大統領が最も恐れた男の証言 ルーズベルトの開戦責任 その2 | yaso-haruyaのブログ

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国や民族等の違いによる優劣をつける、言わば国家レベルの差別があったし、今も続いている。東アジアの悲劇は、近隣諸国同士の差別史観により、史実が歪められている事にある。史実を探り、失われた日本人の誇りを取り戻すことが世界の安定に寄与すると訴えたい。

 合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト(FDR)の長年の政敵で、FDRが政治家として最も恐れていた男は共和党の重鎮、ハミルトン・フィッシュである。

そのハミルトン・フィッシュが大戦から31年後の1971年に著した「ルーズベルトの開戦責任」の「はじめに」の一部を紹介する。

 

 ・・・(略)・・・

私は今では、あのルーズベルト演説は間違いだったとはっきり言える。あの演説のあとに起きた歴史をみればそれは自明である。アメリカ国民だけでなく本当のことを知りたいと願うすべての人々に、隠し事のない真実が語られなければならない時に来ていると思う。あの戦いの始まりの真実は、ルーズベルトが日本を挑発したことにあったのである。彼は、日本に、最後通牒を突き付けていた。それは秘密裏に行われたものであった。真珠湾攻撃の10日前には、議会もアメリカ国民をも欺き、合衆国憲法にも違反する最後通牒が発せられていた。

 ・・・(中略)・・・、ルーズベルト大統領はわれわれを欺いて、(日本を利用して)裏口から対ドイツ戦争を始めたのである。

英国チャーチル政権の戦時生産大臣(Minister of Production)であったオリバー・リトルトンは、ロンドンを訪れた米国商工会議所のメンバーに次のように語っている(1944年)。

「日本は挑発されて真珠湾攻撃に追い込まれた。アメリカが戦争に追い込まれたなどという主張は歴史の茶番(a travesty on history)である」

天皇裕仁に対して戦争責任があると非難するのは全く間違っている。天皇は外交交渉による解決を望んでいた。中国及びベトナムからの撤退という、それまでは考えられなかった妥協案まで提示していた。

・・・(以下。略)・・・

 以上、引用終わり

 

それまでの米国内世論は圧倒的に参戦反対であった。

これを一日で一気に正反対の参戦やむなしの世論に転換させ米国を参戦に導いたのがルーズベルト大統領(FDR)の「恥辱の日」演説と、これに引き続いて対日宣戦布告容認を議会としてお墨付きを与えた役割を果たした野党共和党のハミルトン・フィッシュ議員のスピーチ。

参戦への流れを作った当事者の一人であるハミルトン・フィッシュがその著書で、あの演説は間違いだった、FDRに騙されたという主旨の証言をしているのである。

 

この証言では、日本は外交交渉による解決を望んでいたことがよく分かる。

戦後日本の自虐史観を見直す契機ともなる意味で、この歴史的な事実が米国から出ている(近年は、同様の史料や証言が出始めている)ことの意義は大きい。

 

ハミルトン・フィッシュの証言はこれだけではない。

次回以降に紹介する。

つづく・八十玄八