〈御聖訓に学ぶ御供養の精神〉2022年11月8日

日蓮大聖人の御遺命である広宣流布のため

 “広布のために”との真心で御供養をお届けした門下の志を、最大に賛嘆された日蓮大聖人。ここでは、御書新版に新たに収録された御聖訓を拝しながら、御供養の根本精神について学びます。

小説『新・人間革命』第4巻「凱旋」の章から

 山本伸一は、手元にあった御書を開いた。供養の本義を、御書に照らして、熟慮したかったからである。
 彼は、まず「白米一俵御書」を拝した。身延にいらした日蓮大聖人に、一人の信徒が白米などを供養したことへの御手紙である。
 大聖人は、その真心を讃えられ、「凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」(全1596・新2053)と仰せになっている。つまり、信心の志、仏法への至誠の一念が、成仏の要諦であることを示されているのである。(中略)
 学会が推進する供養、財務は、すべて日蓮大聖人の御遺命である広宣流布のためのものである。大聖人の立てられた大願を成就するために行う供養は、御本仏への供養に通じよう。ならば、これに勝る供養もなければ、大善もない。ゆえに、これに勝る大功徳もないはずである。そう思うと、伸一自身、一人の学会員として、その機会に巡り合えたことに、無量の福運と喜びを感じるのであった。
 この御書(衆生身心御書)では、最後に、身延の山中に供養の品々を送った一人の門下の志を讃えられて、次のように述べられている。
 「福田によきたねを下させ給うか、なみだもとどまらず」(全1596・新2047)
 〈福田に、すばらしい善根の種を蒔かれたのか。厚い志に涙もとまらない〉
 広宣流布に尽くすことは、福田に善根の種を蒔くことである――それは、伸一が青春時代から、強く確信してきたことでもあった。

真心と喜びの発露

 昔の徳勝童子は、土のもちいを仏にまいらせて一閻浮提の主となる。今の檀那等は、二十枚の金のもちいを法華経の御前にささげたり。後生の仏は疑いなし。なんぞ今生にそのしるしなからん。(上野郷主等御返事、新1928)

 【通解】昔の徳勝童子は、土で作った餅を仏にさしあげて、一閻浮提全体のあるじとなりました。今の檀那たちは、20枚の金の餅を法華経の御前に供えました。来世で仏になることは疑いありません。どうして今世でその功徳がないでしょうか。
       ◇
 日蓮大聖人は、御供養に込められた門下の真心を賛嘆するために、古代インドで慈悲の善政を敷いた、アショーカ王の出生にまつわる伝承を、つづられています。
 ――道端で土遊びをしていた徳勝童子、無勝童子という2人の子どもは、弟子を連れて通りかかった釈尊を見て歓喜の心を起こし、土で作った餅を供養します。その功徳によって、童子は後に、偉大なアショーカ王として生まれました――。
 実際には食べられない土の餅でも、仏法の眼から見れば、仏への「真心」がこもった大切な品になります。
 だからこそ、その志が福徳の因となり、童子は大王となって生まれたのです。
 何よりも“広宣流布のために”という真心、そして、喜びの発露こそが、私たちの御供養の根本精神にほかなりません。
 この御文では、門下がささげた見事な餅の様子を、「金」になぞらえて褒めたたえられています。さらに大聖人は、その真心によって“来世のみならず、今世においても成仏の功徳が必ず現れます”と最大に賛嘆されています。
 「いつか」ではなく、「今」まさに福徳輝く無上の人生を開いていける――確信あふれる師匠の激励に触れ、門下たちは、ますます信心に奮い立ったに違いありません。

尊き献身を賛嘆

 大餅五枚、薯蕷〈一本、太きなり〉、鷷〈酋寸の右に鳥〉鵄一俵。
 去・今年の饉餲・瘴癘・刀兵と申し、あたかも小の三災の代のごとし。山中に送り給うこと、志の至りか。(越後公御房御返事、新1935)

 【通解】大きな餅5枚、ヤマノイモ(1本、太いものです)、サトイモ1俵。
 去年・今年の飢饉・疫病・兵乱のありさまといえば、まるで小の三災の時代のようです。山の中にお送りくださったことは、志の極みでしょうか。
       ◇
 自然災害や飢饉、疫病の流行、相次ぐ戦乱。鎌倉時代の当時、国中が騒然としていました。そのことを大聖人は「小の三災の代のごとし」と仰せです。
 この中で御供養の品々をそろえることは、決して容易ではなかったはずです。しかし、本抄をいただいた門下は、数々の食物を大聖人にお届けしました。
 そうした赤誠の品々の一つ一つに、門下の懸命な求道心を感じ取られたからこそ、大聖人は“志の極み”と感嘆をもってたたえられたのでしょう。
 ひるがえって今、私たちは、気候変動やコロナ禍、世界情勢の深刻化など、「危機の時代」と形容される激動期を生きています。その中で、民衆救済を誓い、わが身を惜しまず献身する創価の同志の「志」ほど、尊いものはありません。
 仏典には、須達という長者(富豪)夫妻による供養の話が出てきます。「七度貧になり」(新1919・全1574)という波乱の連続にあって、苦境の中でも不惜身命で師匠を守り抜いたからこそ、その福徳で、釈尊に精舎を寄進する大長者になったと説かれます。
 “広宣流布のためならば、何でも喜んで尽くそう!”という尊き「喜捨」の心にこそ、絶大な福徳は積まれていくのです。

諸天の守護は必ず

 鵝目一結、給び候い了わんぬ。
 御志は挙げて法華経に申し候い了わんぬ。定めて十羅刹の御身を守護せんこと、疑いなく候か。さては尼御前の御事、おぼつかなく候由、申し伝えさせ給い候え。(富城入道殿御返事、新1343)

 【通解】鵝目一結をいただきました。
 あなたの真心のほどは、すべて法華経に申し上げました。必ず十羅刹があなたを守護されることは疑いのないことでしょう。それにしても、尼御前のことを私が心配していると、お伝え申し上げてください。
       ◇
 “尼御前のことを心配しています”――お手紙を受け取った門下の富木常忍には、病気がちの妻(富木尼御前)がいました。
 日蓮大聖人がそのことを聞き及び、尼御前をどうにか励まそうとされる温かなご慈愛が、お手紙から伝わってきます。
 御執筆の当時は、日蓮門下への過酷な迫害が相次ぎ、社会全体もさまざまな災禍に見舞われて、門下の心は不安に覆われていたでしょう。
 そうした中で、病の妻を抱えながら懸命に信心に励み、大聖人に幾度も御供養をお届けしていた富木常忍と、病身でありながら夫を支え、共に広布に歩んでいた尼御前。二人三脚で苦難に挑み、どこまでも師と進もうとする夫妻の純真な姿ほど、麗しいものはありません。
 大聖人は本抄の冒頭で、“絶対に十羅刹の守護があります”と示されています。十羅刹とは、法華経で説かれる十羅刹女のことであり、正法受持する者を守ることを誓った10人の諸天善神です。
 宿命の嵐に立ち向かい、不惜身命で広布への志を貫く夫妻を、大確信で激励される大聖人の烈々たる魂が胸に迫ります。
 “広布に尽くす人が守られないわけがない”との御本仏の師子吼を胸に刻み、私たちもまた、師と共に、どこまでも使命を貫き通していきましょう。