おはようございます。今朝の部屋の温度28℃。蝉の声が鳴り響き朝です。今日も暑いね。

使命の庭でがんばる同志に励まされる。信心根本にして、宿命転換の実証を示しつつ、日本の漁業を牽引する生き方は素晴らしい。自身を信じ、未来を変えていく原動力が信心だ。
現実に即した生き方の中に素晴らしい人生がある。今日も生き生きとがんばろう。今日もお元気で。

 

連載〈SOKAの現場〉 ルポ・農漁業に生きる㊤ 高知2022年7月30日

漁獲量・漁業者の激減、魚離れの中で――自然の厳しさを見据え 使命の海で活路を示す

太平洋を望む高知県・黒潮町の鈴漁港で。出港に備える森三二さん㊨、浜田政彦さん㊥、遠山大樹さん

太平洋を望む高知県・黒潮町の鈴漁港で。出港に備える森三二さん㊨、浜田政彦さん㊥、遠山大樹さん

 創価学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」では、上下2回の取材ルポと社会学者・開沼博氏による学会の原動力を探究した寄稿を掲載していく。今回のテーマは「農漁業に生きる」。過疎化や担い手不足で日本の第1次産業が岐路に立たされる中、農漁業に従事する農漁光部の友は、そうした課題にどう向き合っているのか。高知県の漁光部員の取り組みを追った。(取材=小野顕一、加藤伸樹。次回のルポは8月に掲載予定)

 閑静な集落に響くエンジン音。森三二さん(壮年部員)の操る釣り船が、潮風を切って海へ滑り出す。
 黒潮町の山間を抜けた先にある鈴漁港では、海上の釣りイカダから、四季折々に多彩な魚種が楽しめる。
 釣り針にかかった魚を船客が手繰り寄せると、森さんは白い歯をのぞかせた。
 森さんは父親の代からの伊勢エビ漁師。かつては商船に乗っていた。
 「もともと漁師になろうとは思ってなかった。でもやっぱり、この地元の海が好き。だから戻ってきた」
 四方を海に囲まれ、世界に冠たる水揚げ量を誇ってきた日本の漁業が今、危機に瀕している。世界全体の水揚げ量が増える一方で、日本だけが激減。高齢化や過疎化を背景に漁業者は年々、減少し、個人経営体の実に8割が後継者不足に直面している。いわゆる「魚職」離れである。
 高知県では漁業就業支援センターによるセミナーや短期研修が功を奏し、若い漁業者が増加しつつある地域もあるが、課題も残る。
 森さんは鈴の漁業組合の総代。漁師を志す若者を受け入れてはいるが、理想通りにはいかないという。
 鈴は人口約50人の小さな漁村で、漁師の高齢化も進んでいる。伊勢エビ漁の傍ら、漁師7人で始めた遊漁船も、今は森さん一人で営む。「あと10年、いや、5年持つか……」と危機感を募らせる。
 加えて南海トラフ巨大地震の恐れもある。津波が来ればひとたまりもない。
 「とにかく、この町がある限り、俺は海と共に生きていきたい」――焦るでも気負うでもなく、森さんは淡々と言葉を継いだ。

共通の実感

 カツオの一本釣りなどで知られる高知には、温暖な気候や黒潮の恵みに育まれた好漁場が点在する。
 しかし近年、近海での一本釣りで取れるカツオが減っている。回遊が減少したことが一因と考えられ、不漁は慢性化しつつある。
 海が相手の漁師は、温暖化や気候変動といった変化と無関係ではいられない。
 室戸市でサンゴ漁と遊漁船業を兼ねる谷岡隆満さん(志国長=ブロック長)。「特に、この7~8年は黒潮が当たらず、取れる魚が変わってきました。以前は近海でキンメダイが取れましたが、今は2時間ほど船を走らせないと取れません」
 近年は魚の買い取り価格が低迷し、さらに原油価格が上昇。燃料費の高騰は漁師にとって死活問題だ。
 谷岡さんは「明日がどうなるか分からない。それは漁師共通の実感」と言う。

