〈「学生部結成記念日」特集〉 人類照らす従藍而青の指導者に2023年6月28日

 学生部の結成記念日として刻まれる6月30日。1957年(昭和32年)の同日、東京・麻布公会堂(当時)に約500人が集い、恩師・戸田先生のもとで結成大会が行われた。この日、北海道の地で、正義の人権闘争を繰り広げていた池田先生は、“勇んで巣立ちゆけ”と大会に祝電を寄せる。学生部は、結成の日につづられた先生の闘争を魂とし、“民衆の側に立つリーダー”を輩出し続けてきた。ここでは、学生部結成以降の「6・30」にとどめられた師弟の足跡とともに、先生が贈った指針等を紹介する。

“時代は青年で決まる”――結成50周年を記念する全国学生部幹部会で、若き英才たちに期待を寄せる(2007年6月19日、東京牧口記念会館で)

“時代は青年で決まる”――結成50周年を記念する全国学生部幹部会で、若き英才たちに期待を寄せる(2007年6月19日、東京牧口記念会館で)

 
第3代会長と学生部

 結成1周年を迎えた1958年(昭和33年)6月29日、東京・目黒公会堂(当時)で、第1回学生部総会が開催された。その2カ月前、戸田先生が逝去。当時、青年部の室長だった池田先生が登壇し、確信を述べた。
 “日蓮仏法の信仰の基盤に立ち、学問に挑戦し抜いた者こそが、新時代の最高の指導者である”
 その後、学生部の総会には、「第2回」「第3回」と通し番号が付けられ、“師弟の歴史”がとどめられていく。
 第3代会長に就任後の60年(同35年)6月26日、先生は、第3回学生部総会で三つの指針を贈る。
 ①妙法を知ったわれわれは一切の文化建設に、自分自身の変革に全力を挙げていこう②青年期に力を養い、大指導者に成長してほしい③恩師の大思想を世界に宣揚し、実現してほしい
 この年、日米安全保障条約の改定への反対運動が大規模に広がった。バリケードが築かれ、授業が行われない大学もあった。
 学生部総会の3日前、新安保条約が発効し、やり場のない怒りが大学のキャンパスに渦巻く中で、先生は、学生部への明快な指針を示したのである。
 同年10月2日、先生は初の海外指導に出発する。翌61年(同36年)6月20日の第4回学生部総会では、世界広布の未来を担う学徒へ、こう自覚を促した。
 「語学を磨き、世界にたくさんの友人をつくっていただきたい」
 「皆さんが世界の人びとと、深い友情で結ばれ、そのなかで、友人の方が、皆さんの生き方に感心し、共感していくなら、自然と仏法への理解も深まっていくものです」
 この総会の参加者は約3千人。4年前の結成大会から6倍へと拡大していた。英知の連帯が社会に広がる中、学生部の総会は、先生が重大な構想を発表する場としても刻まれていく。
 64年(同39年)6月30日に行われた第7回学生部総会では、創価大学の設立構想を発表。67年(同42年)8月24日の第10回学生部総会では、ベトナム戦争の停戦や沖縄の即時返還を提言する。
 そして68年(同43年)9月8日、第11回学生部総会の壇上に立った先生は、日中国交正常化を提言。
 学生部総会で行った提案が、次々と実現していくのである。

