〈信仰体験〉 “赤い球体の引力”で人生一変2023年11月14日

  • 命育み わが心田耕す

しびれるような喜びは最善を尽くした者のみに与えられる贈り物――木村さんは、午前6時から午後6時まで息つく間もなく、選果、収穫に大わらわだ

しびれるような喜びは最善を尽くした者のみに与えられる贈り物――木村さんは、午前6時から午後6時まで息つく間もなく、選果、収穫に大わらわだ

 【青森県鰺ケ沢町】かのニュートンに「万有引力の発見」をもたらすなど、人類史上、あまたのエポックメーキング(画期的出来事)の奇縁となり、そのキーアイテムとして古今東西の物語を紡いできた赤い球体、リンゴ。日本海に面した北国の町にも、この球体と出あい、流れに身を任せる生き方から、“挑戦の人生”へと、転換を遂げた人物がいる。木村伸児さん(45)=地区部長=その人だ。

鰺ケ沢町で屈指の広さを誇る敷地には、鈴なりの“紅”が輝く

鰺ケ沢町で屈指の広さを誇る敷地には、鈴なりの“紅”が輝く

「もぐ」至福のひととき

 初秋の某日。まだ緑がかった色づく前のリンゴ畑では、ここ、そこ、あそこで、無数の赤とんぼが戯れていた。

 その姿が畑から見られなくなる頃には、まるでトンボたちからの“置き土産”とばかりに、赤化粧を施した、鈴なりの果実が輝きを放ち始める。

 「青くても赤くても、実はリンゴの味は、あんまり変わらないけれど、やっぱり、リンゴは赤いのがいいべな」

 目を細めて、うれしそうに語る木村さん。

 それゆえ、満遍なく、きれいに色づけするための仕上げとなる「葉摘み」には余念がない。

 1万坪を優に超す広さは、鰺ケ沢では屈指の規模を誇る。

 この広い畑を、家族3人で切り盛りする。春が過ぎると、毎日が時間との勝負だ。

 「うちのリンゴたち、みーんな親孝行でよくなってくれる。だけどさ、畝が長くてね。この年になると、こればっかりは、こたえるのよ(笑)」

 父・与志光さん(72)=副本部長=と母・佳子さん(68)=白ゆり長=は口をそろえる。

収穫最盛期は時間との勝負。あうんの呼吸が光る

収穫最盛期は時間との勝負。あうんの呼吸が光る

 早生種のリンゴは取り終わり、11月に入り、栽培の柱「ふじ」「サンふじ」は、今が収穫の最盛期。

 年によっては、雪が舞い降りる中での作業が続くことも。

 冬将軍との“共演”もまた、リンゴ王国・青森の風物詩だ。

 「大変だけど、リンゴを“もぐ”時が何ともいえねえ。この充実感は、やっぱり育てたもんしか、分かんねえと思うよ」

 木村さんが、リンゴ栽培へ足を踏み入れたのは、創価学会の信心に目覚めた頃のこと。

 リンゴという“命”を育てることと、自身の“心田”を耕すこととは、同じ軌跡をたどってきた相即不離の関係にある。

見つけた「生きる喜び」

 約60年前、木村さんの祖父と父・与志光さんが、鰺ケ沢でリンゴ栽培の一粒種として、挑戦を始めた。

 この頃、一家で創価学会に入会した。

 周囲にリンゴ農家はいない。苗木の生育や土壌・堆肥の研究、剪定、葉摘みなど、“トライ・アンド・エラー”で学んだ。

 木村さんの誕生と時を同じくして、十分な収穫ができるように。その後も、父は研究・改良に没頭した。

 しかし、脅威は「風」。落果すると、畑は赤いじゅうたんを敷いたようになってしまう。自然との戦いに際限はない。

 「伸び伸びと育ってくれればいい」との教育方針のもと、木村さんが、畑仕事を手伝うことはなかった。

 家業に入るなど、夢にも思わなかった。

 18歳で農機具メーカーへ。その後、建設業に転職。護岸・道路工事など、汗にまみれて働いた。

木村さんが今もなお、その背中を追い続ける存在の父・与志光さん

木村さんが今もなお、その背中を追い続ける存在の父・与志光さん

母・佳子さんの屈託のない笑顔は、いつも家族に癒やしと挑戦への意欲を与えてくれる

母・佳子さんの屈託のない笑顔は、いつも家族に癒やしと挑戦への意欲を与えてくれる

 創価学会の看板を町内に掲げ、農業で実証を示そうと、純粋に生きる父と母。かたや、木村さんは信仰には消極的だった。

 男子部の先輩が訪ねてきても、何かと理由をつけては門前払い。

 “青春は今しかない。遊びも人生の肥やしだ”

 しかし、先輩の誠実さに根負けし、学会活動に励むように。ある会合で紹介していた、池田先生の言葉が心に響いた。

 「どこまでも『誠意』です。全身全霊の『情熱』です」「それでこそ、人々の心を大きく動かしていくことができる」

 この時から、木村さんの人生の歯車が、少しずつ回り出した。

 同志を励ますと、自分の心も豊かになれた。

 本当の充実とは、“誰かのために尽くすこと”にある。そう感じるようになった。

 ちょうど、30歳を過ぎていた。

 その頃、父が畑ではしごから落ち、左踵を骨折した。

 父の代わりに手伝うと、味わったことのない充実感を覚えた。

 命を育む喜び――幼い頃に見た、畑仕事を終えた両親の晴れやかな顔が思い起こされた。

 記憶の扉が開かれると、おのずと歩む道は決まった――。

リンゴ王国で輝き始めた3代目

「山場」見すえ突き進む

 リンゴ栽培は、勤め人の頃とは勝手がまるで違う。

 オンとオフがない。リンゴのことだけを考えるように。

 やればやるほど、奥深さを感じ、自分の父が、はるか彼方にいるように思えた。

 「オヤジから栽培のこと、何かを教わったことはないんだよね」

 “実戦”の中で学ぶしかない。刻々と変化する自然相手には、完璧なマニュアルなどないからだ。

 観察力、判断力、勘と経験……自分の身の丈に合った分しか、良い果実を育てることはできない。

 唯一、父から教わったことがある。
 一喜一憂するな。どんな局面にもたじろがず、負けない自分をつくれ――と。

 経験を積むほどに基本に徹し、「生活即信心」「栽培即信心」と自分に言い聞かせた。

 研究会に参加し、害虫や風雨の対策法などアップデートを続けている。

 「“できる限り”を精いっぱいやり尽くして、胸を張れるものを育てねばな」

 リンゴと歩んで10年余り。今、ようやく、父の背中が見えてきた。

 育てる側の信念の結晶が果実になるのだと、痛感している。

 それだけに木村さんは、心に刻んでいる池田先生の指導がある。

 「祈りは淡い夢ではない。漠然とした願望でもない。『必ずこうしてみせる!』『絶対に勝つ!』という誓いである。その深き誓願の祈りは、因果俱時なるゆえに、磁石に鉄が吸い寄せられる如く、明確に結果が出るのだ」

 木村さんも妻・亜矢子さん(46)=副白ゆり長=と力を合わせ、長女・幸芽さん(21)=池田華陽会、次女・優希奈さん(16)=高校生、長男・南斗さん(13)=中学生=にとって、誇れる存在でありたいと心に決めている。

 リンゴが紡ぐ木村さんの物語は、まだ序章。物語の山場はまだ先にある。

 そこに向かって進む主人公の瞳は、赤々と誓いの色に染まっている。