室戸市でサンゴ漁と遊漁船業を営む谷岡隆満さん

室戸市でサンゴ漁と遊漁船業を営む谷岡隆満さん

 海は天候に左右されやすい。準備万端で繰り出したからといって、漁が成功するという保証はなく、水揚げも収入も一定ではない。
 室戸は“台風銀座”。父のカツオやマグロ漁だけでは食べるのが精一杯だったと、谷岡さんは幼い記憶をたどる。支払いは滞り、家を売らざるを得なかった。
 「だから漁師だけは嫌だと思って」上京し、電子部品会社に就職。しかし父に肺がんが見つかり、地元へ戻る。看病しながらアルバイトで家計を助け、「やつれる父が元気になってくれるなら」と、谷岡さんは漁師を選ぶ。街が漁業不振に喘ぐ中での決断だった。
 時を同じくして病魔が谷岡さんを襲う。原因不明の難病であるサルコイドーシスと告げられるが、父も谷岡さんも、信心根本の闘病で病を克服。「原因不明と聞いて、後は信心しかない。全てに実証を示そうと思いました」
 ひとたび海上に出れば、頼れるのは自分だけ。海に落ちて間一髪で命拾いしたこともある。いや応なしに信心の確信が鍛えられた。
 「題目をあげて漁に出ると、不思議と結果がついてくる。それに、先を考えて冷静に行動できるんです」
 サンゴの成長速度は10年で、わずか1センチ。採り過ぎればなくなってしまう。持続的な漁獲を見据え、谷岡さんは遊漁船を兼業する。
 同業者の間でいち早くインターネットを活用し、SNSを通じた釣り動画の配信が根強い人気を集めるなど、先手先手の対応が漁業関係者から注目を集める。
 「受け身じゃなく、自分から動いて状況を開く。そうした能動的な姿勢になれたのも功徳です」と谷岡さん。「厳しい世界だけど、その分、やりがいは大きい」と、今日も海に臨む。

後継者不足

 「漁業を辞めんといけん一番の理由は、後継者がおらんことや」――須崎市でタイの養殖を手掛ける森光英二さん(支部長)。野見湾で漁協の理事を務める。
 安定供給で食を支える養殖漁業は、漁船漁業と並ぶ日本の水産業の柱であり、近い将来、漁船漁業の産出額を上回るともいわれる。
 だが養殖漁業にも人手不足は容赦ない。平成当初は同地に50ほどあった経営体が、現在は10近くにまで減少。森光さんの養殖規模は1万匹から8万匹へと拡大したが、それは後継者が立たず、養殖を諦めざるを得なかった人の分まで請け負ってきたためである。森光さんは後継者に恵まれた。
 「いけすの入れ替えとかは大掛かりやき。基本は手伝い合いや。365日、休みがないき、エサやりとかは支え合わんといけん」

須崎市の野見湾でタイを養殖する森光英二さん

須崎市の野見湾でタイを養殖する森光英二さん

 養殖にはエサ代が必要だが、エサ代を確保するためには魚が売れないといけない。養殖数が大きいほど、このサイクルがうまく回らなければ破綻してしまう。
 コロナ禍に見舞われる中、昨年はギリギリだった。エサ代が枯渇し、翌々月が見えないという窮地で、普段は付き合いのない業者が魚を出荷してくれ、事なきを得た。森光さんは「福運をつけんことには太刀打ちできんよ」と目を細める。
 個人経営体が集約され、変化の波にもまれる漁業界にあって、森光さんが大切にするのは「人格」だ。
 「最後にもの言うのは日頃の付き合いやし、学会である以上、地域に貢献せなあかん」。その持論通り、六つの地域役職を兼務。地元消防団に30年以上所属し、分団長として心を配る。
 森光さんの原点は23歳の時。高知文化会館(当時)で開かれた池田先生との記念撮影会だ。隣に座った先生は「学会を頼むね」と。その一言を胸に携え、森光さんは誠実一路を貫く。
 学会の記念月には50人近い近隣住民が本紙を購読するなど、森光さんへの信用は揺るぎない。地域漁業を信頼という絆で下支えし、激変の時流に抗している。

