〈インタビュー〉 おかやま山陽高校野球部監督 堤尚彦さん 夢は笑われるくらいでいい2023年9月17日

  • 2023夏の甲子園ベスト8
  • 東京五輪予選ジンバブエ代表監督

野球の世界普及が私の使命

 この夏の全国高校野球選手権大会で3勝してベスト8に輝いた、おかやま山陽高校。監督の堤尚彦さんは、2019年にアフリカ・ジンバブエの代表監督として東京五輪予選を戦うなど、異色の経歴の持ち主です。本年7月には、著書『アフリカから世界へ、そして甲子園へ 規格外の高校野球監督が目指す、世界普及への歩み』(東京ニュース通信社)を発刊。野球の世界普及のための活動を続ける堤さんに話を聞きました。
 

 ――著書で宣言した通り、夏の甲子園で3勝しました。その要因を教えてください。
 
 私は「信じる力」が最も大きいと思っています。どんなに負けている試合でも、流れが変わる瞬間が必ずあります。その時に、「絶対に勝つ!」と強く信じ切れるかどうか。それで試合の主導権をつかめるかが決まります。甲子園の初戦、2回戦と逆転勝ちをしましたが、劣勢の時もチーム全員が勝利を信じ切っていました。それこそ昨年からチーム皆で「甲子園で3勝する」と呪文のように唱えてきたんですよ(笑)。
 

 ――信じるために大切なことは何だとお考えですか。
 
 まずは監督である私が選手を信じることです。うちのチームでは毎春、新入生を集めてやることがあります。それは私と一斉にするじゃんけんです。最初に私がグー・チョキ・パーの何を出すかを生徒に選ばせ、必ずそれを出します。私に対してあいこか負けの子は、グラウンドを10周走るルールとします。
 
 毎回、あいこになる子が2、3人はいます。深読みして、私の言うことを信じられなかったわけです。でもその子のせいではないと思っています。これまで接してきた大人に、裏切られたりしたのでしょう。“僕は君たちを信じる。こんなじゃんけん一つも、僕は裏切らない正直なおっさんだよ”と伝えることで、子どもたちからの信頼を得るのです。
 
 そこから始めて、とことん信じ合ってきたのが、今年の3年生です。飛び抜けてうまい選手はいませんが、とにかく素直。心を開いてくれていました。その信頼関係がベースにあったから躍進できたのだと思います。
 

青年海外協力隊として

 ――堤監督の人生の転機は、大学3年の時でした。
 
 青年海外協力隊・初代野球隊員の村井洋介さんが、ジンバブエで野球を教えているのをテレビの特集で見たことです。子どもたちは目をキラキラさせ、はだしで楽しそうに野球をしていました。その光景に魅了されたのです。
 

ジンバブエで子どもたちに野球を指導する堤さん(中央、写真提供=東京ニュース通信社)

ジンバブエで子どもたちに野球を指導する堤さん(中央、写真提供=東京ニュース通信社)

 
 私も大学卒業後、隊員となってジンバブエへ。そこでは、1週間で25もの学校に教えに行くのですが、まず野球道具が満足にありません。グローブが全員に行き渡らず、キャッチボールは順番待ち。しかもすぐに道具を持って次の学校に行かなければならない。せめて道具さえ十分にあれば、もっと野球の楽しさを伝えられると思い、大学時代の仲間にお願いし、日本から古い野球道具を送ってもらうようにしました。
 
 最初のうちは“いいことをしている”と手応えを感じていましたが、すぐに自己満足だと気付きました。私がいなくなれば途絶えてしまい、継続性がない。本当に野球を普及させるなら、道具から現地で作る必要があると考えたのです。
 

ジンバブエで製作した野球道具

ジンバブエで製作した野球道具

 
 私はジンバブエの靴屋を回り、現地生産のめどをつけました。道具が多いと、資金が必要となり、経済効果が生まれます。野球が普及することで、経済が回り始める。そうすれば、雇用も増える。これが世界各地でできれば、失業問題に貢献もできる――スポーツ振興だけでなく、こうした面からも世界に野球を普及させなければと強く思ったのです。
 

アフリカの子どもが、おもちゃのボールから作ったグローブ

アフリカの子どもが、おもちゃのボールから作ったグローブ

 
 ――2006年から、おかやま山陽高校の監督となります。
 
 当初、部員は問題行動も多く、結果も出ない。何とかしなければという思いばかりが空回りし、学校の管理職から、“改善がなければ廃部もあり得る”とまで言われたのです。
 
 そんな時、妻から、あなたは型にはまり“教師っぽく”なろうとしていると指摘されたのです。図星でした。焦りばかりが先立ち、自分らしさを見失っていたのです。そこで今一度、原点を思い出し、部員と共に11年からJICA(国際協力機構)を通じた海外への中古野球道具の発送を始めました。
 
 生徒に対しても「悪さをするな」と通り一辺の注意でなく、“悪いこと以上に良いことをしよう”と発想を変えて訴えました。そうした指導は、現在の66カ条からなる部訓の基になっています。
 
 また、私がちょうど40歳になったこともあり、自分の思いをありのまま手紙に書き、生徒の前で読み上げました。野球を世界に普及させたいこと、そのために甲子園で勝つこと、「頑張れ」という言葉に価値が出る人間になってほしいということ――。甲子園を目指す意味、誰かの役に立っているという実感が、やがて結果に結びつき、勝てるチームへと変わっていったのです。
 

日本一になる。そして…

 ――今年の3年生が引退し、新チームがスタートしました。抱負を教えてください。
 
 ワクワクしないものは、絶対に実現しません。目標は日本一になって大谷翔平選手やイチローさんに、私たちの野球の普及活動を手伝ってもらうことです。今回もそうでしたが、私たちが注目されることで、仲間を増やせると思っています。
 
 今、そんなことは無理と笑いましたね(笑)。夢は笑われるくらいの方がいい。08年に私は、三つの目標を宣言しました。①プロ野球選手を輩出②甲子園出場③部員100人超えの三つです。全て達成しました。今回の甲子園3勝もそうです。
 
 おかやま山陽高校野球部の部訓を一つ紹介します。「夢は逃げない、自分が夢から逃げるだけ。夢を持つ人10000人、夢に向かって行動する人100人、やり続ける人1人」
 
 笑われてもいいから夢を持つことです。まずは真剣に思い、周囲に宣言する。そして、1日1ミリでも実現のために行動を続けることです。いつまでになるかも決めた方がいい。たとえ実現しなくても、それに似た次の夢が出てくるものです。
 

 つつみ・なおひこ 1971年、兵庫県生まれ。大学卒業後、青年海外協力隊でジンバブエに2年間滞在し野球の楽しさを教える。2006年におかやま山陽高校の監督に就任。17年夏、18年春に甲子園出場。

本年7月に発刊された著書

本年7月に発刊された著書

 
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