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毎年12月29日の日本武道館といえば【DIQ】のBTであるが、1990年代中頃は12月28日の日本武道館で演るBJCも印象的だった。しかし、そのサウンドや演奏とは裏腹に詩人ベンジーの「悪いひとたち」の歌詞は非常にショッキングだった。彼らがこの楽曲をインディーレーベル「東京ピストル」からのリリースした理由は、メジャーではとてもこの歌詞をオリジナル発表できないからであった。この過激な歌詞にかかわらずインディーズチャートで1位を獲得した「悪いひとたち」は、後に彼らのサードアルバム『C.B.Jim』に収録されるが、歌詞は一部修正されている。それにしても出だしからしてカゲキだった。
「悪いひとたちがやって来てみんなを殺した
理由なんて簡単さ そこに弱いひとたちがいたから」
これを聴いて真っ先に連想するのは、やはり植民地支配を唄ったデヴィッド・ボウイの「Let's Dance」だった。この手のテーマがロックに登場した時にアーティストがリスナーに送ろうと考えるメッセージは、やはり「平和」なのだろうか?それとも「人権」?わからないがストレートに愛と平和を唄うなんて1990年代にはすでに歴史的遺物となったいた節もあった。そう思ってこの楽曲を聴いていると、なにやら違和感を覚えるのだ。ベンジーは正当なレノンやディランの遺伝子を受け継いだ選ばれし詩人だ。彼は「平和」を歌っていないわけでは、ない。一方的に先進社会を打ちのめす「悪いひとたち」への批判的なメッセージも、確かに崇高では、ある。でも、ベンジーがそんな方法でロックするだろうか?彼が僕らに突きつけたいのは、そんな陳腐なメッセージじゃない。良いか悪いかよりも、カッコ良いか悪いか、だろう?ねぇベンジー? 「悪いひとたち」にそんな現状批判的なものよりも感じるのは、「人間の世界ってこうやってできた」という非常に客観的な淡々とした真実だ。人間って罪な生き物なんだぜぇ、ってことだ。ハハ、あんたはやっぱりジーザスの正当な遺伝子を受け継いでるな。
「つけが回ってくるぜ
でもやめられる訳なんてないさ」
彼らはやめるべきだ、とは言っていないのだ。やめられる訳なんてない、と半ば諦めているように思える歌詞を歌っているのだ。これが意味することはなんだ。悪いひとたちはずっと悪いひとたちのままなんだ。それはそれで気分のいいものではないけれども。そういうものなんだ、ということである。その子孫が自分たちである、という自虐性。というか人間という存在の残酷性。奪い、支配する。それが人間の営みのなかで自然な姿なんだから。そうしてテルの導き出すメランリックな旋律。この楽曲の優雅な川の流れのように静かで穏やかなメロディからも、伝わってくる。いやだ。きらいだ。しかし、逆らおうとは、していない。そうやって流れて来てしまった存在が自分たちなのだから。スリーピースの彼らの演奏のバックにはいつのまにかオーケストラの静かな美しい旋律が加わり、穏やかさはますます混泥した意識を浸食していく。そうだ。浸食する時はいつも静かだ。少し異常とも思える静けさだ。癌細胞と一緒だ。初めは気が付かない。しかし徐々に元の肉体を蝕んでいく。身体が弱ってしまうのもしょうかない。癌細胞にきっと悪意はない。ひとつの身体に、もうひとつの生命が繁殖をはじめているのだから、機能が衰えていくのは、自然なことかも知れない。ある医者が話していた。癌を患って16年生き続けた男がいたが、不思議な事に、癌細胞はその間、増えもせず減りもしなかったという。時には、生命の危機を察知し癌は、バランスをとって肉体を共存させるような働きをしているように感じたという。男は癌と共存していたのだろうか?同じように受けとめてしまっているのだ。悪いひとたちが変わらないということを。悪いひとたちの子孫が自分たちであることを。
