真実は必ず勝つ。勇気の行動で世界は変わり、平和は生まれる。--北アイルランドの平和活動家・ベティ・ウィリアムズ氏との語らい2021年7月22日

  • 連載〈扉をひらく 池田先生の対話録Ⅲ〉第19回

「池田会長! 会長は長い間、私にとっての『ヒーロー』でした。ようやく、お会いできました!」――ウィリアムズ氏が開口一番に伝えると、池田先生は「偉大なる平和の大行進のお母さん、世界の子どものお母さん、ようこそ!」と(2006年11月6日、東京牧口記念会館で)

「池田会長! 会長は長い間、私にとっての『ヒーロー』でした。ようやく、お会いできました!」――ウィリアムズ氏が開口一番に伝えると、池田先生は「偉大なる平和の大行進のお母さん、世界の子どものお母さん、ようこそ!」と(2006年11月6日、東京牧口記念会館で)

もう黙っているわけにはいかない!

 もうたくさんだった。何の罪もない子どもが犠牲になるのは。
 もう限界だった。これ以上、怒りを押しとどめるのは。
  
 45年前のその日、混乱の地に一人立った無名の母の叫びは、瞬く間に市中に広がっていき、時代を画する大行進となった。
  
 1976年8月10日、北アイルランドのベルファストで起こった銃撃戦。惨劇はベティ・ウィリアムズ氏と愛娘の目の前で起きた。
  
 警官の発砲で暴走したテロリストの車が母子連れに突っ込み、幼子3人の命が失われたのだ。
  
 家に帰り着いた氏は、自宅のガレージで泣き叫んだ。「こんな悲劇は絶対に終わらせなければならない! もう黙っているわけにはいかない!」。魂の絶叫だった。
  
 氏は、即座に行動に出る。一軒また一軒と扉をノックし、平和を求めて署名運動を始めたのだ。
  
 領土や宗教を巡り、北アイルランドでは数世紀にわたって紛争が続いてきた。1960年代にプロテスタント系住民とカトリック系住民の対立が激化し、テロの応酬で3000人以上が犠牲になった。氏自身も爆発に巻き込まれ、左耳の聴力を失っている。
  
 署名を始めた時、氏は33歳。
  
 何の権限もない、何の立場もない、一人の若き母だったが、「これに署名してください!」「テロの魔の手から幼子を守ろう!」と紛争地帯に飛び込んだ。“どちらの陣営”だろうが関係ない。報復を恐れて躊躇する人の心にも、彼女の熱意は燃え伝わった。
  
 この日、市民は続々と署名運動に連なり、悲劇から2日後、署名は6000を数えるまでに。
  
 やがて署名運動は、女性を中心とした「平和の行進」へと発展。回を追うごとに、1万人、3万人、6万人と、平和を願う連帯が広がっていく。
  
 対立していた住民同士が手と手を取り合い、あの日、テロの犠牲となった幼子たちが眠る墓地まで行進した。
  
 一女性の勇気が、憎悪の壁を壊し、平和の大潮流を生んだのだ。
  

臆病は伝染する。しかし、勇気も伝染するーーこの信念のまま、ウィリアムズ氏㊧は、メイリード・コリガン氏と共に、「平和の行進」の先頭に立った(1976年)©Photo by Bettmann/Getty Images

臆病は伝染する。しかし、勇気も伝染するーーこの信念のまま、ウィリアムズ氏㊧は、メイリード・コリガン氏と共に、「平和の行進」の先頭に立った(1976年)©Photo by Bettmann/Getty Images

悪への怒りは、極善

 「正義の怒りを、平和創造の力に変えてきました」
  
 2006年11月6日、東京牧口記念会館を訪れたウィリアムズ氏は、澄んだ瞳で来し方を語った。
  
 池田先生は「仏法では“怒りは善悪に通じる”と説きます」と応じ、「極悪に対して怒りを燃やすことは、極善です。臆病は、絶対に正義ではありません」と、氏の行動をたたえている。
  
 氏の持論がある。「真実をはっきりと話せば、相手も真実を話してくれる」というものだ。
  
 それゆえ噓は許せない。「私は噓が嫌いなのです。噓は人を殺します。噓は子どもを殺します」と先生との会見でも強調している。
  
 問題の解決を避ける詭弁。現実から目を背ける沈黙……。「いかなる戦争も最初に消え失せるのは『真実』です。戦争は噓また噓で飾られている」と、氏は、本音の対話を訴えてきた。76年の「平和の行進」の後には、抗争の原因そのものの解決に取り組んでいる。
  
