仏法の真髄は「師弟」に――青年部拝読御書「諸法実相抄」⑩=完2022年11月4日

  • 第10章 「宿縁を述べ重書を送る所以を示す」
  • (御書新版1793ページ7行目~1793ページ14行目
  •  御書全集1361ページ15行目~1362ページ3行目)

 青年部拝読御書「諸法実相抄」を研さんする連載の最終回は、第10章を解説していく。ここでは、「日蓮が身に当たっての法門」を与えられた理由について学ぶ。(創価新報2022年10月19日付)
 
 

【御文】

 追って申し候。日蓮が相承の法門等、前々かき進らせ候いき。ことにこの文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ。不思議なる契約なるか。六万恒沙の上首・上行等の四菩薩の変化か。さだめてゆえあらん。総じて日蓮が身に当たっての法門わたしまいらせ候ぞ。日蓮、もしや六万恒沙の地涌の菩薩眷属にもやあるらん。南無妙法蓮華経と唱えて、日本国の男女をみちびかんとおもえばなり。経に云わく「一に上行と名づく乃至唱導の師なり」とは説かれ候わぬか。まことに宿縁のおうところ、予が弟子となり給う。この文あいかまえて秘し給え。日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ。とどめ畢わんぬ。
 
 最蓮房御返事
 

【通解】

 追伸を申し上げる。あなたには日蓮が釈尊から受け継いだ法門を、前々から書き送っている。特に、この手紙には大事な法門を記しておいた。
 
 日蓮とあなたとは不思議な約束があるのであろうか。あなたは六万恒沙の上首である上行菩薩などの四菩薩の化身であろうか。きっと理由があるのだろう。全て日蓮の身に当てはまる法門を差し上げたのである。
 
 日蓮はあるいは六万恒沙の地涌の菩薩の仲間なのであろう。南無妙法蓮華経と唱えて日本国の男女を導こうと思っているからである。経文には「第一に上行という名で(中略)、(最も上座の)指導者であった」と説かれているではないか。
 
 あなたは誠に深い宿縁によって日蓮の弟子となられたのである。この手紙をよくよく心にとどめておきなさい。日蓮が内心において覚った法門などを書き記したのである。以上をもって筆をおく。
 
 最蓮房御返事
 

御本仏の御遺命のままに、地涌の使命を担い生き抜く師と弟子との誓い――それは生々世々、人類を照らし続ける「希望の光源」である

御本仏の御遺命のままに、地涌の使命を担い生き抜く師と弟子との誓い――それは生々世々、人類を照らし続ける「希望の光源」である

【解説】

 第10章は本抄を締めくくられた後、「追伸」として認められた一節である。
 
 冒頭の「日蓮が相承の法門等、前々かき進らせ候いき」とは、日蓮大聖人が上行菩薩として釈尊から相承した法門のことであり、本抄御述作以前に認められ、最蓮房に与えられた、「生死一大事血脈抄」「草木成仏口決」「祈禱抄」などをいわれていると考えられる。
 
 この「追伸」の中で、「日蓮が身に当たっての法門わたしまいらせ候ぞ」と述べられ、また最後の箇所でも「日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ」と、本抄の内容の重要性を何度も重ねて強調されているのである。
 
 このように繰り返して“重要な法門”と仰せられているのは、大聖人が弘通されている南無妙法蓮華経が法華経の極理であり、これほどの大法を弘めておられる大聖人が末法の御本仏であるという、本抄の元意のことであると拝される。
 
 「不思議なる契約なるか」とは、最蓮房とは過去世から仏法の奥義について語り合う約束があったのであろうか、不思議な人である、との意だと考えられる。
 
 そして、「六万恒沙の上首・上行等の四菩薩の変化か」は、法華経従地涌出品第15で涌現する無量無数の地涌の菩薩を導く4人の菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行)の化身として、末法広宣流布に重要な使命を担っている人であろうか、きっと深いわけがあるに違いないとの仰せである。
 
