥ・バスカラ学園の理事長も務めています。ここでは8000人が学んでいて、「ドクター・イケダ・ブロック(池田博士校舎)」という校舎があります。
 
 学園では視覚障がいのある30人の子たちも学んでいますが、先日、その一人が、何と州で一番の成績を収めたのです。原動力は、池田先生から教わった無限の可能性を信じる心です。その思いに応えようとした時、計り知れない力が発揮されることを実感するのです。
 
 池田先生と同じように、私も全ての時間を学生の可能性を広げるために使いたいと考えています。
 ですので、創価池田女子大学に私の部屋や椅子はありません。
 学生や生徒の元にとにかく足を運び、対話をします。師匠の間断のない行動に少しでも近づければ、弟子として本望です。
 
 今、振り返ると、大学の開学には多くの困難がありました。しかし、思い返してみれば、わずか6カ月で校舎の完成にこぎ着けました。
 全て、師匠にお応えしようとする中で達成したことです。先生の心に即座に反応しようとすれば、必ずことは成就するのです。
 

池田先生と握手を交わすクマナン議長(2001年9月、東京・小平市の創価学園で)

池田先生と握手を交わすクマナン議長(2001年9月、東京・小平市の創価学園で)

目覚めるたびに希望が

 私は、教育を通じて、自分にできるベストを尽くしていこうと考えています。
 
 創価池田女子大学と同じ州内に約30万坪の土地を取得し、2015年に「セトゥ・バスカラ農業大学」を創立しました。これまで5万本以上の木を植樹し、敷地内には「池田博士森林公園」が広がっています。
 
 この地域は私の故郷でもあります。
 教育の力で地域の生活を豊かにするとともに、環境に配慮した先進的な農法を研究し、地球環境に貢献する人材を育成していきたいと考えています。
 
 これは、先生が折々に発表してこられた“環境提言”から着想を得たもので、私なりの気候変動問題への挑戦です。そうして行動を積み重ねた結果、気温がほんのわずかでも下がるかもしれない。
 理想を描いて行動し続けるのが本物の詩人であり、弟子です。
   

創価池田女子大学の学生が向学の喜びにあふれて(チェンナイで)

創価池田女子大学の学生が向学の喜びにあふれて(チェンナイで)

 〈池田先生を師匠に抱かれ、四半世紀が経ちます〉
   
 私はうれしいんです。師のおっしゃる通りに結果を示せることが。今日も師に付いていけることが。
 
 毎朝、目が覚めるたびに先生は希望と幸せを与えてくれます。先生の一言一言から活力をもらいます。
 
 池田先生の心を携えて学生に会えば、それが伝わって、みんなが心を弾ませるんです。「師匠にお応えしたい。今日も何かを成し遂げたい」と。
 
 先生は世界の師匠です。先生を師と仰ぐ世界の数百万人の一人であることが、私の人生の誇りなのです。
 

「イケディアン・世界友好の日」の集いで、成長を誓い合う(本年2月27日、創価池田女子大学で)

「イケディアン・世界友好の日」の集いで、成長を誓い合う(本年2月27日、創価池田女子大学で)

 Sethu Kumanan 1961年、インドのタミル・ナードゥ州生まれ。詩人。マドゥライ・カーマラージャル大学卒業。セトゥ・バスカラ学園の理事長。創価池田女子大学の設立に尽力。同大学の議長を務める。

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