 宗教などで学校が分離され、互いの憎しみを募らせる教育が、対立の根をより深くしていることに着目。同国で初となる、宗教的背景の異なる子が一緒に学び合える学校の設立に尽力した。
  
 草の根の運動が評価され、1977年10月、ウィリアムズ氏はノーベル平和賞を受賞する。政治家などではない一市民への授賞は異例であり、喝采が寄せられた。
  
 しかし、称賛が高まるほどに、非難や中傷も相次ぐ。“無学な女性たちの運動”と揶揄されたこともある。そんな雑音など意に介さず、彼女は信念を貫いた。
  
 アメリカに移り住み、女性と子どものための活動を展開。発展途上国にも身を置き、97年には世界子ども慈愛センターを創設した。母子が安心して暮らせる社会への献身を続けてきたのである。
  

イタリア・フィレンツェ市から池田先生に贈られた「名誉市民」称号の授与式。ウィリアムズ氏(右から2人目)も祝福に駆け付けた(2017年3月)

イタリア・フィレンツェ市から池田先生に贈られた「名誉市民」称号の授与式。ウィリアムズ氏(右から2人目)も祝福に駆け付けた(2017年3月)

噓のない真実が勝利する社会へ

 「長年の戦いの中で、最もうれしかったことはなんでしょうか?」
  
 池田先生が問い掛けると、ウィリアムズ氏は微笑を浮かべた。
  
 「『もう疲れた』と感じることもありましたし、『もう続けられない』と思ったこともありました。子どもたちからは、『なぜ、僕たちを置いてきぼりにして平和のための活動をしなければいけないの?』と言われたこともありました」
  
 だが、氏の息子は、大人になったある日、こう述べたという。
  
 「母さん、僕ね、今のこんなご時世だからこそ分かってきたんだけど、僕らが幼い頃に母さんがやってきたことは、僕が死なないように、僕の命を救うための闘いだったんだね」と――。
  
 世間の無理解や偏見のみならず、時に家族の思いにさえ応えられていないのでは、というような焦りの中で、それでも、より良い社会を目指して汗を流す。その葛藤の先に築かれゆく平和に、氏は深い喜びを見いだしていた。
  
 「私は、創価学会が、どれほど茨の道を歩んできたかを知っています」と氏は言う。平和を願う無名の母たちが、世界の至る所で人々に尽くす姿を目の当たりにしてきたからであろう。
  
 ウィリアムズ氏は語っている。
  
 「創価の皆さま方にお会いして、女性が世界を変えるという動きが、現実に始まっていることを確信しました。学会員には、正義、慈悲、平和の感覚があります。何万もの会員が、生命を一変させているのです」
  
 2006年11月の語らいで、池田先生は述べた。
  
 「戦争を起こすのも人間です。平和を築くのも人間です。私たちは、粘り強い対話によって、時代を変え、人間の心を変えていくしかありません」
  
 ウィリアムズ氏が応じる。
  
 「いつの時代でも、どんなに噓で塗り固めても、必ず、噓は剝ぎ取られ、真実は浮かび上がってくるものです」
  
 語らいの最後に先生は尋ねた。
  
 「21世紀を生きる子どもたちに、贈りたいメッセージは何ですか?」
  
 「おそらくは、池田会長と奥さまが伝えていらっしゃるメッセージと同じだと思いますが」――こう前置きをしつつ、氏は言葉を続けた。
  
 「これ以外に道はない。平和だけが道なのだ」
  
 母と子の笑顔が輝きわたる未来へ、噓のない真実が勝利する社会へ、勇気の行進は続いていく。
  

【プロフィル】
ベティ・ウィリアムズ 1943年5月22日、北アイルランド・ベルファスト生まれ。76年8月、警官に射殺されたテロリストの車が暴走し、道端にいた3人の子どもをはねて死亡させる事件に遭遇。亡くなった一人の叔母であるコリガン氏と共に平和を求める署名運動を開始した。北アイルランド紛争の解決を求める世界的波動を広げた功績により、翌77年、コリガン氏と共に76年度のノーベル平和賞が追贈された。2020年3月、76歳で死去。
  
  
  

【引用・参考文献】
ダライ・ラマ/デズモンド・ツツ/ベティ・ウィリアムズ著『絶望から立ち直る方法を教えてください』野村正次郎/根本裕史訳・株式会社アスペクト、栩木伸明著『アイルランド紀行』中央公論新社、ポール・アーサー/キース・ジェフェリー著『北アイルランド現代史――紛争から和平へ』門倉俊雄訳・彩流社、海老島均・山下理恵子編著『アイルランドを知るための70章』明石書店。
   
   
   
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