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【御聖誕800年】ドイツ語版「御書」監修者のグリンツァー博士にインタビュー2021年3月30日

〈日蓮大聖人御聖誕800年記念インタビュー〉

 日蓮大聖人が1222年(貞応元年)2月に御聖誕されてから、本年は数えで800年。ドイツ語版「御書」第1巻の監修を務めたヘルビッヒ・シュミット・グリンツァー博士に、現代社会における仏法哲学の価値について聞いた。(聞き手=金田陽介)

 【プロフィル】テュービンゲン大学教授。1973年、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学で博士号を取得。ドイツにおける仏教研究の大家で、2014年に発刊されたドイツ語版「御書」第1巻を監修した。ヴォルフェンビュッテル市のヘルツォーク・アウグスト図書館館長、ゲッティンゲン大学教授等を経て現職。
 
 
 

希望と確信は輝く

 ――2014年発刊のドイツ語版「御書」第1巻を監修されました。御書を通じて、日蓮大聖人の人物像について、どのような印象を受けましたか。
  
 日蓮は、卓越した仏法の師でした。「法華経」の教えを実践することが、仏道を歩む上で最も重要であると覚りました。そして、敵意や迫害に屈することなく、常に他者との対話を求めました。
 だからこそ、日蓮は影響力のある師となり、その教えには強い説得力がありました。本人が残した膨大な著作をひもとくと、心を開いた対話と、助けを求める全ての人への励ましを貫いていたことが分かります。
 
 また、日蓮は人々を精神的に導くため、自身の洞察を、主に法華経に照らしながら説きました。なぜ自分の教えが正しいのか、なぜ他宗の教えが誤っているか、理由を詳細に述べ、何度でも説明をする努力を怠りませんでした。さらに、そのような論議を通して、自身の思想も自己検証し続けました。
 
 その上で日蓮は「人はどのような逆境にあっても、希望と確信を持ち続けることができる」という洞察を、自らの生き方を通じて証明したのです。
 
 そうした「仏の生命」が万人に内在しているならば、私たちは、これを顕現していく必要があります。それは、世界の繁栄や、「救済」「解脱」といったものの必要条件とも言えます。そしてそれは、仏法で言うところの「一生成仏」(どのような人も一生のうちに成仏の境涯を得られること)を目指すことによってのみ可能となります。
 
 

ヘルダー出版社から発刊されているドイツ語版「御書」第1巻

ヘルダー出版社から発刊されているドイツ語版「御書」第1巻

仏性を見いだす

 ――日蓮大聖人は仏法者として何と戦い、当時の社会的指導者や宗教的指導者、また民衆に何を伝えようとしていたのでしょうか。博士が御書から見いだしたことを教えてください。
  
 日蓮は、不退の決意を強く持った人でした。それゆえ、皆もそうあることができるように、「時代の危機を察知すること」「誤った教えに惑わされないこと」を、信奉者たちに教えました。そうした教えの核となっているのは、法華経の中で方便品と如来寿量品を中心に説かれている、「生きとし生けるもの全てに仏性(仏の生命)を見いだす」という教義です。この教えは、いわゆる大乗仏教の肝要です。
 
 大乗仏教においては「菩薩」の在り方も形づくられました。法華経に説かれる菩薩は、完全な覚りを得たにもかかわらず、そこに安住せず、同苦と慈愛をもって、悩み苦しんでいる人々に近づき寄り添います。
 
 法華経の常不軽菩薩品に描かれている「不軽菩薩」は、その偉大な模範です。不軽菩薩は、全ての人々への尊敬の念を「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557ページ)と表現します。「当に作仏することを得(必ず成仏します)」という呼び掛けは、万人への「大いなる約束」と言えるでしょう。
 日蓮の生き方は、この「菩薩」の役割を想起させます。
 
 

菩薩の生き方は「自己実現の道」

 ――博士はかねてより、時代的・空間的制約を超える仏法の普遍的価値として、「菩薩」の役割に注目されていました。
  
 「菩薩」の生き方は、今に至るまで仏法の中心的なメッセージであり続けています。
 
 日蓮は法華経に基づいて、菩薩の理想像を自ら体現しました。それは「自らの救済」と「生命の尊厳」が結び付いた(他者の尊厳が成り立ってこそ、自身の救済も実現される)生き方です。これは、自己実現の道を模索する現代人にとっては明白なことかもしれませんが、ほとんどの人はその具体的な方法を見つけられずにいます。
 
