〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 幸福城部・農漁光部・社会部・専門部の友へ2023年10月11日

  • あらゆる思索を重ねて努力しよう

 1973年(昭和48年)10月24日、団地部(現・幸福城部)、農村部(現・農漁光部)、社会部、専門部の設置が発表されました。今回の連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、今年で結成50周年を迎える各部への、珠玉の指導・激励を紹介します。

「さわやかな挨拶」が大事

 私も誉れある“団地部”の一員として歴史を綴った。
 一九四九年(昭和二十四年)の五月、私は故郷・大田の大森にある「青葉荘」に住み始めた。二階建て三棟からなり、九十世帯ほど住んでいた。その三号館の一階、やや北寄りの狭い一間で、私は三年間を過ごした。事業が窮地にあった師匠戸田先生を、一心不乱にお守りした苦闘時代だ。朝早く出勤し、連日の残業と学会活動で、帰宅は深夜になるのが常であった。
 「この部屋は、本当に住んでいるのか」などと、噂されていたようだ。
 私は決意し祈った。「信心は最高の生活法だ。戸田先生の弟子として、このアパートの中で接しゆく方々を妙法の功徳で包んでいくのだ」と。
 私はいつもいつも、さわやかな挨拶を大事にした。皆、縁深き方々である。何か意味があって、このように近所におられるのだと、大切にしていった。でき得る限り、友好と親交を結ぶことを心がけた。
 やがて、私の部屋で開いた座談会にも、同じアパートや近隣の方々が参加されるようになり、そして幾人かが入会されたのである。(『池田大作全集』第135巻、58ページ)

地域が蘇生する原動力に

 (山本)伸一が、何よりも痛感していたのは、人と人との絆を固くし、強い共同体意識を育まねばならぬということであった。将来、高齢者の独り暮らしなどが増えていけば、隣近所の声かけや励まし、助け合いなどが、ますます必要不可欠なものとなるからだ。
 また、若い夫婦などの場合、育児に悩むことも少なくないが、子育てを終えた経験豊富な年代の人たちのアドバイスや協力が得られれば、どれほど大きな力になるだろうか。
 災害への対策や防犯などにおいても、行政の支援だけでなく、住民相互の協力や結束こそ、地域を支える大きな力となる。
 そのために必要なことは、同じ地域、同じ団地のなかにあって、互いに人びとのために尽くそうとする、心のネットワークづくりである。人間の心が通い合う新しいコミュニティー(共同体)の建設である。
 伸一は、その使命を、団地部のメンバーが担い立ち、社会蘇生の原動力となってほしかったのである。
 “分断された人間関係の果てにあるのは、孤独の暗夜だ。それを転ずるのが団地部だ”(小説『新・人間革命』第24巻「灯台」の章、350ページ)

私も海苔屋の息子である

 「田園の耕作は精神をも開発する」(『コルシカ憲法草案』遅塚忠躬訳、『ルソー全集』5所収、白水社)
 わが農村部の尊き友の活躍を思う時、私の心に浮かぶルソーの叫びである。
 彼は、“農業こそ人間の最も根本をなす、最も尊貴な営み”とも論じた。
 私は、全く同感である。その労苦の汗も、土にまみれた手も、断じて作物を守り育てゆかんとする魂も、何と神々しく光っていることか。
 来る日も来る年も、わが農村部の同志は大地を耕し、人間の精神を育んでこられた。
 地域の信頼の灯台として、その輝きは一段と、使命の国土を照らしてやまない。
 色心不二依正不二の大生命哲理を抱きて、「生命の世紀」の先頭に立つ、誉れの開拓者こそ、農村部だ。
 私も、海苔屋の息子である。
 一生涯、農村部、漁村部の心で生きゆくことを、誇りと思ってきた。(『池田大作全集』第134巻、433ページ)

包容力に富んだ自身築け

 農村地域が、やがて、その重要性を再評価され、脚光を浴びる時代が必ず来る――それが、(山本)伸一の未来予測であり、確信であった。
 伸一は訴えた。
 「今後、社会の関心は、農村地域に集まっていかざるを得ない。したがって、現代における農村の模範となるような、盤石な家庭を築き上げることができれば、そのご一家は、地域社会を照らす確固たる灯台となります。
 そして、そのご一家との交流を通して、妙法の種は下ろされ、広宣流布の堅固な礎が築かれていきます。ゆえに、私は、農村部の皆さんには、『地域の灯台たれ』『学会の灯台たれ』と申し上げておきたい。
 また、農村には、地域のさまざまな伝統行事や風習もあるでしょう。私たちの信心の根本は、どこまでも御本尊です。それ以外の事柄については、随方毘尼の原理に則り、社会を最大限に大切にして、知恵を働かせて、地域に友好と信頼を広げていってください。
 そして、一人ひとりが、福運を満々とたたえて、雅量と包容力に富んだ自身を築き上げていっていただきたいのであります」(小説『新・人間革命』第24巻「灯台」の章、362ページ)

