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今年最後の土曜日ですね。この一年、なんとか前に進むことができましたね。来年の目標を掲げ出発の準備に残りの日々を使っていこう。立正安国も、どこまでも人間革命から出発し、今の自分の壁を乗り越えて築くもの。今日より明日へと。今日もお元気で!

 

【御生誕800年】日本思想史・文化史の第一人者 東北大学大学院 佐藤弘夫教授に聞く㊤2021年12月25日

  • 〈日蓮大聖人御生誕800年記念インタビュー〉

 日蓮大聖人の御聖誕800年を迎えた本年も、あとわずか。気候変動やコロナ禍といった未曽有の危機の時代にあって、日本思想史・文化史の第一人者であり、日蓮大聖人の代表的研究者としても著名な東北大学大学院の佐藤弘夫教授は、日蓮仏法の現代的意義をどのように考えているのか。インタビューを上下2回にわたり掲載する。(聞き手=小野顕一、村上進)

民衆が主体性を発揮する中に
立正安国の思想の本質がある

 〈日蓮大聖人御聖誕800年という時節を、どう見つめておられますか〉
   
 私は、日蓮が生きた13世紀と現代の様相が、とても似ている印象を受けます。
 13世紀は寒冷化が進むなど気候的な変化があった時期ともいわれ、自然災害が頻発し、飢饉や疫病が相次いで発生しました。日蓮が「立正安国論」を著す前の正嘉元年(1257年)には、鎌倉地方を巨大な地震が襲っています。一方、現代に生きる私たちは10年前に東日本大震災を経験し、気候変動やコロナ禍という未曽有の困難に直面しています。どちらも、時代状況が大きく様変わりする中で迎える、一つの節目に当たっているのではないかと思います。
 
 もう一点、指摘できるのは、800年前も現代も、思想が壁に突き当たっている時代であるということです。
 日蓮が生まれる前の時代は伝統仏教が国家に定着していたわけですが、それはあくまで国家の権力者のためのもので、一般民衆の生活は視野の外に置かれていました。一方で、12世紀末に法然が始めた専修念仏は、誰にでも実践可能で平等な救済にあずかれるという思想であり、庶民の圧倒的支持を得て爆発的な流行を見せていたのです。
 ところが、法然ら浄土教系の祖師たちは理想を来世に求めたため、人々は日常の生活改善には関心を持ちにくくなっていました。そこへ飢餓や災害が次々と襲い、地獄のごとき様相を呈していくのが800年前の状況です。そういった時に日蓮は生まれたのです。
 
 一方で、現代の思想的混乱は何かというと、私は、近代化に伴う人間中心主義に起因するものだと考えています。人間の理性が進化するほどに社会も成長し、理想的な世界が実現するという思考は、徐々に社会から人間以外のものを追放してきました。
 気候変動や感染症の拡大といった人類的課題は、近代化や人間中心主義の広がりの弊害ともいえます。しかし、だとすれば、私たちは代わりにどのような道を歩めばいいのか。それを見いだせてはいません。
 人々が未聞の困難に向き合わざるを得ず、思想が行き詰まりを見せ、自分以外のものに目を向けることができない。800年前と現代には、そのような共通性を見ることができるのではないでしょうか。

日蓮大聖人御聖誕の地である、現在の千葉・鴨川市から大海原を望む

日蓮大聖人御聖誕の地である、現在の千葉・鴨川市から大海原を望む

 〈日蓮大聖人が御聖誕になった時代、仏教はどのように受容されていたのでしょうか〉
   
 仏教は古代から日本に存在してきましたが、当時は、神や仏の存在を、目の前にある仏像などとしてしか認知できないような時代でした。目に見えない浄土や成仏といった概念が人々に実感されるようになったのは、11、12世紀辺りからです。
 それ以前に、最澄や空海というような天才的な思想家が現れてはいましたが、鎌倉時代以前の仏教は、あくまで「学問」でした。僧侶は、いわば国家公務員のようなものであり、国のために学び、国のために祈るのが仕事だったのです。
 
 平安時代後期に入ると、庶民の間に入って仏教を実践するような人が現れはじめますが、その背景となるような思想を深めるには至っていません。
 相次ぐ飢饉や疫病など、人間の力の及ばない事象に直面する中で、従来の形式的で論理だけの伝統仏教をどうやって現実に適合させていけばいいのか。こうした問題意識が初めて起こったのが鎌倉時代というように考えることもできます。
 仏教を理屈や学問ではなく、実際に人々を救う力として昇華させていこうとしたのが、法然や親鸞、道元、日蓮ら、鎌倉仏教の祖師たちです。彼らは、それぞれの問題意識と解釈、そして実践で、現実に立ち向かっていきました。私は、この鎌倉仏教が日本を代表する思想の一つであり、世界遺産ともいうべき重みがあると考えています。 

