〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 任用試験に向けて㊤2022年9月28日

  • “御書と格闘する”そこに王道がある

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は11月に行われる「教学部任用試験(仏法入門)」に挑戦する友へ、励ましの言葉を紹介します。

2018年、全国で開催された「教学部任用試験(仏法入門)」(愛知で)。御聖訓には、「この経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし」(新1721・全1448)と。妙法という究極の生命哲学を心に刻んだ人は、いかなる人生の荒波をも乗り越える、賢者の大船となっていける

2018年、全国で開催された「教学部任用試験(仏法入門)」(愛知で)。御聖訓には、「この経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし」(新1721・全1448)と。妙法という究極の生命哲学を心に刻んだ人は、いかなる人生の荒波をも乗り越える、賢者の大船となっていける

「信仰の勇者」として

 一九五六年(昭和三十一年)、常勝関西の源流となった「大阪の戦い」にあたり、私が真っ先に手を打ち、全力で取り組んだのが「任用試験」であった。
 
 一人でも多くの同志の方々が、「信心はすごい」「仏法は偉大だ」という確信をつかみ、信仰の勇者として成長していかなければ、広宣流布はできないからだ。
 
 今また、教学研鑽の喜びをもって、同志を励まそう! 皆で、新しき平和と哲学の闘士を育成しよう!
 
 (『池田大作全集』第134巻、162ページ)
 

教学は信心の“背骨”

 学会の伝統は、「信・行・学」の錬磨である。教学こそ信仰の“背骨”である。
 
 教学がおろそかになれば、どうしても、根本の信心が弱くなり、日々の実践も惰性に流されやすくなる。ゆえに、毎日、少しずつでも御書を拝してまいりたい。
 
 毎回、任用試験には、求道心あふれる数多くの老若男女が、勇んで挑戦している。まさに、哲学不在の時代をリードする精神革命の大運動といっていい。
 
 受験する皆さんのご健闘を祈るとともに、担当者の方々を中心に、全力で応援してまいりたい。
 
 (『池田大作全集』第99巻、227ページ)
 

福徳を広げる大善根

 世の中には多くの試験がある。しかし、皆が人類最高峰の生命哲学の門に入り、幸福と平和の博士となっていく試験はわが学会にしかない。
 
 そしてまた、学会の教学試験ほど、学歴や肩書や年齢など、あらゆる違いを超えて、万人に開かれた「学びのチャンス」はあるまい。
 
 大聖人は、仏法の質問をした女性に、「三千大千世界(大宇宙)を鞠のように蹴り上げる人よりも有り難く、尊い大善根である」(全1402・新2098、趣意)とまで讃えられた。
 
 どうか、受験それ自体が、誇り高く福徳を広げゆく大善根であることを、挑戦される方も、応援される方も、共々に確信していただきたい。
 
 (『随筆 永遠なれ創価の大城』、196ページ)
 

御書研さんに励む友(2018年、福岡で)

御書研さんに励む友(2018年、福岡で)

永遠不滅の法と共に

 受験者には、伸びゆく未来部もいる。ご高齢の多宝の方々もおられる。“生涯勉強”と、最高の幸福学たる仏法を研鑽し、人生の錦繡を一段と鮮やかに深められている。
 
 御書には、「法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり」(全1125・新1633)という甚深の一節がある。
 
 永遠不滅の妙法と共に生きゆくならば、自らの仏の生命も永遠不滅の当体となる。若々しく自他共に「常楽我浄」の軌道を進むことができる。創価の師弟は、この正道を歩み抜いてきた。
 
 仏法を学べば、勇気が湧く。信念が深まる。皆が生まれ変わった息吹で、「生命尊厳の哲理の眼目」となり、社会に蘇生の光を放ちゆくのだ。
 
 (『随筆 永遠なれ創価の大城』、211ページ)
 

「限界を破る」挑戦を

 受験者の皆様は、とくに青年部の諸君は、「もうこれ以上勉強できない」というくらい学んでほしい。その「限界を破る」挑戦が、一生涯の宝となって光っていく。
 
 先輩方も、「『広布の次の五十年』を切り開くのだ」という思いで、全力で応援し、力ある広布の人材を育成していただきたい。
 
 研鑽にあたっては、ぜひ、「直接、御書を繙く」ことを心掛けてほしい。講義録や解説などは、あくまで補助にすぎない。御書の本文も読まずに、「わかったつもり」になることが一番怖い。
 
 少々苦労しても、王道を行くことだ。直接、御書と格闘する刻苦奮闘こそが、信心の合格者への大道である。
 
 (『池田大作全集』第137巻、160ページ)
 

語る功徳と聞く功徳

 法華経の随喜功徳品には、法華経を聞いて随喜する功徳の大きさが説かれている。有名な「五十展転」である。
 
 歓喜の信心に立ち上がった一人が、その喜びを友に伝え、その友がまた歓喜して別の友に教え、また次の人へと伝わり、やがて喜びの波動は五十人目に至る。
 
 この最後の人の功徳でさえ、無量無辺であると示されている。
 
 妙法を「語る功徳」「聞く功徳」が、いかに偉大であることか。その意味からも、教学試験の研鑽を通して、仏法を語り、教える人の功徳も、それを聞き、学ぶ人の功徳も、どれほど大きいか計り知れない。
 
 仕事や家庭など、多忙な生活の中で時間を工面しての学び合いである。どうか、その一分一秒に、大いなる随喜あれ、絶大なる福徳あれと願わずにはいられない。
 
 (『随筆 輝く民衆の大城』、50ページ)
 

御書研さんに励む友(2018年、香川で)

御書研さんに励む友(2018年、香川で)

合否を超えた勝利者

 合否を問わず、真剣に御書を学びぬいた人が「勝利者」です。また「広宣流布の宝」です。
 
 夏休みを返上して、受験する後輩の面倒をみてくれた先輩たちがいたことも、よく知っています。その労苦の汗は、どれほど尊いか。試験に合格しようがしまいが、これからが、青年の勝負です。縦横無尽に、一人でも多くの人に、大仏法を語りぬいてもらいたい。
 
 (『池田大作全集』第30巻、398ページ)