学校とか、会社での集団生活のなかで
”欠点”と評価される事柄はいくつもあって
・良い成績が取れない
・集中力が続かない
・言葉遣いがなっていない
・身だしなみが整っていない
・楽しい会話でおもてなしすることができない
・報連相が苦手
・そもそも学校とか会社が嫌い
などなど、枚挙にいとまがない。
んで、”欠点”を見つけられてしまった人は”欠点”の数や深刻度によってダメ人間の判定をもらうことになっている。
本人もその空気に乗せられてダメな自分を責める。
でも、ダメってどう考えても、どこまでも本当に”ダメ”なんだろうか?
その場所でたまたま採用されていたルールの枠内にハマることが出来なかった、苦手だっただけとは考えられないだろうか。
地球上には色んな地域があって、場所ごとにルールは異なる。
日本のなかではタブーとされることがあっちの国では賞賛されることであったり
日本のなかでも北端の地域と南端の地域で違ったりするし
じぶんちと友人の家で正反対なこともある。
良い成績が取れないのはそこのシステムに合わないだけかもしれないし
合わないなら集中出来るはずがないし
言葉遣いがめちゃくちゃでも必要事項を伝える方法があればいいのだし
人を見た目で判断しちゃう人間の方が浅はかだし
無理して楽しそうにする必要なんかないし
ムダな報連相が生産性を下げるというリサーチもあるし
学校や会社に所属しなくても問題なく生きてる人はたくさんいる。
”ダメ”の基準を突き詰めると
判定する人間の好みと、その人にとって都合が良いか悪いかでほぼほぼ決まるものだと思う。実は限りなく曖昧でテキトーなもんなのだ。
価値基準が異なる場所に移動すればダメ人間がめちゃめちゃデキル人間に変身したり、反対に優秀な人間が役立たずになってしまったりする。
あなたのダメなところ、欠点と評されている「特性」は
別な場所で別の人から見るとまったく”ダメ”ではなく、むしろ”長所”として評価されるものかもしれない。
と、いうか地球上のどこかに必ず”長所”認定される場所があるのだと思う。
そう考えると
欠点や長所の数とか度合いで人間の優劣を判定して
あの人はあんなにデキル人で素晴らしいのに自分はなんてダメ人間なんだとか
価値が低いとか感じる必要ない。
まったく、ない![]()
世間から”欠けている”と評されてきたものは欠点なんかじゃなく
ただあなたの「個性」の一部であるというだけなんだよね。
結論
ダメな人間なんて存在しない。
注:自分個人にとって都合の悪い人や嫌いな人が存在しなくなる訳ではありません。