友誼の花よ永遠に 「周恩来と日中友好」展 開幕式から2022年9月27日

周総理と池田先生の一期一会の会見。日中友好の未来について縦横に語り合う。右端にはメモを取る香峯子夫人の姿が(1974年12月5日、北京で)

周総理と池田先生の一期一会の会見。日中友好の未来について縦横に語り合う。右端にはメモを取る香峯子夫人の姿が(1974年12月5日、北京で)

福田康夫元首相

日本を最もよく知り理解した周総理に再び思いを致す時

 1972年9月29日、田中角栄首相と周恩来総理が北京の人民大会堂で共同声明に署名し、日中関係の正常化が実現しました。この日まで日中間には長い道のりがあり、数え切れない先達が携わってきました。関係者の熱意で困難を乗り越え獲得した成果です。
 
 特に、周恩来総理が終始粘り強く、丁寧に親切に、対応されたことが大きかった。そして交渉に至るまでに極めて重要な役割を果たしたのが、実は公明党でした。正常化当時、公明党訪中団が周恩来総理と3日間の協議の末につくり上げた、いわゆる公明党訪中団メモが基本となり、田中首相が訪中を決定し、共同声明にこぎ着けました。6年後には平和友好条約が締結されましたが、この時も公明党が事前に訪中し、もたらした情報が契機となって締結に結びついたのです。日本と中国の関係には、公明党、創価学会の功労が大きいのであります。そして、共同声明と平和友好条約で“日本と中国が安定した良好な関係を築き、アジアと世界の平和と発展に貢献する。そして両国間には平和、友好以外はあり得ない”という基本理念が定まったのです。
 
 今の私たちは50年前の正常化の意味を思い返し、せっかく築き上げたこの関係を、いつまでも大事にしていかなければいけません。
 
 それとともに、改めて50年前の周恩来総理に、思いを致す必要があるのではないでしょうか。周恩来総理は、日本人が当時一番親しみを寄せた中国の偉人でした。“日本を最もよく知っていて理解しているのが周恩来総理”と評価していた私の父・福田赳夫が平和友好条約締結を成し遂げたのも、周恩来総理の残された基本理念のおかげでした。
 
 周恩来総理を日中友好へと突き動かしたのは、青年期の日本留学時代の体験に原点があったと思います。本日の写真展にも、周恩来総理が京都・嵐山で詠んだ詩の記念碑の写真があります。時宜にかなった有益な写真展が、実り多いものになるよう祈ります。
  
  

北京大鸞翔宇慈善基金会 周秉徳会長(周総理の姪)

中日は「一衣帯水」の隣国

 本日、中日国交正常化50周年を記念するために、皆さまとお会いできたことを大変うれしく思います。
 
 中国と日本は一衣帯水の隣国であり、両国の交流には長い歴史があります。両国の関係は人的交流から始まりました。さらに先代の指導者の卓越した戦略的な先見性と決断力で、中日国交正常化の政治的決断が下され、中日関係の歴史に新たな一ページが開かれたのです。
 
 特に、日本での留学経験がある周恩来総理は、日本の社会について一定の知見を持っていました。周総理は中国の指導者の中でも、最も多くの日本の友人と会見した方でしょう。また、周総理は中日の民間交流を大変に支持していました。自身の誠実さと英知で、中日国交正常化への道を切り開いたのであります。
 
 中日両国の発展と交流は、両国人民だけでなく、アジアと世界の平和的発展にも多大な貢献をしています。50年という年月は両国の友好発展にとって、始まりに過ぎません。両国関係の節目であり、過去を見つめ直し、未来を展望する重要な時期です。
 
 私たち北京大鸞翔宇慈善基金会も、さらに中日民間の相互認識と交流の強化に微力ながら尽力する所存です。
  
  

中国人民対外友好協会 袁敏道副会長

両国関係の維持と発展が先人に対する“報恩の道”

 美しき金秋の時節に、「桜よ海棠よ永遠に――周恩来と日中友好」写真展の開幕式に参加できたことは、この上ない喜びであります。
 
 中国において、周恩来総理は「人民の良き総理」であります。総理が私たちと別れてから46年がたっていたとしても、総理の一挙手一投足を思い返す時、いまだに私たちは感動し、敬愛の心で満たされるのです。
 
