人間関係に“いじる”って必要ですか?2023年5月18日

  • 電子版連載【駒崎弘樹の「半径5メートルから社会を変える」】〈50〉

 連載「駒崎弘樹の『半径5メートルから社会を変える』」では、認定NPO法人フローレンス会長の駒崎弘樹さんに、さまざまな社会課題について聞きます。

 今回は、「“いじられキャラ”でいるのが嫌なんです」という読者からの声をもとに、人間関係における「いじる」という行為について考えてみたいと思います。

 ※今後、取り上げてほしいテーマを募集します。記事の最後に記載したメールアドレス宛てにお送りください。
 

 
■「テレビの中」と現実は違う

 ――「私は学校で“いじられキャラ”ですが、本当はいじられるのが嫌いです。どうすればいいかアドバイスをください」との読者からの質問です。記者もよく、子どもの頃から、いじられて嫌な思いをしたので気持ちが分かります。

 駒崎 “いじる”という行為について言えることは、愛と信頼のない“いじり”は、いじめであるということです。
 よくテレビ番組などでタレントさんや芸人さんがいじったり、いじられたりして笑い合っているような姿を見かけます。自分の人間関係においても同じようにやっていいと気軽に捉えてしまう人もいるかもしれません。

 ――たしかに、テレビでは、いじる側もいじられた側も楽しそうに見えます。

 駒崎 テレビ番組内で行われる“いじる”という行為は、「仕事の場」で、「お互いの信頼関係のもと」という、限られた設定の中で行われているものです。ですから、そういった設定や文脈がないところでは、“いじり”は成立しづらく、よほどの愛と信頼があって、お互いが納得している状況でなければ成立しない行為であるといえます。
 

■避けたい「ルッキズム」「セクシズム」「エイジズム」「レイシズム」

 ――それ、学校で習いませんでした(苦笑)。気軽に人をいじってはいけないということですね。

 駒崎 そう思います。仮に、人をいじることがあったとしても、その時にやってはいけない「4つのイズム」があるので紹介しましょう。

 一つ目は、相手の外見をいじるルッキズム(外見至上主義)です。人の外見や容姿を茶化したり揶揄したりする、あるいは身体的な特徴をあげつらうといった行為は人を傷つける行為に他ならないため、これを批判する動きが世界的に広がっています。

 ――記者も、一日に10回以上も「デブ」と言われた時期があって、つらかったけれど、相手に合わせて笑っていました。友人関係の中で何げなく行われたりもしますが、いじられた側は傷ついてしまう行為ですね。

 駒崎 二つ目は、ジェンダー(性別)を理由にした差別であるセクシズム(性差別主義)です。たとえば、“女性は地図が読めないから道に迷いやすい”といった見方も、まさに性別による差別です。実際には、人によりますし、女性だからという見方は間違っています。こういった性別によって、ある種のレッテルやラベルを貼るような行為もしてはいけません。

 ――これも社会の中ではまだ散見される行為ですね。

 駒崎 三つ目のイズムは、年齢による偏見や差別を意味するエイジズム(年齢差別主義)です。
 日本では、自嘲気味に「もう年だから」と言ったりするように、それほど眉をひそめる行為ではないかもしれませんが、これもやはり、やってはいけない行為といえます。なぜならば、年齢も容姿や性別と同じように、その人の一部であるからです。自分ではどうにもできない要素である年齢に結びつけて何かを言うことは避けるべきだと思います。

 ――「最近の若い者は」「だから、おじさんは」など、世代でひとくくりにして、非難する言葉に出合うことはありますね。自分も気をつけないといけないと感じました。エイジズムは世代間の分断を後押ししてしまう行為のようにも感じます。

 駒崎 四つ目は、レイシズム(人種差別主義)です。人種や民族、国籍などを理由に、不当な評価をする行為もやってはいけません。
 たとえば、外国にルーツを持つ子どもが、英語を話せないことをネタにした動画がYouTube上に投稿されて炎上したケースがありましたが、やはり人が生まれる時には、親も国籍も民族的バックグラウンドも選ぶことはできないわけですし、その人の大切な個性の一部なので、そこをいじるような行為も避けるべきでしょう。
 

■“いじり”と“いじめ”は一字違い

 ――“いじる”という行為は、気軽にはやってはいけない、極めて注意が必要な行為であると感じます。一方、「4つのイズムとか、大げさな。そんなに目くじらを立てないでよ」と主張する人もいるかと思いますが、どうでしょうか。

 駒崎 “いじり”と“いじめ”は、一文字しか違いません。まさに紙一重の行為であり、よくよく気をつけなければ、“いじり”は瞬時に“いじめ”へと転換されてしまう行為なのです。だからこそカジュアルに誰かをいじるということについては十分に抑制的であってほしいです。

 ――「いじめと一文字違い」。心に残る言葉です。今、いじられることを嫌だと感じる人はどうすればいいでしょうか。

 駒崎 いじられることが嫌であることをしっかりと意思表示していい。それでもいじってくる人がいればその人と距離をとることも必要です。いずれにしてもいじられて気分が悪いというのは、決してあなたが悪いということではなく、いじる側が悪いのです。
 

■職場で嫌な思いをしていたら

 ――職場などでも上司が部下をコミュニケーションの一環としていじったりすることもあります。そういった場合、なかなか距離をとることが難しいようにも感じます。

 駒崎 職場の上司の場合、別に悪気があるわけではなく、その場を和ませようとして部下をいじることがありますが、それはハラスメントの構造とすごく似ています。
 ハラスメントも故意にというよりは、知らないうちにハラスメントをしてしまっていたということが往々にしてあります。いじりも同じ構造なのでしょう。しかしながら、パブリックな場において、いじる必要などないと思いますし、そんなことをしなくても良い仕事はできるはずです。

 ――その上で職場において上司からいじられた場合には、どのような対応が望ましいのでしょうか。

 駒崎 そこはしっかりと不愉快であると自己主張することが大切だと思います。ただ、上司に対して直接は言いづらいということがありますので、そういった場合は、別の上司や人事に相談するなど別ルートで伝えることもできます。

 僕も社内では「360度評価」(一人の社員に対して、さまざまな関係者が評価を行う方法)というものを通じて部下から評価してもらうこともしています。そのように仕組みで解決する手段もあります。また、日頃から組織の中で心理的安全性を高めて、何でもいえる空気をつくっておくことも大事になります。

 そもそも誰かをいじったり、自分がいじられたりなどしなくても楽しいコミュニケーションは十分にできるものです。その意味でも、人を傷つける“いじり”などを用いずに、みんなが楽しく過ごせるコミュニケーションを心がけていきたいですね。


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