 それゆえ、最蓮房には「総じて日蓮が身に当たっての法門」すなわち御本仏の御境涯を示す法門を与えたのであるとされている。
 
 続いて、「南無妙法蓮華経と唱えて、日本国の男女をみちびかんとおもえばなり」と述べられ、南無妙法蓮華経を唱えて日本国の男女を導こうとされているがゆえ、「日蓮、もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん」と御謙遜されつつも、「経に云わく『一に上行と名づく乃至唱導の師なり』とは説かれ候わぬか」と、「是の菩薩衆の中に、四導師有り。一に上行と名づけ、二に無辺行と名づけ、三に浄行と名づけ、四に安立行と名づく。是の四菩薩は、其の衆の中に於いて、最も為れ上首唱導の師なり」(創価学会版『妙法蓮華経並開結』455ページ)との従地涌出品第15の文を挙げられて、御自身が地涌の菩薩の上首・上行菩薩の働きをされていることを示されているのである。
 

 
 さらに、「まことに宿縁のおうところ、予が弟子となり給う」と、最蓮房が大聖人の弟子となった宿縁の不思議さを重ねて述べられ、使命の自覚を促されていると拝される。
 
 最後に「この文あいかまえて秘し給え。日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ。とどめ畢わんぬ」と、大聖人御自身が内心において覚った法門を記した重書であるから、大事に扱っていくよう述べられている。
 
 「秘し」てとは、一つには、大聖人の内心において覚った法門は当時の人々に理解しがたかったため、本抄を広く示すことによって、いたずらに不信を起こさせてはならないとの御配慮であると拝せられる。もう一つは、「ことにこの文には大事の事」と仰せのように、大切な法門であるから心に深くとどめておきなさいとの御指導であると考えられる。
 
 妙荘厳王本事品第27の文に、「我等は宿福深厚にして、生まれて仏法に値えり」(同657ページ)とある。これは、宿福(過去世から積んできた福徳)が深く厚かったので、この世に生を受けて、あいがたき仏法に巡りあうことができました、との意である。
 
 今の私たちにおいていえば、偶然に大聖人の仏法に出あったのではないのである。それは先に「三世各別あるべからず」(新1792・全1360)と仰せの通り、仏法の眼からみれば、私たちは過去世からの福徳があり、師弟の三世にわたる宿縁によって、今世に生まれてきたのだと拝していきたい。この宿縁に目覚め、いかなることがあろうと、広布のため、友の幸福のために祈り、語り切っていく人こそが、真の「日蓮が一門」である。
 
 大聖人の御遺命たる世界広宣流布は、地涌の使命に立ち、不惜身命の闘争を貫かれた創価三代の会長と、世界の同志の共戦によって、現実のものとなった。
 
 今こそ男子部が、次代の広布の全責任を担って立つ時。池田門下の誇りも高く、「行学の二道」を堂々と邁進し、新たな広布拡大の歴史を築いていこうではないか。
 

◆池田先生の指針から

 日蓮大聖人は、卑劣な讒言と戦い続けた御生涯であった。
 
 嫉妬に狂った者が、正義の人をデタラメな嘘でおとしいれようとする。その汚らわしいやり口は、昔も今も変わらない。
 
 「ところが、そうしたなかで、あなた(最蓮房)は日蓮に随順し、また法華経のゆえに難にあわれており、その心中が思いやられ、心を痛めております」(新1776・全1337、通解)
 
 このように、大聖人は慈愛深いお便りをつづっておられる。仏法の真髄は「師弟」である。
 
 ――正しき師匠は、経文どおりに「三類の強敵」と戦い、種々の大難を受けきりながら、身命を惜しまず、妙法蓮華経を広宣流布なされている。
 
 ならば、その弟子は、師匠を護りきることだ。師匠に代わって、敵を打ち破ることだ。
 
 そして、師匠と「同じ心」で仏法を弘め抜いていくのだ――これこそ「師弟不二」である。
 
 師弟の道を生きぬいた人は、仏法に照らして、子孫末代まで繁栄していく。
 
 (『池田大作全集』第97巻)
 
 
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