【世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第22回 学生部結成〈上〉2023年6月7日

  • 〈出席者〉谷川主任副会長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長

「社会の『エゴの拡大』を浄化しゆく『正義の拡大』『幸福の拡大』を! その方向へと厳然とリードしていくのは諸君」――第6回学生部幹部会でスピーチする池田先生(1999年4月17日、八王子市の東京牧口記念会館で)。同幹部会の席上、ペルー国立フェデリコ・ビヤレアル大学から、先生に名誉博士号が贈られた

「社会の『エゴの拡大』を浄化しゆく『正義の拡大』『幸福の拡大』を! その方向へと厳然とリードしていくのは諸君」――第6回学生部幹部会でスピーチする池田先生(1999年4月17日、八王子市の東京牧口記念会館で)。同幹部会の席上、ペルー国立フェデリコ・ビヤレアル大学から、先生に名誉博士号が贈られた

民衆の側に立つ指導者に

 ◆先﨑 学生部は今、6月30日の「部結成記念日」、そして「学生部・未来部大会」の意義を込めて開催される7月の本部幹部会を目指し、対話・拡大に取り組んでいます。
  
 ◇谷川 1957年(昭和32年)6月30日に学生部が結成されてから、本年で66周年を迎えます。
 57年6月、北海道の夕張炭鉱で、学会が組合の統制を乱したとして、炭労(日本炭鉱労働組合)が学会員を締め出すという暴挙が起こりました。「夕張炭労事件」です。
 事件が判明した後、池田先生は北海道へ向かい、同志を鼓舞し、守り抜きました。学生部の結成式が行われたのは、池田先生が北海道で人権闘争を繰り広げていた最中の6月30日です。
 東京・麻布公会堂に約500人が集った結成式には、戸田先生が出席され、“今日、ここに集まった学生部のなかから半分は博士に、そして半分は、それぞれの分野の大指導者に!”と呼びかけます。
 池田先生は北海道の地から、電報を寄せます。
 「新しき世紀を担う秀才の集いたる学生部結成大会、おめでとう。会長先生のもとに、勇んで巣立ちゆけ」(小説『人間革命』第11巻「夕張」の章)
 学生部の出発は、池田先生の人権闘争の中で刻まれました。この歴史こそ、学生部の“不滅の原点”です。池田先生は、随筆の中で、学生部結成の意義について述べています。
 「往々にして、知性派は臆病である。学歴を持つ者に臆病な人が多い。それに対して、庶民は大胆である。勇気がある。ゆえに、まず、庶民の勇気ある土台を作り上げたうえに、知性派を組織してゆこうとは、(戸田)先生との結論であった」
 社会に目を向ければ、権威を振りかざし、民衆組織を見下す大学出身の指導者もいます。学生部の使命は権威主義と戦い、大学に行きたくても行けなかった人々のために尽くす“民衆の側に立つリーダー”の輩出にあるのです。

日中国交正常化提言が発表された第11回学生部総会(1968年9月8日、東京・日大講堂〈当時〉で)

日中国交正常化提言が発表された第11回学生部総会(1968年9月8日、東京・日大講堂〈当時〉で)

「学生部が大事」と手作りで育成

 ◆林 谷川主任副会長は、84年(同59年)から86年(同61年)にかけて学生部長を務められました。その時、胸に刻んだ先生のご指導は何でしょうか?
  
 ◇谷川 新体制発足の際、先生は学生部のリーダー一人一人の状況を聞きながら、“学生部員の成長のために全力を尽くし抜いていきなさい”と、幹部の姿勢を語られました。
 「頭が強く、体も強く、心も強いリーダーを育てたい」というのが、先生の学生部に対する強い願いでした。
 当時は、青年平和文化祭が各地で開催されていた時期です。先生はそうした機会を通じ、広布後継の青年に直接、薫陶を重ねられました。学生部に対しても、“これからは学生部が大事だ”“学生部を全精魂を込めて育成しよう”と、手作りで育ててくださったのです。
 多忙な中にあって、学生部との質問会や懇談会も頻繁に行ってくださいました。
 ある質問会で、海外に留学していた学生が手を上げました。留学先では、“信教の自由”が認められておらず、広布のロマンが見いだせないと、先生に自身の思いを語りました。
 先生は「変わるとみるのが仏法です」と仏法の視点を語り、万感の励ましを送りました。
 社会も人間も、常に変化の連続です。目先ではなく、先の未来を見据え、友情と信頼の花を咲かせていくのが、広布の戦いであることを教えてくださったのです。
 先生は、イデオロギーの異なる国々にも堂々と足を運ばれ、「仏法西還」の仏の未来記を実現されました。だからといって、“信教の自由”が認められていない国で布教しようとされたわけではありません。
 先生の焦点は、どこまでも人間であり、世界平和でした。「人間と人間の交流こそが、平和と人道の潮流となる」(『新・人間革命』第21巻「人間外交」の章)とある通り、思想や民族の違いを超え、揺るぎない信頼の絆を、世界中で結ばれました。それが、平和のために行動する民衆の連帯の土台となったのです。
  