革命的な転換

 〈鎌倉時代の祖師たちと比較する中で際立つ、日蓮大聖人の思想について教えてください〉
   
 例えば、地域の人口が激減するような正嘉の飢饉にあって、日蓮は東国で、親鸞は京都で、同じように凄惨な光景を目の当たりにしています。
 この災厄に触れて、親鸞は“非常に大変で、かわいそうなことではあるけれども、仏がすでに説いたことであるのだから、今さら驚いてはいけない”と記しています。彼にとって、究極の救いは来世にありました。次々に人が亡くなっていくが、人間の力ではどうしようもない。今は地獄の苦しみかもしれないが、浄土では永久に救われるのだ――と。親鸞自身の解釈で現実を受け止め、ではどうすれば限りある命の中でこの苦難を越えていけるのかと思索を深め、独自の信仰をつくっていったのです。
 
 一方、日蓮は親鸞のようには考えることができませんでした。
 目の前で苦しみに喘ぐ人々に、この世での幸福を断念せよとはいえない。今、この人に何かできることはないだろうか――その止むに止まれぬ思いが立正安国論の著述へと結実し、新しい信仰として実を結んでいきました。そこに日蓮の独自性があると考えられます。その問題意識にあったのは、一貫した民衆への眼差しです。
   
 〈日蓮大聖人の「立正安国論」の御真筆に書かれた「国」の字は、くにがまえに「玉」ではなく、「民」が多く使われています。民衆の側に立って災害を捉えられた「立正安国」との言葉には、どのような意味が込められているのでしょうか〉
   
 日蓮にとって「安国」とは、天皇や特定の権力者の安泰を意味するものではなく、あくまで民衆と国土の安穏を意味していました。今、眼前で絶望し、嘆き耐え忍ぶ人――そこから現実的な発想を展開しているのです。従来の伝統仏教では「時の権力者・支配体制の安泰」を「安国の目的」としていましたが、日蓮にとってそれは「安国の手段」に過ぎませんでした。ここに日蓮の革命的な転換があるように思います。こうした論理は必然的に国家と正面から向き合うものとなりました。鎌倉仏教の中でも際立って特色のある考え方であり、日蓮は国家権力を相対化するような視点を確立した近代以前の唯一の思想家ともいえるのです。
 
 しかし、日蓮の安国の理念は、幕末維新期の動乱を経て、日本が天皇制国家として踏み出す中で、体制護持の思想として田中智学らによって再解釈され、戦前・戦中は日蓮主義として宣揚されていきます。戦後、それまでの天皇や国家に対する賛美と聖化は影を潜め、日蓮への評価は一転しました。いわば、日蓮仏法は戦争翼賛のための国家主義礼賛の教理に歪められ、誤解を払拭されないまま戦後に否定されたのです。
 
 一方で、国家に論及しない親鸞や道元の再評価が始まり、特に親鸞を基準に鎌倉仏教の祖師を評価する立場は、学界に大きな影響を及ぼしました。仏教界では、立正安国論を日蓮の思想が完成する以前の未熟な著作とみなし、宗学から排除する方針も高まりました。
 日本の思想書の中で、立正安国論ほど評価が激しく分裂し、解釈が劇的に変遷した書は珍しいといえます。日蓮が39歳の時に記した初期の頃の著述ではありますが、日蓮はその後も改訂を加え、生涯にわたって立正安国の論理を追求していきました。

日蓮大聖人が時の為政者に提出された「立正安国論」(御書新版)

日蓮大聖人が時の為政者に提出された「立正安国論」(御書新版)

二つの論理

 〈日蓮大聖人の弘法の御生涯は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれます〉
   
 立正安国論の思想構造を厳密に見ると、そこには二つの論理があるといえます。
 天変地夭による飢饉と悪疫の流行に対し、その対策を記した立正安国論は、幕府の時の最高権力者である前執権・北条時頼に提出された意見書です。「主人」と「客」との対話形式が取られ、日蓮の主張を代弁する主人は、頻発する災害の原因を、悪法が流布したために国土を守護するはずの善神が日本を捨てて去り、代わりに悪鬼邪神が跋扈しているためであると主張します。
 