 そこに、日蓮の教えや、「菩薩」の理念が担うべき役割があります。すなわち、自身の覚りを求めると同時に、他者の生命を尊び、他者に同苦し、そうした視点に基づいた行動を起こす――それが、まさに現代人が模索している「自己実現の道」であることを、具体的な姿で示していくのです。
 
 人間は往々にして、その逆の行動をとってしまったり、そうした衝動に負けないだけの力が自分にはないと思い込んでしまったりするものです。だからこそ、日蓮が自らの生き方を通して示した決意と確信は、全ての人にとっての模範となり、万人を鼓舞するのです。
 
 
 ――「御書」の翻訳を通じ、800年の時間の隔たりを超えて、現代に日蓮仏法の哲学を紹介する意義を、どのように感じていますか。
  
 日蓮の教えでは、「法華経」の諸品の読誦とともに、「南無妙法蓮華経」(法華経の教えを尊崇し、実践・体現していくという意味)を唱える祈りによって、自身の仏性を洞察することができます。
 
 自他共の仏性を信じ、どんな状況でも人間を尊敬し、その努力に関して決して揺るがないことが、菩薩の修行の根本です。自身の救済と完成を目指すだけでなく、それを他者にも広げゆく菩薩の生き方は、人間同士の信頼と、同苦の心を強めます。
 
 そうした思想と行動は、普遍的な人間主義の教えであると同時に、恒久的な「平和の礎」にもなると考えます。
 
 

2015年6月までグリンツァー博士が館長を務めたヘルツォーク・アウグスト図書館

2015年6月までグリンツァー博士が館長を務めたヘルツォーク・アウグスト図書館

どんな状況でも

 ――日本の仏教者である日蓮大聖人の「御書」を翻訳し、空間的な隔たりを超えて、キリスト教社会のドイツに紹介する意義も大きいように思います。
  
 池田大作氏は、ドイツ語版「御書」第1巻に寄せられた序文で、「ドイツ語圏各国の方々の深き人生哲学、豊かな精神性、そして人類の平和と幸福確立への道を志向する開かれた人間性と、『自他ともの幸福』を実現する道を説く日蓮大聖人の仏法とは必ずや深く共鳴していくであろう」と述べられています。
 
 まさに、現在のドイツにおいて、日蓮の教えは違和感のあるものではありません。例えば、日蓮も説いている「他の人々の幸福と繁栄のために働く」といったことは、古今のドイツの人々には、いわば当たり前のこととして受け入れられます。
 
 私が「御書」で特に印象深かったのは、日蓮の「文章の迫力」です。池田大作氏は、日蓮の言葉について「時に春風のごとく優しく民衆を包み込み、時に激しく厳しい」と述べていますが、これは日蓮の言葉が「苦難の時代」の中で書かれたことへの言及でもあります。
 
 今、私たちも等しく、人類の平和と繁栄が危ぶまれる「危機の時代」にいます。そうした中で日蓮の教えは、今の私たちに何が必要なのかを察知する力となり、新たな視野を開いてくれます。楽観主義、希望を持つこと、仏性の顕現によって宿命を転換しうるという考え方――そうした教えは、特に現代において、自らの人生の助けとなることでしょう。いかなる時代や場所でも、人間一人一人の幸せがあってこそ「世界平和」といわれる状態が実現することは、共通しています。
 
 日蓮の世界と現在の世界に時間・空間的な隔たりがあるからこそ、日蓮の教えを自らの人生に直結する教えとして“翻訳”できる可能性も、私たちの前に開かれるのです。
 
 

ドイツ・フランクフルト池田平和文化会館で開催された欧州学生部の研修会(2019年8月)

ドイツ・フランクフルト池田平和文化会館で開催された欧州学生部の研修会(2019年8月)

「信」を貫く

 ――2020年からの世界は、コロナ禍により急速に変化しています。日蓮仏法の哲学、とりわけ「菩薩」の生き方は、こうした時代を生きていく人間一人一人にとって、どのような価値をもたらすことができるでしょうか。
  