未来部の夏季講習会で、参加した友と一緒に、農作業に汗を流す池田先生(1972年8月、静岡で)

未来部の夏季講習会で、参加した友と一緒に、農作業に汗を流す池田先生(1972年8月、静岡で)

「大誠実」で時代を照らせ

 社会部、専門部が誕生したのは、昭和四十八年(一九七三年)、オイルショックで、日本経済が深刻な危機に瀕していた時であった。
 私は心に決めていた。
 「価値創造」の仏法を掲げる私たちこそが、人生に勝ち、社会で勝ち、勇気と希望と智慧の偉大な光明となって、時代を照らしていこう、と。
 その深き決意で、社会の第一線で奮闘する友とともに、社会部と専門部を結成したのである。
 以来、わが同志は励ましあいながら、バブル経済崩壊後の荒波も乗り越え、勝利の実証を示してこられた。
 私が対談集を発刊した、フランスの行動する文化人アンドレ・マルロー氏は明言している。
 「大事はつねに苦境のなかで成しとげられる」(竹本忠雄『マルローとの対話』人文書院)
 乱世だからこそ、「仏法即社会」の智慧が光る。大事業を成し遂げるチャンスがある。
 さらに、「大事業というものは、きびしい誠実さの上にだけ築きあげられるもので、それ以外のなにも要求しないのである」(『カーネギー自伝』坂西志保訳、中央公論新社)とは、アメリカの鉄鋼王カーネギーの哲学であった。
 社会部、専門部の皆さんの勝利も、大誠実の勝利である。(『池田大作全集』第97巻、393ページ)

仏法は即「人の振る舞い」

 大聖人は「世間の法が仏法の全体」(全1597・新2053)と明かされた。
 この現実の社会のなかでこそ、皆が仏になっていくのだ。
 「仏法即職場」であり、「職場即仏法」である。そして、仏法は即「人の振る舞い」である。
 社会での信頼の広がりは即、仏法正義の確立となり、創価への共感の拡大となる。
 社会部、専門部の皆様が健在であれば、学会は盤石だ。
 いよいよ、創価完勝の旭日は昇り始めた。
 「戦えば戦うだけわれわれは強くなる」(『怒りについて 他一篇』茂手木元蔵訳、岩波文庫)と、ローマの哲人セネカは叫んでいる。
 どうか、皆様が色心ともに健康第一で、「創価の全権大使」として、勝利繁栄の歴史を綴りゆかれんことを、私は切に切に祈りたい。(『池田大作全集』第135巻、34ページ)

油断なく堂々と動こう!

 地道に学会活動を続ければ、必ず「福運の軌道」に入ります。
 多忙であればあるほど、そのなかを頑張って活動すれば、なおさら「福運の追い風」が吹くのです。なんと楽しいことでしょうか。なんと意義深き人生でしょうか。
 わが社会部の使命は、まことに重要であります。戸田先生は、言われました。
 「職業をよくよく大事にして、あらゆる思索を重ねて、成功するよう努力すべきである」
 「自分の勤めに、楽しみと研究とを持ち、自分の持ち場をがっちりと守る覚悟の生活が大事である」と。
 また「われら御本尊を受持する者は、その不景気を嘆くだけであってはならない。偉大な生命力を発揮して、さてどうしたら良いかと考え、かつまた苦心をなして、この苦しい経済界を切り抜けるならば、これこそ地明らかなりとも、世法を識るともいうべきであろう」と。
 大切なのは「知恵」です。「努力」です。「表現力」です。そして、その根底をなす「偉大な生命力」です。
 “仏法は真剣勝負”――これが大聖人の教えであります。ゆえに仏法者は勝たねばならない。
 仕事においても、生活においても、油断なく、堂々と、「勝つ心」「勝つ行動」「勝つ実証」を重ねてほしいのであります。(『池田大作全集』第67巻、29ページ)

※小説の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。