「魚食」離れ

 止まらない「魚職」離れとともに問題となっているのが「魚食」離れである。
 世界的な魚食ブームの一方、さばき方や調理法の難しさなどの理由から、世代が下がるにつれ、魚介類消費量の落ち込みが際立つ。その中で、漁業者は必死に食を守ろうとしている。
 中土佐町上ノ加江の大高明さん(副県長)と妻の弘さん(女性部副本部長)は、漁業体験施設「わかしや」で、「魚職」と「魚食」両面の魅力を伝えている。
 かつて「日本三大ブリ漁場」の一つとして栄えた上ノ加江。「大漁旗が上がると、学校から帰った子どもたちと総出で漁の手伝いをしたものです。歓声を上げながら、夕食に食べたい魚を予約したりしてね」
 しかし漁獲不振に過疎化が追い打ちをかけ、港は閉塞感に包まれていく。
 大高さんは1978年に学会に入会。同年12月、池田先生は高知を訪問し、“それぞれの道でトップを目指そう”と指導を。期待に応えようと、傾いたハマチ養殖の代わりに長太郎貝や昆布の養殖を導入。東京の葛西臨海水族園や大阪の海遊館にマグロを生きたまま搬入するなど、祈りを武器に創意工夫を湧き立たせた。

漁業体験を通じて地域の活性化と後継者育成に力を注ぐ大高明さん・弘さん夫妻

漁業体験を通じて地域の活性化と後継者育成に力を注ぐ大高明さん・弘さん夫妻

 若くして漁協の専務理事に推され、組合員の生活を守ろうと試行錯誤を重ねる中、2004年に始めたのが「漁業体験」だった。
 船で実際に沖へ出て、漁師に手取り足取り教わりながら漁を体験。伊勢エビやカワハギ、ワタリガニ……次々に取れる獲物が、刺し身や唐揚げ、塩ゆでにされてテーブルに並んでいく。
 漁業体験は口コミで広がり、テレビ取材もひっきりなし。観光バスが往来し、学校の遠足や修学旅行の団体客でにぎわう。海外からツアー客も訪れるまでに。
 「以前は、こんな“陸の孤島”に大型バスが来るなんて夢にも考えられなかった。何より、子どもたちの大はしゃぎの歓声がうれしくて」。“いごっそう(頑固者)”の漁師たちからも満面の笑みがこぼれる。
 地域活性化の成功事例として、漁業体験は「水産白書」にも紹介されている。
 

「わかしや」の漁業体験(上ノ加江支所提供)

「わかしや」の漁業体験(上ノ加江支所提供)

立ち向かう

 日本の漁業は一つの転換期を迎えている。
 北欧では、長期的視点に基づく漁業規制や資源管理が奏功し、水産業が成長産業として定着した事例もある。今、苦しい局面をどうしのぐかが鍵ともいえる。
 大高さんは、高知総県の漁光部長を務める。
 「そりゃ課題はなんぼでもある。せやけど、どんな問題も、まず立ち向かおうとするところに、みんなが団結できるように思う」
 やれることは全てやる。漁業体験では、天候や体験者の状況を考慮し、漁師との連携や仕掛けの段取りなど、綿密に準備を重ねる。
営業の勉強もした。人材育成には特に心を砕いた。ご当地アイドルの「爺―POP」に自ら出演し、地域PRにも余念がない。
 その源には、“今日も大漁であるように”“縁する全ての人に喜んでもらえるように”との祈りがある。
 農漁光部の結成について記された小説『新・人間革命』第24巻「灯台」の章には、漁獲量の減少を嘆く友への激励が記されている。
 “仏法では、自分自身の一念で、国土も変えていくことができると教えています。根本はお題目です。何があっても負けない、強い信心の一念があれば、一切の環境を変えられる。それが三変土田の法理です”
 さらに池田先生は「創価学会には、世の暗夜を照らす“灯台”となる使命がある」と同部に期待する。
 「あきらめと無気力の闇に包まれた時代の閉塞を破るのは、人間の英知と信念の光彩だ。一人ひとりが、あの地、この地で、蘇生の光を送る灯台となって、社会の航路を照らし出すのだ。そこに、創価学会の使命がある」――まさしく、高知の漁光部の友が鮮烈に示していたのは、苦境の時ほど知恵を絞り、活路を見いだす「英知」、そして、自ら決めた誓いの天地に生きる「信念」の輝きであった。
 先が見えない。状況が苦しい……。それなら自分が輝けばいい。たとえ今、花を咲かせられなくとも、不屈の光で希望を指し示し、未来を照らし出す。その向こうに必ず道は開く。
 自然の厳しさを誰よりも肌身で知る漁光部の友が、使命の海で体現する創価の実像である。

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