ベンジーの歌詞は少年の心情が登場し、いつまでも純粋でありたいという、またいられるはずだ、という欲動は、傲慢さを伴う。純粋とは暴力的なのだ。だからBLANKEY JET CITYの音楽は暴力的なのだ。彼が少年に求める純粋さとこの静けさはまったく逆で、理想ではなく、事実を冷たいくらいに描いているからこそ、静かだ。それは歴史に意味性を持たせずに観察する姿勢に似ている。主観的な心情を持っているが、客観的に現実を描写している。そして、そのつけは必ず払わなければならないとわかっている。きっといつかジャッジメントディが来る。その罪と罰。その時、自分だけ赦されようなんて、それこそ傲慢だ。時間は戻らないんだから。
そういったことをああだこうだと評論してもしかたないから、ベンジーは今見えていることを、そのまま言葉にした。それが「悪いひとたち」だろう。こういうものが見える、こういうふうに見える、と淡々と目の前にある光景を並べている。ガイコツマークの黒い車から見える風景。まるでアルファベット順に羅列していく。流れるヘッドライトに映し出される順番に羅列していく。いやだ。きらいだ。しかし、逆らおうとはしていない。自分の想理想を他人に押し付けることはいいことかどうかわからない。善悪は聴いている人が決めればいい。罪と罰は人間が決めることなのだろうか?それとも何処かにいるなら・・・神様、アンタが決めることなの?それでも、こんな現実世界だけれでも、かわいい女の子が生まれる。そう・・・彼女だって悪いひとたちの子孫なんだから。だからアンタにPeace Markを送るぜ、この「悪いひとたち」の描く世界が罪なのか罰なのかわからない。でもベンジーは唄う。唄うことで人間の持つ残酷性や歪な感情について、もし少しだけでも、考える機会ができるなら、それだけでもいい。それしか、できないから。ねぇ、ベイビー!だから・・・。何度でも・・・。
「BABY!Peace Markを送るぜ」
悪いひとたち
(作詞:浅井健一 作曲:照井利幸)
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
若者は奴隷に
歯向かう者は一人残らず皮を剥がされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
鉄道が走り
悪いひとたちの子孫は
増え続けた
山は削られ
川は死に
ビルが建ちならび
求められたものは発明家と娼婦
すさんだ心を持ったハニー
ヨーロッパ調の家具をねだる
SEXに明け暮れて
麻薬もやりたい放題
つけが回ってくるぜ
でもやめられる訳なんてないさ
そんなに長生きなんか
したくないんだってさ
それを聞いたインタヴュアーが
カッコイイって言いやがった
お願いだ 僕の両手に
その鋼鉄の手錠を掛けてくれよ
縛り首でも別に構わない
さもなきゃおまえの大事な
一人娘をさらっちまうぜ
残酷な事件は
いつの日からかみんなの一番の退屈しのぎ
残酷性が強ければ強いほど
週刊誌は飛ぶように売れる
その金で買った高級車
夜の雪道でスリップした
その時
ヘッドライトに映し出されたのが
黒い肌に包まれたチキンジョージ
今日もあの気持ちのまま一人で歩いてる
街に真っ白いMILKを買いに行く途中
それを見たバックシートの男は
12月生まれの山羊座で
第三次世界大戦のシナリオライターを目指してる
日傘を差して歩く彼の恋人は妊娠中で
お腹の中の赤ちゃんは
きっとかわいい女の子さ
ガイコツマークのオレの黒い車は
低い音をたてて走る
すれちがうひとたちの骨が軋む音を
かき消しながら走る
それを見てたひとたちが
頭の中に思い浮かべるのは
ガードレールに激突したオレの黒い車のガイコツマークが炎に包まれてる場面
BABY Peace Markを送るぜ
このすばらしい世界へ
きっとかわいい女の子だから
きっとかわいい女の子だから
きっとかわいい女の子だから
きっとかわいい女の子だから
きっとかわいい女の子だから
・・・