【大阪】〈われらの使命の天地〉 泉州総県、東大阪総県2022年12月9日

泉州総県

咲き薫る師弟勝利の菊花

青空にそびえる岸和田城。師は車窓からその姿を眺めつつ泉州の歌を作詞した

青空にそびえる岸和田城。師は車窓からその姿を眺めつつ泉州の歌を作詞した

 大阪南部の8市4町(岸和田市、泉大津市、和泉市、高石市、忠岡町、貝塚市、泉佐野市、泉南市、阪南市、熊取町、田尻町、岬町)からなる泉州総県(泉州新世紀県、泉州大城県、泉州国際県)。
 池田先生は広大なこの地を、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」でも駆け巡った。94年(平成6年)、総県内に関西国際空港が開港した後は、世界への平和旅の帰路、この地から関西指導が開始されたこともある。

関西国際空港連絡橋は長さ3750メートルの世界最長のトラス橋。泉佐野市の「りんくうタウン」と人工島である「関空島」を結ぶ

関西国際空港連絡橋は長さ3750メートルの世界最長のトラス橋。泉佐野市の「りんくうタウン」と人工島である「関空島」を結ぶ

人材光る歓喜の城

 泉州と師との“菊花”の縁が結ばれたのは、78年(昭和53年)11月10日。完成間もない泉州文化会館を初訪問した先生を、同志は丹精込めて作った1265鉢もの菊花で迎えた。
 同12日には、先生が作詞した泉州の歌「歓喜の城光れ」が発表された。
 「天に月あり地には菊 香れる人材泉州に 広布の旗はついに起つ ああ泉州の城光れ」――歓喜と感動が泉州の全同志に広がった。この時の模様は、小説『新・人間革命』第29巻「常楽」の章につづられる。
 3年後の81年(同56年)11月17日にも泉州文化会館を訪れた先生。2000鉢を超える菊花の大輪が迎えた。先生は同志と記念撮影し、真心の励ましを。この時の先生の提案を元に、菊作りは地域に根差した文化運動として展開されていった。現在も、11月になると泉州総県の各会館には、同志が育てた菊花が咲き誇る。
 師弟の縁薫る泉州の友は今、さらなる広布拡大にまい進する。

今年も各会館で伝統の「泉州菊花祭」が行われた(和泉文化会館)

今年も各会館で伝統の「泉州菊花祭」が行われた(和泉文化会館)

大学教授として奮闘する支部長

吉田さん

吉田さん

 吉田登さん=泉南王者圏・吉見支部=は国立大学の教授。環境政策や環境配慮型社会について研究を進める。
 地域が抱える環境保全の課題に、科学技術の導入で得られる効果を検証し、解決に貢献。一方、副学部長も務め、学生のケアに尽力している。
 「必ず弟子の実証を、との青年部時代からの誓いを胸に、前進してきました」
 時には、多忙で活動から遠ざかりそうになる時もあったが、先輩の真心の励ましに、“一歩も引かない”と奮い立ったという。
 現在、広布の舞台では支部長。訪問・激励で模範の取り組みが光り、活動者も増えている。支部では毎週、壮年の集いを行い、“黄金柱”が意気盛んだ。

夫妻で友好と聖教の拡大に率先

中塚さん夫妻

中塚さん夫妻

 中塚房子さん=岸和田錦城圏・修斉支部、女性部副本部長=は、以前に地域の婦人会会長を務め、現在はJAの役員を担う。岸和田市町会連合会の副会長等を務めてきた夫・茂春さん=同、副圏長=と共に、信頼も厚い。
 一度結んだ縁を大切に育み、対話を大きく拡大。友人が自らの友人を紹介してくれることも多い。友情の輪は各地に広がり、理解者は100人を超える。
 また、10、11月は夫妻で計17部123ポイントの聖教新聞の購読推進を達成。友人の紹介から新たな購読者も誕生した。
 「友人とは、直接“会う”ことを心がけています。やっぱり会って話せば心が通い、お互いに元気になりますね」と笑顔が輝く。