 総理は、中国人民の心の中に居続ける“不滅の精神的支柱”であり、世界に目を転じても「世界の偉人」として称され続けています。一生を通して、各国の多くの友人と交わり、その卓越した英知と学識をはじめ、大きな心や品格、魅力をもって、世界の人々から尊崇と敬愛の念を勝ち得てこられました。総理は、世界の人々の心の中にいる真実の友であり、「偉大な外交官」であられました。
 
 本年は中日国交正常化50周年であります。半世紀にわたる中日関係の発展は、両国と両国人民にもたらされた実際の利益だけではなく、アジアと世界の平和の安定や繁栄に大きく寄与してきました。それは50年も前に、国交正常化を実現した両国の指導者が英明な決断と遠くを見通す先見性を備えていた、何よりの証左であります。
 
 周総理と両国の先人たちが推し進めた、中日友好事業に対する卓越したご貢献をしのぶとともに、友好の初心に立ち返り、両国の善隣友好・協力関係を維持し発展させることによって、先人に対する“報恩の道”、後輩に対する“啓発の道”としていきたいと思います。
 
 中日友好の原点は民間にあります。周総理が身をもって示してくださった民間外交の理念と実践は、私たちの貴重な財産であり、永遠に追い求める模範の姿であります。栄光ある民間友好の伝統を受け継ぎ、中日両国の各界の皆さまとともに、新時代の要求に合致した関係の構築のため、そして、世界平和と人民同士の友好を促進するため、今後も不断の努力を重ねてまいりたいと思います。
  
  

孔鉉佑 駐日本国中国特命全権大使

歴史を鑑として未来へ

 周恩来総理は、中国人民の幸福や人類の進歩のために生涯をささげられた偉大な政治家であり、傑出した外交官であります。新中国の外交に多大な貢献を果たされ、日本と切っても切れない深い縁を結ばれました。
 
 50年前、幾多の困難や障害を乗り越えて、周総理は国交正常化の政治決断を下し、新たな中日の共存共栄の歴史を築かれました。その功績によって、両国関係が加速度を増して発展し、地域と世界に良い影響を与えることになる50年を切り開いたのであります。
 
 風雨と変化を伴う半世紀が過ぎ去り、中日関係が次の50年へ新たなスタートを切ろうとする今こそ、我々は歴史の経験や「小異を捨てて大同につく」との東洋の知恵を生かしながら、戦略的互恵関係を一段と強めていきたいと思います。今後も相互の人的・文化的交流を広げ、中日両国が常に平和・友好・協調の正しい方向に向かって、発展できるような関係を構築していかなければなりません。
 
 今回の写真展を通して、多くの友人が従来の中日関係の繁栄を振り返ることによって、“歴史を鑑とし、未来に向かう”との精神を学び、健全で強靱な中日関係を次の50年につなげる機会になればと期待しています。
  
  

小泉勉 駐中国日本国特命全権公使

理想を抱き一歩ずつ

 垂秀夫駐中国大使が公務のため、代読させていただきます。
 
 周恩来総理は歴史的に著名な偉人であり、その戦略的思考や人望の高さから、中国のみならず、日本でも広く尊敬されています。かくいう私(垂大使)も一外交官として総理を慕う者の一人です。私は京都大学の出身で、嵐山の亀山公園にある「雨中嵐山」の詩碑は何度参観したか数えきれないほどです。
 
 本年は日中国交正常化50周年の佳節です。中国には「飲水思源」(水を飲む者は源に思いを致せ)との素晴らしい言葉があります。
 
 私は本年4月、国交正常化と両国関係の発展に貢献されてきた関係者のご家族を公邸に招待しましたが、その際に感動的な情景に巡り合いました。
 
 それは、お招きした周秉徳さんの曽孫と大使館関係者の日本の子どもたちが一緒になって、芝生の上を駆け回る姿でありました。
 
 無垢な子どもたちが手を取り合って遊び回る情景は、日中関係が次世代に引き継がれていく象徴的な光景であり、日中関係の理想の将来像を感じました。両国関係は必ずしも平たんな道ではなく、現在も種々の困難に直面しています。しかし、理想を胸に抱き一歩ずつ、安定的関係を築いていく必要があると決意しています。