第3回学生部総会

第3回学生部総会

 
「広布に走れ」を発表

 学生部結成から21周年を刻む1978年(昭和53年)6月、宗門の悪僧らによる理不尽な学会攻撃が続いていた。池田先生は、新学生部歌「広布に走れ」を皮切りに、学会歌を次々と作成し、勇気と希望を送る。
 「広布に走れ」の制作に当たって、学生部の幹部らにこう訴えた。
 「どんなに苦しくとも、信義のため、正義のために、“使命の走者”として、広宣流布の大道を完走してほしいんです。そのための魂の歌を、師弟の応援歌を、私は今、作っておきます」
 6月30日、東京・荒川文化会館で行われた結成21周年の記念幹部会は、「広布に走れ」の発表の場となった。先生は呼びかけた。
 「戸田先生は、青年たちに、常々、『次の学会を頼む』と、最大の期待を込めて言われていた。私は、そのお言葉通りに歩んできたつもりであります。同様に、今度は、諸君の番です。私は、万感の思いを込めて、『二十一世紀を頼む!』と申し上げておきたい」
 翌79年(同54年)4月24日、先生は苦しむ同志を守るため、第3代会長を辞任。反逆・退転者らと結託する宗門側は、先生が“会合で指導してはいけない”“聖教新聞に出てはいけない”等と要求するが、宗門の権威・権力が、師弟の金剛の絆を断ち切ることなどできなかった。
 7月1日、学生部の院生会議の初の総会が、先生の滞在する神奈川文化会館で開催され、先生は参加者と懇談し、記念のカメラに納まった。友は、師の真心に応えようと、正義の誓いを新たにする。
 82年(同57年)6月、学生部結成25周年の節目に当たって、記念の総会が行われ、先生は「若人鯱之力」「栄光桂冠詩人」等、入魂の書をしたためて贈った。奮い立った学生部は、勇気の対話に猛然と走り抜く。2年後の84年(同59年)上半期には、学生部は1万人の部員増を達成。正義の拡大の金字塔を打ち立てた。

「広布に走れ」が発表された学生部幹部会でスピーチする池田先生(1978年6月30日、東京・荒川文化会館で)

「広布に走れ」が発表された学生部幹部会でスピーチする池田先生(1978年6月30日、東京・荒川文化会館で)

 
輝く英知の使命

 その後も、「6・30」を迎えるに当たり、池田先生は、学生部の指針となる真心の励ましを送り続けてきた。
 ある時は、教学の大切さを烈々と訴えた――「日々、御書を拝することだ」「御書にふれれば、わが生命が大きく変わる。人生勝利の大確信がわく」(2001年6月「全国学生部幹部会」)
 また、ある時は和歌を贈り、平和の旗持つ後継者へ期待を寄せた。
 「天高く 世界平和の 三色旗」(09年6月「全国学生部幹部会」)
 学生部は、先生の指針を刻み、「教学実力試験」や「学生平和意識調査」なども推進。英知の使命に輝く実践を重ねている。
 昨年、学生部結成65周年の「6・30」に発表された随筆で、先生は呼びかけた。
 「学びに学んで、労苦を厭わず民衆の大地に飛び込み、平和のため、未来のために金の汗を流す従藍而青の男女学生部が、どれほど人類の希望となり、英明な大指導者と育ちゆくか。私は楽しみでならない」
 「学生部・未来部大会」の意義を込めて行われる7月の本部幹部会へ――友は誓いの実現へと駆ける。
 
 

「6・30」の軌跡と総会での主な提言

 1957年6月30日 「学生部結成大会」に祝電
  
 1958年6月29日 第1回学生部総会に出席
  
 1959年6月28日 第2回学生部総会に出席
  
 1960年6月26日 第3回学生部総会に出席
  
 1961年6月20日 第4回学生部総会に出席
  
 1964年6月30日 第7回学生部総会
 創価大学の設立構想発表
  
 1967年8月24日 第10回学生部総会
 ベトナム停戦などを提言
  
 1968年9月8日 第11回学生部総会
 日中国交正常化を提言
  
 1975年6月30日 母校・富士短期大学(現・東京富士大学)を訪問
  
 1978年6月30日 学生部歌「広布に走れ」発表
  
 1979年7月1日 神奈川文化会館で、院生会議の友と懇談
  
 1982年6月27日 結成25周年を記念して、「若人鯱之力」などの書を送る
  
 1987年6月28日 結成30周年記念総会に出席
  
 1995年6月28日 第37回学生部総会(本部幹部会)に出席
  
 2001年6月27日 全国学生部幹部会(本部幹部会)に出席
  
 2007年6月19日 結成50周年記念全国学生部幹部会(本部幹部会)に出席
  
 2009年6月16日 全国学生部幹部会(本部幹部会)に出席

富士短期大学にて

富士短期大学にて