 日蓮が何より心を痛めていたのは、人々が災害や飢饉に苦しむことでした。見渡せば死体があふれ、生きるか死ぬかの状況です。そのような時に「正しい教えを信じれば成仏できますよ」と言っても、庶民に言葉が届くはずがありません。まず目の前にある危機をどのように乗り越えていくのか――それが、立正安国論の第一の論理です。
 
 立正安国論の執筆当時に日蓮が展望していたのは、伝統仏教の復興による国土の安穏の実現でした。
 日蓮というと、ともすれば極めて独善的なイメージに思われがちです。しかし、立正安国論での念仏批判の論理を見ても、日蓮が非難したのは、あくまで念仏の排他性のゆえでした。法然が浄土教の教え以外を「捨閉閣抛(捨てよ、閉じよ、閣け、抛て)」せよと主張していたことを問題視し、日蓮は排他的な念仏思想を責めたのです。日蓮は決して独善的ではなく、寛容な立場であったと私は考えています。

 もう一つ、立正安国論には、第二の論理があります。
 一般的には念仏批判の書として捉えられている立正安国論ですが、それでは思想的混乱が収まり、社会が平穏になったらそれでいいのか、という問題があるように思います。一番大事な仏教の悟りについて、言及がされていないからです。
 
 ここで注目すべきは、立正安国論の第9段にある主人の「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり」という言葉です。日蓮の考えは、まず法然の念仏を禁止し、仏教を本来の状態に戻す。その上で、一人一人が信仰の自己変革によって、仏国土を実現させていくという発想に立っていたのです。
 仏国土とは、単に飢饉や疫病がない状況をいうわけではありません。個々人の悟りの顕現をもっての国土の安穏です。「なぜ生きるのか」「どうして死があるのか」というような、世俗的な価値の追求だけでは答えが出ない人生の本質的な問題に対し、「実乗の一善」に基づくことで解決を促し、その結果として、真の意味で安国の実現が可能であると説かれているのです。

実乗の一善

 〈第2代会長の戸田先生は「幸福」について、経済的な豊かさや社会的地位といった自分の外の世界から得られる「相対的幸福」と、いかなる困難や試練にも負けることなく、生きていること自体が楽しくて仕方がないという境涯の確立である「絶対的幸福」の二つがあると立て分けられました。立正安国論前半の世俗的価値は相対的幸福について、後半の悟りの顕現は絶対的幸福について示されたものと受け取れるでしょうか〉
   
 そのようにも言えるでしょう。目の前の苦悩に対して、まずはやるべきことをやらなければいけない。病気で苦しんでいるのであれば、薬を飲んだり、病院にかかったりして、病を治すのが先決です。しかし、それだけでは、揺るがざる幸福という根本的な救済につながるとは限らない。
 現代に当てはめて言えば、医療や社会的対策を尽くし、コロナ禍を収束させるのはもちろん大事なことです。しかし、この立正安国論の視点から現代を見つめれば、重要なのは「その先」であるとの視座がうかがえるのです。気候変動など人類的諸課題が立ちはだかるこれからの時代を、自分はどのように生きていくのか。一人一人がどのような生き方をしていくべきかが問われているのです。
 
 人々が餓死の恐怖から解放され、道端に死体が累々と横たわっている状況を改善することで、落ち着いて信仰に専念できるような客観的状況を確立し、それぞれが「実乗の一善」を選び取っていく。ここで指摘しておきたいのは、この「実乗の一善」の実践が、強制や押し付けではできないということです。上からではない下からの変革のベクトルであり、民衆の一人一人が客体ではなく主体となって、初めて安国があるといえるのです。

 〈立正安国論に込められたメッセージを、創価学会では「人間革命」という理念で受け止め、実践を続けてきました〉
   
 ここに創価学会の凄さがあるように思います。私は多くの創価学会員を知っていますが、そこには、社会で言うに言われぬ差別を受けてきた人も多数いました。
 学会の中では、出自や社会的地位など全く関係なく、喜々として信仰に励んでいるように見えます。日蓮の「実乗の一善」で提示されている価値観も、国家にも民族にもよらない、人間としての普遍的な理念ではないでしょうか。あらゆる差異を超える本質的な仏性という視点は、地球的な課題を考える上でも欠かせないものです。
 一人一人に光を当て、その一人が自らの人生をより良く変える中で、社会を変え、世界を変えていこうとする――この主体性は、日蓮の基本的な立場であり、立正安国論の本質にも通じるものだと思います。
(㊦は26日付に掲載予定)

 
 
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