〈教学〉 8月度座談会拝読御書2023年8月1日

  • 四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)

拝読御文

 苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。
 いよいよ強盛の信力をいたし給え。(御書新版1554ページ7行目~9行目、御書全集1143ページ5行目~6行目)

〈池田先生の指針から〉強く大きな自分に

 現世安穏・後生善処が、法華経が説く妙法の功徳です。安穏とは、決して悩みや苦しみなど、人生の波乱がないことではありません。何があっても信心一筋に生き抜き、師子王のごとく勇敢に戦い勝っていくことです。
 「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(全1143・新1554)です。
 いかなる時も題目を唱え抜いていくこと自体が、「自受法楽」の境涯です。ですから、大聖人は金吾に、「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(同)と言い切られているのです。
 つらい時も、苦しい時も、四条金吾夫妻は大聖人のお手紙を拝し、強盛の信心で、自分の置かれている状況を悠々と見下ろしながら、師弟一体で戦い、そして見事に勝利の実証を勝ち取りました。(『世界広布新時代の指針』)
        ◇ ◇ ◇
 今は苦しみの連続かもしれない。しかし、永遠に続く楽しみなどないように、永遠に続く苦しみもない。人生には、楽もあれば、苦もある。勝つこともあれば、負けることもある。
 苦も楽もともにあるのが人生の実相である。
 だからこそ、苦しくとも、また楽しくとも、ありのままの姿で、南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさいと、大聖人は教えておられるのである。
 その人は、妙法の智慧と力によって、最高の幸福境涯となっていく。何ものにも負けない人生を生きることができるのである。
 「自受法楽」の「自受」とは、「自ら受ける」ということである。人ではない。自分自身で決まる。人に何かをしてもらったり、他から与えられるものではない。
 自分が自分で幸福をつくり、自分で幸福を味わっていく。どんな苦楽の道も、悠然と楽しんでいける強く大きな自分になっていく。それが「自受法楽」である。また、必ずそうなっていくのが、南無妙法蓮華経の力なのである。(『池田大作全集』第98巻)

祈り抜くことこそ
「自受法楽」の境涯

キーワード① 苦しい時も、楽しい時も

 「一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はありません」(新1554・全1143、通解)
 本抄の冒頭で、日蓮大聖人はそう断言されています。
 さらに、「世間の種々の難が起こってきても、とりあってはいけない。賢人や聖人でも、この留難は逃れられない」(同)と仰せです。大聖人が指摘されている通り、現実社会で生き抜く以上、苦難はつきものです。
 しかし、“祈れること以上の幸福はない”との確信があれば、何があっても、恐れることはありません。あらゆる人々にとって、唱題こそが、障魔に打ち勝ち、境涯を変革できる、最上にして唯一の方途だからです。
 拝読御文では「苦も楽もともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱え抜いていきなさい」と、教えられています。
 苦楽の波に翻弄されてしまえば、信心が揺れ動き、幸福の軌道から外れてしまいます。一喜一憂することなく、苦しい思いも、うれしい気持ちも、ありのままの姿で、御本尊にひたぶるに、題目を唱え続けることが大切なのです。
 池田先生は「生きていること自体が楽しいという絶対的な幸福境涯を築くには唱題以外にない。何があろうと唱題に徹すれば、何の心配もありません。わが身に、広大無辺の仏界の生命が開かれていくからです」とつづっています。
 自身の宿命転換も、人間革命も、日々の積み重ねの先にあります。どんな時も、「自分には御本尊がある!」との確信で、たゆまぬ唱題に挑戦していきましょう。

キーワード② 「いよいよ」の信心を

 本抄を頂いた建治2年(1276年)当時、四条金吾は悪戦苦闘の真っただ中にいました。
 この2年前、金吾は主君を折伏。しかし、日蓮大聖人に敵対する極楽寺良観の信奉者であった主君から、疎まれるように。さらに、金吾をねたむ同僚たちからは根拠のない中傷を受けていたのです。
 拝読御文では、そのような状況の金吾に、「いよいよ強盛の信力をいたし給え」と励まされています。
 金吾は、大聖人が「竜の口の法難」に遭われた時、死を覚悟で同行しました。さらに、鎌倉から佐渡流罪中の大聖人を訪ねるなど、不惜身命で師を支えてきました。
 このような模範の門下にさえ、大聖人はあえて、“今こそ、強き信心で立ち向かう時なのだ!”と、厳愛の指導を送られました。まさに、「いよいよ」の姿勢こそ一生成仏の要諦であることを大聖人は強調されたのです。
 師の仰せ通りに信仰を貫いた金吾は、後に、主君からの信頼を回復。新たな領地を受けるなど、信心の功力を証明することができました。
 池田先生は、本抄を拝して講義しています。
 「『いよいよ』です。過去ではない、『今これから』です。『信力』です。『信』は『力』です。人間のもつ最強のエネルギーなのです。信力と行力に応じて、御本尊の仏力・法力を頂戴できます」
 苦難の時に、いよいよの信心で立ち上がり、宿命や悩みを乗り越えていく。それこそが日蓮仏法を実践する、私たちの生き方なのです。