 特に危機の時代において、「人間は(生老病死の)苦悩の世界から逃れ難い」という仏教の基本的な教えは、よい出発点になります。「法華経」は、例えば譬喩品の「三車火宅の譬え」(※注1)など、そうした危機を乗り越えていくための知恵に満ちているからです。
 
 肝要なのは、法華経の言葉と、日蓮の教えを信じることです。「信」を貫くなら、法華経の信解品に描かれている「長者窮子の譬え」(※注2)のように、最後は全財産を譲り受ける(自身の仏の生命を見いだす)ことになるのです。
 
 打ち続くパンデミックの影響で、「恐怖」が人々を操る手段として用いられることもある今、強靱な人格と自らの仏性への確信は、そうした状況にあらがうために不可欠だと思われます。それは、自身の人生のみならず、家族や地域社会にも「知恵」「勇気」「慈悲」「活力」といった価値を広げゆくための、原動力になるのです。
 
 

ドイツ・フランクフルト市のレーマー広場

ドイツ・フランクフルト市のレーマー広場

「自他共の幸福」の普遍性

 ――創価学会は日蓮仏法の哲学を学び、実践しています。このような背景をもとに創価学会の意義について、所感などがあればお聞かせください。
  
 創価学会は、危機と戦争の時代の中、日本で創立されました(1930年11月18日)。それは、人々の心が深く結び付いた社会をつくるという、人間本来の願望の表れでもあったといえます。
 
 そうした共同体の支えによって、個々の人々は、本質的なもの(すなわち、自らの仏性)に目を向けることが可能になります。また、日蓮の教えに帰依することで、自身の仏性を知覚することができるようになります。それらのことは、生命の尊厳という生き方をもたらし、「一人一人の個人の幸福があってこそ世界平和も実現する」という確信につながっていきます。
 
 こうした洞察に基づいて、創価学会は、志を同じくする個人や団体と協力しながら、個人の幸福と世界平和の実現、すなわち「自他共の幸福」を目指しています。
 
 池田大作氏は、「大聖人が展開される所説には、時代や社会を超えた普遍性があり、あらゆる人々の幸福を目指す菩薩の使命と実践が明かされ、その使命の自覚と実践を人々に勧め、励ますことにその核心があると拝される」(ドイツ語版「御書」第1巻「序文」)とつづっています。日蓮が教えた「自他共の幸福」という生き方は、800年前のものであるにもかかわらず、まさにそうした普遍性を持つのです。
 
 だからこそ私は、創価学会が創立100周年を迎える2030年までに、ドイツ語版「御書」の第2巻が発刊され、日蓮の教えがさらに広く世界に流布することを願っています。
 
 

ドイツ・ハンブルク市内にあるアルスター湖の夕暮れ

ドイツ・ハンブルク市内にあるアルスター湖の夕暮れ

 ※注1 火事の家で遊ぶ子どもたちを救い出すため、父である長者が羊車・鹿車・牛車の三車を示して外に誘い出し、出てきた時にはそれらに勝る大白牛車を与えたというもの。長者は「仏」、子どもたちは「一切衆生」、燃える家(火宅)は、煩悩に支配された「苦悩の世界」の譬え。羊車・鹿車・牛車は法華経以前に説かれた声聞・縁覚・菩薩の教え、大白牛車は一切衆生の成仏を説いた法華経の教えを譬えている。仏が法華経以前に説いた教えは「方便」であり、本当に教えたかったのは法華経であることを意味する。
  
 ※注2 幼い息子が家から離れ出ている間に、裕福になった父親がいた。父親は息子を後継者に迎えようとするが、息子は邸宅の立派な様相に驚き、それが自分の家であることに気づかず逃げてしまう。父親は、あえて貧相な身なりで息子に歩み寄り、まずは使用人として、徐々に息子を導いていく。そして、息子が心を入れ替えた時に一切を明かし、すべての財産(無上宝聚)を譲った。貧しい息子は衆生、父親である長者は仏、「無上宝聚」は法華経の教え、また仏の生命を譬えているといえる。
 
 
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