10月1日「青年部教学試験3級」のポイントを解説――教学座談会2023年9月23日

  • 〈出席者〉石田男子部教学部長、清水池田華陽会書記長、斉藤学生部教学室長、小川女子学生部教学室長

 10月1日(日)に「教学部初級試験・青年部教学試験3級」が実施されます。ここでは、石田男子部教学部長、清水池田華陽会書記長、斉藤学生部教学室長、小川女子学生部教学室長が、受験に当たっての心構えや学び方のポイントなどを解説します。
 

【POINT】「学習の仕方」
・御文は繰り返し音読する
・太字の表記は重要な箇所

 石田 約6年ぶりの「青年部教学試験3級」に向けて、各地で研さんが進んでいます。
 
 清水 「青年部教学試験3級」は昨年実施された「教学部任用試験(仏法入門)」と同様に「マーク方式」で行われます。
 
 小川 研さんの一助となる「教学講座」が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)の番組として配信されています。VODが利用できる会館等や、「モバイルSTB」でも視聴可能です。また、「SOKAnet会員サポート」でも配信され、スマートフォン等で視聴できます(通信料は必要)。
 
 斉藤 「立正安国論」「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」の御書2編については、御文そのものを繰り返し音読することが大切です。解説はあくまでも御文を理解するための一助です。
 
 石田 「教学入門」と「世界広布と創価学会」については、基本的な用語と理論や考え方など、「大白蓮華」7月号を学んで概要をつかんでいきたいと思います。特に太字の表記は、重要な箇所ですので、しっかり覚えていきましょう。
 
 
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【POINT】「立正安国論」
(御書新版42ページ15行目~45ページ16行目、
 御書全集31ページ1行目~33ページ4行目)
・為政者に提出された「国主諫暁の書」
・題号に込められた精神
・「一身の安堵」と「四表の静謐」

 清水 「立正安国論」は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が39歳の時、当時の実質的な最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。当時、自然災害、飢饉、疫病などが打ち続き、民衆は苦悩の底にありました。
 
 斉藤 題号の「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」と読みます。「立正」とは、人々の心に正法を確立すること。「安国」とは社会の繁栄と世界の平和を築くことを意味します。
 
 小川 本抄は誤った教えに執着する客(=北条時頼を想定)と主人(=大聖人を想定)との「10問9答」の問答形式で展開され、今回学ぶのは結論部分ともいうべきところです。
 
 清水 主人は、誤った教えへの執着を捨て真実の仏法に目覚めた客の変化を喜び、「鳩化して鷹となり、雀変じて蛤となる。悦ばしいかな、汝、蘭室の友に交わって麻畝の性と成る」(新43・全31)と語ります。そして、「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を禱るべきものか」(新44・全31)と訴えます。
 
 石田 「一身の安堵」とは、自らの幸福のこと。「四表の静謐」とは、社会の平和を意味します。個人の幸福を願うならば、社会の繁栄と平和の実現を祈っていくべきであると示されています。この一節は、為政者に対する諫暁であると同時に、私たちの仏法実践の指標となっています。
 
 清水 第9段の最後では、「汝、早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ」(新45・全32)と呼びかけられています。
 
 斉藤 「信仰の寸心を改めて」と仰せになっているのは、国土全体に及ぶ天変地異を転換する根本の方途は、私たち人間の「心」、信仰の「一念」を改めることにあるとの仰せと拝せます。全ての現実変革は、一人の人間革命に始まるのです。
 
 小川 「立正安国論」が、「主人の言葉」ではなく、客の「ただ我が信ずるのみにあらず、また他の誤りをも誡めんのみ」(新45・全33)との誓いの言葉で終わる点も重要です。「立正安国」に立ち上がる弟子が陸続と師の行動に続いていかねばならないとの、広宣流布の原理が示されています。
 

【POINT】「日女御前御返事」(御本尊相貌抄)
(御書新版2088ページ1行目~8行目、
 御書全集1244ページ9行目~14行目)
・御本尊は題目を唱える私たちの胸中に
・「信心の二字」が、無量の功力引き出す

 清水 次に「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」は、建治3年(1277年)8月23日、大聖人が56歳の時、身延から、女性門下の日女御前に送られたお手紙です。日女御前に授与された御本尊の意義と功徳を分かりやすく教えられています。
 
 斉藤 本抄で大聖人は、「この御本尊全く余所に求むることなかれ。ただ我ら衆生の法華経を持って南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり。これを九識心王真如の都とは申すなり」(新2088・全1244)と明かされます。
 
 石田 「胸中の肉団」とは、私たちの生身の生命のことです。つまり、御本尊は自分の外ではなく、題目を唱える自身の生命の中にあるということです。大聖人が顕された御本尊を持つことで、私たちの胸中の御本尊を呼び覚ますことができるのです。
 
