〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 友との語らいから2022年1月14日

  • 人との絆が新たな価値を創る

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は小説『新・人間革命』から、山本伸一と友との語らいを、Q&Aで掲載します。

画・内田健一郎

画・内田健一郎

Q 性格は、信心をしても変わらないのでしょうか?
A 短所を長所に変える信心の力

 〈1978年(昭和53年)5月、山口県・大歳支部の座談会で〉
 
 「性格について、仏法では“後世まで変わらないのが性分である”ととらえています。
 
 つまり、その人のもって生まれた性格自体は、変わらないということです。
 
 たとえば、細かいことを気にする人がいます。そういう性格の人は、人に何かひとこと言われただけで、不安になったり、傷ついたりしてしまいがちです。また、他人の小さな欠点が気になって仕方がない。そして、結局、日々、悶々としながら過ごすことになってしまう。では、その人が信心に励み、人間革命していくと、どうなるのか。
 
 細心であるという性格は変わりません。しかし、人に言われたひとことを真摯に受けとめ、自分を向上させる糧にしていくようになります。また、他人の小さな欠点に気づくことは同じですが、その欠点を自分はどうやって補ってあげられるかという心配りができるようになる。さらに、他人の長所にも気づくようになります。
 
 細かいことが気になる人は、こまやかな気遣い、配慮ができるということです。その能力が最大に発揮されることになるんです。
 よく戸田先生は、こんな譬えを引かれていました。
 
 ――川がある。川幅や流れの形は、基本的には変わらない。これが性格である。しかし、泥水が流れ、飲むこともできなかった川の水を、清浄極まりない水に変えることができる。これが信心の力であり、人間革命ということである。
 
 自分の性格というのは、いわば個性です。そこに自分らしさもある」
 
 (第27巻「激闘」の章、312~313ページ)
 

Q 私の母は、私が信心していることを理解してくれません。どうすればよいでしょうか?
A 幸せの実証で学会の理解者に

 〈1968年(昭和43年)10月、富士宮市上条での座談会で〉
 
 「お母さんは信心に反対だというけれど、それは、仏法のこと、学会のことが、よくわからないからです。あなたがかわいいから、心配して反対するんです。あなたが信心によって幸福の実証を示し、さらにお母さんが本当に誇りに思える娘さんになれば、必ず信心に理解を示すようになりますよ。娘の幸福を願わない母親なんて、いないんですから。
 
 私の母も、最初は信心しませんでした。でも、私は、母を絶対に幸せにしてみせると決意しました。今では学会員として幸福に暮らしています。
 
 あなたも、何があっても負けないで信心を全うし、お母さんにも仏法を教え、幸せにしていくんですよ。それが、娘としての義務であり、使命であると思ってください」
 
 (第13巻「北斗」の章、182~183ページ)
 

Q 人と人のつながりを、仏法では、どのように説いているのでしょうか?
A 互いに助け合う「縁起」の哲学

 〈1960年(昭和35年)10月、アメリカの青年たちとの歓談で〉
 
 「仏法の基本には、『縁起』という考え方があります。これは『縁りて起こる』ということで、すべての現象は、さまざまな原因と条件が相互に関係し合って生ずるという意味です。つまり、いかなる物事もたった一つだけで成り立つということはなく、すべては、互いに依存し、影響し合って成立すると、仏法では説いているんです。同じように、人間も、自分一人だけで存在しているのではありません。互いに、寄り合い、助け合うことで、生きているのだと教えています。この発想からは、人を排斥するという考えは生まれません。むしろ、他者をどう生かすか、よりよい人間関係をどうつくり、いかに価値を創造していくかという思考に立つはずです」
 
 (第1巻「錦秋」の章、182~183ページ)
 

2004年8月、群馬で日輪のまばゆい光を池田先生が撮影。「法華経の行者は日輪と師子とのごとし」(新1688・全1219)――われらは明るく堂々と、闇を照らす希望の太陽に

2004年8月、群馬で日輪のまばゆい光を池田先生が撮影。「法華経の行者は日輪と師子とのごとし」(新1688・全1219)――われらは明るく堂々と、闇を照らす希望の太陽に

Q 自分の信じる宗教は正しく、最高の教えであるというのは独善的で危険ではないでしょうか?
A 宗教を検証し「独善」を排する

 〈1961年(昭和36年)2月、インドを訪問中、同行の青年からの質問に答える〉
 
 「『自分は信じている。ゆえに正しい』と言うのであれば、それは独善です。だから、学会は、牧口先生以来、徹底して宗教を研究してきた。文献的な証拠のうえから、道理のうえから、現証のうえから、普遍的、客観的な尺度で、あらゆる宗教を検証してきました。そして、現実に百何十万世帯もの人が、幸福になった。
 
 その結論として、私たちは、日蓮大聖人の仏法こそ万人を幸福にできる、最高最大の教えであると主張しているわけです。
 
 さらに、異なる信仰、意見をもつ人と積極的に議論し語り合おうと、座談会という社会に開かれた対話の場をもっている。独善を排するために、語らいの場を大切にしているんです」
 
 (第3巻「月氏」の章、132ページ)
 

Q 病気などの宿命は、信心で乗り越えることができるんでしょうか?
A 日蓮仏法は全ての宿業を転換

 〈1965年(昭和40年)11月、関西で壮年との懇談に臨んで〉
 
 「どんなに深い宿業だろうが、必ず断ち切っていけるのが、日蓮大聖人の大仏法です。
 
 あなたは、“それにしても、これほどまでに苦しまなければならないのか”と思っているかもしれませんが、私たちは、今世の謗法の罪はわかっても、過去世の罪はわかりません。過去世に、大謗法を犯し、深い宿業をもっているかもしれない。
 
 本来、その宿業は少しずつしか出ないために、何世にもわたって、長い間、苦しまなければならない。
 
 しかし、信心に励むことによって、これまでの宿業が、一気に出てくる。そして、もっと重い苦しみを受けるところを、軽く受け、それで宿業を転換できる。『転重軽受』です。
 
 宿業による病苦を乗り越えるには、正法誹謗の罪を、御本尊に心からお詫びし、唱題することです。
 
 提婆達多にそそのかされて仏弟子を殺し、仏を苦しめ抜いた阿闍世王は、その罪によって業病にかかる。だが、悪逆の限りを尽くした阿闍世王でさえも、釈尊にお会いして罪を悔い、お詫びすることで、たちまちのうちに、その病が癒えたと御書にある。
 
 大聖人は、『諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし』(全1439・新2062)と仰せですが、それが御本尊の偉大なる功徳力です」
 
 (第10巻「桂冠」の章、300~301ページ)
 

Q 信心をする目的とは、なんでしょうか?
A 自他共の幸福と人類の平和を

 〈1964年(昭和39年)10月、フランスでの友との語らいで〉
 
 「個人に即していえば、一生成仏です。それは、自分自身の永遠に崩れることのない、絶対的幸福境涯を築くことです。もっと、わかりやすくいえば、何があっても、負けない自分をつくりあげていくことです。つまり、人間革命です。
 
 しかし、それだけではありません。仏法者の使命という観点からいえば、広宣流布ということです。広宣流布というのは、人びとに、正しい仏法を教えて、みんなを幸福にしていくことです。人類の平和を築き上げることです」
 
 (第9巻「光彩」の章、265ページ)