おはようございます。今朝の部屋の温度28℃。愚かな戦争をやめるには正しい哲学が必要。戦争を起こす心を退治する以外にない。

「心ある人々は、いかなる困難に遭遇しても、蘇生と前進を促す希望の宗教を、そして、人間の内なる可能性を開く哲学を待望しているのです。〈釈尊――法華経――日蓮大聖人――創価学会〉という地涌の人間主義の系譜を持つ仏教を世界が希求しています。」と。
今日も対話運動で世界の流れを変えよう。今日もお元気で。

 

〈英知の光源 希望の哲理に学ぶ〉2022年7月3日

テーマ:仏法の時代観

 連載「英知の光源 希望の哲理に学ぶ」では、日蓮大聖人の仏法を研さんするに当たって、さらなる理解のためにキーワードとなる教学用語や法理を解説。また、関連する池田先生の指導を掲載します。今回のテーマは「仏法の時代観」。混迷の時代に創価の思想を語り広げる使命を考察します。

池田先生の指導から

 私たちの住む地球は、グローバル化の一面、悲惨と不幸が拡大し、世界中が濁劫(時代の濁り)悪世の様相を見せております。人間に対する根本的な不信が増長している現代は、いわば世界規模で「末法」の実態が広がっているともいえる。
 だからこそ、心ある人々は、いかなる困難に遭遇しても、蘇生と前進を促す希望の宗教を、そして、人間の内なる可能性を開く哲学を待望しているのです。〈釈尊――法華経――日蓮大聖人――創価学会〉という地涌の人間主義の系譜を持つ仏教を世界が希求しています。
 学会員が地涌の本領を発揮する時代を迎えました。末法の「長き闇を照す」人間群が誕生することを、多くの人々が祝福して求めています。(中略)
 「太陽の仏法」を持った私たちは、いやまして「人間革命の光」を社会へ、世界へ、未来へ放ちゆくことを決意し合って、師弟共戦の新たな広布の旅を力強く出発しようではありませんか。(『世界広布新時代の指針』)

Q1:釈尊滅後、徐々に仏法の力が衰える――末法思想について教えてください。

 仏法では、釈尊入滅から正法像法と時代を下るほど仏法の力が衰微していき、末法に至るという「三時」を説きます。大集経では、時代の推移を500年ごとに区切って論じています。末法は、その五番目の時代に当たる、闘諍言訟・白法隠没(仏教の争いが絶えず、正しい教えが見失われる時代)とされます。
 日本で「末法到来」と考えられていたのは、永承7年(1052年)です。その後、平安後期に、貴族の世から武士の世へと、転換期を迎えていきます。
 既存の価値観が揺らぎ、飢饉や疫病、戦乱や自然災害が頻発していた混迷の時代。当時を生きた鴨長明の「方丈記」には、「変はりゆくかたちありさま、目もあてられぬこと多かり」と、騒然とした状況が記されています。
 こうした中、仏教の末法思想が一種の“終末観”として人々の心を捉え、社会全体に不安や絶望感がまん延していきました。法然が説いた念仏信仰が現実逃避の厭世主義として流行したのも、この頃です。思想界も「雑乱」していたのです。
 とりわけ、日蓮大聖人が教えを説かれた鎌倉時代は、仏教諸宗派が入り乱れ、正しい教えが見失われて、争いや災禍が絶えず、苦悩にあえぐ民衆の姿は酸鼻を極めていました。
 御聖訓には「今、末法に入って二百二十余年、五濁強盛にして三災しきりに起こり」(新1396・全1030)と仰せです。人々は今まさに末法という五濁悪世を生きている――大聖人はその感を強くされていたことでしょう。
 しかし大聖人は、決して現実を悲観するだけではありませんでした。

Q2:日蓮大聖人は当時の状況を、どのように捉えていたのでしょうか。

 日蓮大聖人は「顕仏未来記」で、末法という時に生まれた御心情を、「一たびは歎いて云わく」(新606・全505)と述べられています。ところが、続く御文では一転して、「喜んで云わく、いかなる幸いあって、後の五百歳に生まれてこの真文を拝見することぞや」(同)と仰せになり、悪世末法に生まれ合わせたことを最大に喜ばれています。
 それはなぜか。
 法華経薬王品第23には「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無かれ」(法華経601ページ、趣意)とあります。
 大聖人はこの一節を踏まえ、法滅の危機を迎える「第五の五百歳」の悪世末法こそ、世界広宣流布の時であり、妙法を弘め、一切衆生を幸福にすべきことを仏は命じていると、深く確信されていたのです。ゆえに、「法華経の大白法が、日本だけでなく全世界に広宣流布することは疑いない」(新173・全265、通解)と断言されています。
 正法が失われ、災禍が続く“嘆き”の時代から、真実の大法が開花し、世界広宣流布が実現しゆく“喜び”の時代へ――大聖人は、「苦悩の民衆を真に救済する法は何か」という視座から末法を深く捉え返し、時代の意味を大きく転換されました。
 そこには、民衆自身の中に、悪世の苦難にも屈せず、困難に打ち勝つことができる無限の力があるという、尊極の生命を直視する慈愛の“まなざし”もあったに違いありません。

Q3:現実を嘆くのではなく、現実を変革する仏法なのですね。

 「夫れ、仏法を学せん法は、必ずまず時をならうべし」(新160・全256)、「仏教を弘めん人は必ず時を知るべし」(新478・全439)――日蓮大聖人は御書の中で、繰り返し「時を知る」ことの重要性を強調されています。
 今が、いかなる時か。今、どのような戦いを起こすべきか。
 時を知り、時に応じて立ち上がり、自らの戦いで新たな時代を切り開いていく。これこそ、末法における広布の使命に立ち上がられた御本仏の誇りです。
 御聖訓には、「かかる時刻に日蓮仏勅を蒙ってこの土に生まれけるこそ時の不祥なれ」(新600・全501)と、悪世末法に仏の命を受けて生まれたことは、まさに時の不運であると仰せです。
 これは決して、現実を悲観されているわけではありません。むしろ、悪世の試練を覚悟の上で、御自身の妙法弘通の使命を宣言されるとともに、弟子たちに共戦の決意を促されていると拝すことができるでしょう。
 この生き方に連なることで、私たち自身の境涯も大きく広がることは間違いありません。
 新型コロナウイルスの世界的な流行や、不安定な国際情勢。気候変動やエネルギー問題など、山積する地球的問題群の数々。
 先が見通せない危機の時代ともいわれる現代にあって、希望の哲理を語り広げ、時代の閉塞感を打ち破るのは、大聖人直結で進む私たちの使命です。
 立正安国の誓いに燃える一人一人の対話によって、民衆が真に輝く未来は創られるのです。