左から郡総県長、伊丹青年部長、壬生女性部長

左から郡総県長、伊丹青年部長、壬生女性部長

 郡総県長、壬生同女性部長は固く誓う。
 「池田先生が“『泉州・凱歌』の舞を”と呼びかけてくださった通り、青年を先頭に、喜び勇んで前進してまいります!」

東大阪総県

“大関西の横綱”が前進

枚岡公園(東大阪市)の額田山展望台から望む。右手前には花園ラグビー場が見える

枚岡公園(東大阪市)の額田山展望台から望む。右手前には花園ラグビー場が見える

 大阪が世界に誇る“ものづくりのまち”東大阪市。多様な中小企業が集まり、製造業の事業所密度は日本一。連続ドラマの舞台にもなっている。市内にはラグビーの聖地・花園ラグビー場も。
 東大阪総県は、東大阪池田県、東大阪常勝県、東大阪創価県、東大阪旭日県が団結固く前進する。

幾多の広布史が刻まれた東大阪市立中央体育館は今、東大阪市立総合体育館(東大阪アリーナ)に

幾多の広布史が刻まれた東大阪市立中央体育館は今、東大阪市立総合体育館(東大阪アリーナ)に

「世界第一の広布の縮図」と

 1969年(昭和44年)12月20日、池田先生は東大阪市立中央体育館(現・東大阪アリーナ)で開催された関西幹部会に出席。「皆さんが喜ぶことなら、何でもやります」と「嗚呼黎明は近づけり」の指揮を執り、関西の大勝利への上げ潮を作った。
 実は、この時の先生の激励行は、高熱を押してのものだった。その模様は、小説『新・人間革命』第14巻「烈風」の章に描かれている。
 昭和40年代、先生は同体育館での会合に計15回出席した。
 85年(同60年)1月21日、先生は現在の東大阪平和会館を訪問。この時、「東大阪は日本第一、世界第一の広布の縮図の地です。幸せも第一、模範の家庭も第一、模範の夫婦も第一、お子さんの成長も第一の東大阪であっていただきたい」と語った。後に「1・21」は「東大阪 師弟原点の日」と定められた。
 さらに、94年(平成6年)12月、先生は「幸福の 交響楽を ともどもに 弾かなん 歌わむ 錦州城にて」との和歌を詠み贈った。95年(同7年)2月6日には、総県中心会館の東大阪文化会館を視察した。
 幾重にも重なる師の激励を胸に、東大阪の友は今再び、共戦の誓いを輝かせる。

かつての東大阪会館は、現在、東大阪平和会館に。師はこの地に3度の足跡を刻んだ

かつての東大阪会館は、現在、東大阪平和会館に。師はこの地に3度の足跡を刻んだ

障がいに負けず広布を開く

南さん

南さん

 南泰義さん=東大阪常勝圏・友井支部、常勝長=は、「妙音会」(聴覚障がい者のグループ)の一員。手話や筆談などを駆使して対話に挑み、これまで15人に弘教が実っている。
 5年前に入会に導いた北山茂樹さん=壮年部員=の対話も応援する中、本年11月、北山さんは妻・弘子さん=女性部員=と共に、弘子さんのかつての職場の同僚に弘教。その友は今回の教学部任用試験に合格した。
 南さんは3歳の時、高熱が原因で聴覚に重度の障がいが。その後、一家で入会。青年部時代から、仕事と活動の両立に挑戦し抜いてきた。いつしか大きな声であれば聞き取れるようになった。
 「広布に励む中、障がいは、決して前進を妨げる“障壁”ではなくなりました。いよいよの決意で戦います」

毎年の折伏と毎月の聖教推進に挑戦

大沼さん

大沼さん

 2月、青年世代の孫を入会に導いた大沼信子さん=常勝花園圏・西岩田支部。
 地区女性部長として拡大の最前線を走る。地域のつながりや仕事の関係で知り合った友など、あらゆる相手に仏縁を広げ、コロナ禍の前は約30年間、毎年のように弘教を実らせた。聖教新聞の購読推進は18年間ほぼ毎月、達成している。
 あふれる生命力で胃がんも克服。
 「当時、入院した病室の窓からは、“常勝の空”の下にそびえ立つ大阪城が見えました。その雄姿にも励まされ、断じて勝とうと決意できたんです!」
 今、喜びの体験とともに、信仰の確信を語り広げる。

左から阿部総県長、宗正青年部長、岡島女性部長

左から阿部総県長、宗正青年部長、岡島女性部長

 阿部総県長、岡島同女性部長は「“大関西の横綱”との師匠のご期待に応え、大拡大に打って出ます!」と燃える。