 小川 「この御本尊もただ信心の二字におさまれり」(同)との一節も大切な箇所です。御本尊には無量の功徳が具わっており、その功力を引き出すためには「信心の二字」しかないことを教えられています。
 

SGI青年研修会の一環で行われた教学研修会。44カ国・地域から集ったメンバーが真剣に研さん(8月31日、東京・新宿区の金舞会館〈創価文化センター内〉で)

SGI青年研修会の一環で行われた教学研修会。44カ国・地域から集ったメンバーが真剣に研さん(8月31日、東京・新宿区の金舞会館〈創価文化センター内〉で)

「教学入門」の内容
①法華経
②日蓮大聖人と法華経
③一念三千
④御本尊と受持即観心
⑤地涌の使命と実践

 斉藤 「教学入門」ではまず「万人の成仏」を説き明かした大乗仏教の精髄の経典である「法華経」を解説しています。どの箇所に、どのような法理が説かれているかを把握することが大切でしょう。
 
 小川 法華経迹門(前半)では、万人成仏の原理として、「諸法実相」と「二乗作仏」が説かれています。諸法実相が説かれたことで、仏はもちろん九界の衆生を含めた十界それぞれが、本質的に全て平等であることが示されました。
 
 清水 「二乗作仏」とは、法華経以前の経典では、成仏できないとされてきた二乗(声聞と縁覚)が成仏できることを意味します。
 
 石田 本門(後半)に説かれた「久遠実成」も、法華経で示される重要な法理の一つです。これによって、釈尊が今世で初めて成仏した(始成正覚)というこれまでの考え方を打ち破り、実は五百塵点劫という非常に遠い久遠の過去に成仏して以来の永遠の仏であることが明かされました。
 
 小川 次に「地涌の菩薩」について触れます。従地涌出品第15で、釈尊が滅後の悪世の弘通を託すために呼び出した無数の菩薩のことです。大地を破って涌き出たので地涌の菩薩といい、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩安立行菩薩という4人の導師(衆生を導くリーダー)に率いられています。上行菩薩らは、如来神力品第21において、仏の滅後に真実の大法を広めることを誓うとともに、釈尊から滅後の弘教を付嘱されます。
 
 石田 大聖人は地涌の菩薩が出現する時は、滅後の中でも悪世末法であると述べています。また、釈尊から付嘱を受けて広める大法とは、「南無妙法蓮華経」であると明かされています。よって、末法の初めに出現し、自ら覚知された南無妙法蓮華経を不惜身命で弘通された大聖人こそが、地涌の菩薩、なかんずく、上行菩薩に当たります。さらに、釈尊に代わって末法の衆生を救う妙法を説かれたので「末法の教主」であるとも言えます。
 
 斉藤 「一念三千」については、その構成と意味を理解することが大切です。「一念」とは、私たち一人一人の瞬間瞬間の生命のことです。「三千」とは、「諸法」すなわち、全ての物事、あらゆる現象やはたらきをいいます。この法理は、一念に三千の諸法が具わり、一念が三千の諸法に遍く広がることを説いています。
 
 清水 自身の一念が変われば、自身を取り巻く環境も変わり、ついには世界をも変えていけるという希望と変革の原理が、一念三千の法理ですね。
 
 石田 「御本尊と受持即観心」では、御書を通して、私たちが拝する御本尊の意義と、万人の成仏を可能にした受持観心の法理を学びます。「本尊」とは、「根本として尊敬(尊崇)するもの」を意味し、信仰の根本対象をいいます。私たちが拝する御本尊は、大聖人が顕された南無妙法蓮華経の御本尊です。
 

「世界広布と創価学会」の内容
①仏教の人間主義の系譜
②日顕宗を破す

 小川 「世界広布と創価学会」では、大聖人直結の信心に立ち、仏法を世界に広げている創価学会と、広宣流布を破壊しようと魔性を現した日顕宗の違いを解説しています。
 
 石田 日顕宗では、法主が絶対であるとする「法主信仰」ともいうべき誤った信仰を根幹としています。その前提として、法主だけに流れ通う“神秘的”な血脈があるなどと主張しています。
 
 清水 しかし、大聖人は「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて、仏に成る血脈を継がしめん」(新1776・全1337)と仰せです。成仏の血脈は万人に開かれたものであることを明確に示されています。
 
 斉藤 また、「信心の血脈」(新1777・全1338)とあるように、大聖人は「血脈」とは「信心」のことであるとも仰せです。このように、ことごとく御書に違背しているのが日顕宗です。一つ一つの邪義を破折する御書を、しっかりと学びたいと思います。
 
 石田 池田先生は「教学こそ、危険千万な人生の荒海を渡るための羅針盤の大哲学なのである。教学が強くなれば、信心はさらに強くなる」とつづられています。「青年部教学試験3級」に向けた研さんを通し、信心を深めていきましょう。