 ◆梁島 84年6月、谷川主任副会長は学生部の代表として第6次訪中に参加されています。
  
 ◇谷川 6月4日からの訪中でした。当時はスタッフも少なく、迅速に移動できるよう、先生自ら、訪中団の整列を呼びかけてくださったことも忘れられません。一つ一つが、青年リーダーに対する訓練でした。
 この訪中の折、池田先生は、北京大学や復旦大学で歴史的な講演を行っています。6月5日の北京大学での講演では「平和への王道――私の一考察」と題して対話の重要性を訴えます。
 「一人一人の努力が、たとえ水滴のように微力に思えても、やがて石をも穿つ、否、岩をも押し流す大河となっていくでありましょう。それには、果敢なる行動と勇気ある対話を積み重ねていく以外にありません」
 翌6日、北京の中華全国青年連合会(全青連)本部で、全青連と青年部で協議が行われました。ここで、その後10年にわたって、毎年定期的に日中相互に青年が交流していくことが決まりました。
 85年(同60年)3月には、旧・聖教新聞本社で交流議定書が交わされ、具体的な友好交流が始まりました。以来40年近くにわたって、青年部と全青連は互いに交流団を派遣し、友誼の絆が強固に結ばれています。
 先生が築いてくださった日中友好の金の橋が、青年世代へと広がったのが、この第6次訪中だったのです。

谷川主任副会長に話を聞く田島学生部長、先﨑女子学生部長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長(学会本部別館で)

谷川主任副会長に話を聞く田島学生部長、先﨑女子学生部長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長(学会本部別館で)

「人間主義」の英知こそ君たちの強さ

 ◆田島 池田先生は今も変わることなく、学生部に励ましを送り続けてくださっています。
  
 ◇谷川 青年が師匠の期待に応えるためには、一人一人の決意と行動が大切です。
 学生部長の時、学生の大連帯を構築し、師匠にお応えしようと心に決めました。
 85年1月、東京の日本武道館で「全国学生大会」を開催しました。自分自身が真剣に祈り、リーダーが一丸となって結集に駆けました。各部とも連携を強め、当日は、全国400大学から1万7千人を超えるメンバーが集い合いました。
 先生に真心の題目を送っていただき、結集が1万人を超えた時、「大成功だな」との伝言を寄せてくださった感動は、今も忘れることはできません。
 以降、人材の拡大が加速し、翌86年1月、450大学の学生部員たちが集結し、再び日本武道館で「第2回全国学生大会」を行うことができました。
 青年が師匠に直結し、師弟一体の実践に徹した時、拡大のドラマが生まれます。
 学生部は、「学生平和意識調査」など、社会的にも大きな意義をもつ運動を展開してきました。81年(同56年)からスタートした教学実力試験は、コロナ禍でも中断することなく継続しています。学生部の英知あふれる運動は、次代の建設に情熱を燃やす青年の連帯を築いてきました。
 学生部指導集『先駆の誇り』で、先生は呼びかけています。
 「学生部の強さ――それは人間主義の英知である。創価学会という正義の民衆の大地でこそ、鍛えられ、磨き上げられる智慧だ」
 「学生部結成百周年の折の君たち、貴女たちの晴れ姿が、わが命には、鏡の如く鮮烈に浮かぶ。これこそ、私の人生の最上のロマンである」
 学会創立100周年(2030年)、学生部結成100周年(2057年)の広布の主役は、今の学生部の皆さんです。偉大な使命を担っている誇りを胸に、青春の勝利劇をつづり残していってください。

 【参照】
 ◆小説『人間革命』=第11巻「夕張」
 ◆小説『新・人間革命』=第21巻「人間外交」

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