ジャパンプレス所属のジャーナリスト・山本美香さんが

820日、シリアでの取材中に命を落としました。

日本で大きく報道され、関心を集めたものの、シリアの現状そのものへの関心と理解には繋がっていない気がします。

それよりも、「彼女を殺害したのは政府系民兵なのか、反政府勢力・自由シリア軍の陰謀なのか…」といった推理合戦や、「山本さんの行動を美化」したり、逆に「自己責任・自業自得」といった両極端な意見で盛り上がっていることに、複雑な歯痒さを感じます。

山本美香さんが伝えたかった「シリアの現実」とは…。

そこに目を向けなければ、彼女の死は真の意味で無駄なものになってしまうのではないでしょうか。

ジャパンプレスの同僚でジャーナリストの藤原亮司さんも、同時期にシリアで取材中でした。

山本美香さんの訃報に接し、急遽、帰国。

藤原さんには以前、福岡でパレスチナ取材報告をしていただいた縁で、今回の機会をいただきました。

山本美香さんが伝えたかったであろう想いも込めて、シリアの現状を報告していただきます。

ヤスミンライブラリー

藤永香織

yasmeen_library@yahoo.co.jp

080-3189-6635


取材報告 シリアは今

報告  藤原亮司

(ジャパンプレス所属。1998年より中東諸国にてパレスチナ問題の取材を中心に、民族紛争や難民問題を取材。また、在日コリアンの暮らしをライフワークとして取材、記録し続けている)

日時  930日(日)1330開場 1400開始

場所  福岡市早良市民センター 第2会議室

  (アクセス:地下鉄空港線「藤崎駅」うえ3階)

資料代 800円 (学生500円)

主催  ヤスミンライブラリー

連絡先 080-31896635(藤永)

藤原亮司さんからのメッセージ

山本美香の死は悲しいとはいえジャーナリストの死、です。その死を悲しむよりも、「プロの職業人」としてシリアに行った彼女は、何を伝えようとしただろうか…。それを我々は考えます。彼女が伝えようとしたシリア・アレッポの人々は、どんな状況下で日々を生きているのか。

ほんの一瞬前まで家族連れや子供が通りを歩いていた場所で突如銃撃が始まり、山本美香は死んだ。「彼女の死そのもの」よりも、山本美香の死の背景にある人々の日常を、我々は伝えなければならない。紛争や対立の中でも、日々の暮らしを生きる人々の姿を。

沖縄の日本「復帰」40年に当って

福岡で考えること



2012.4.23 仲村渠政彦



陽に輝く雲を抱き紺碧に抜ける空の下、小さな島とは思えぬほどに亜熱帯の濃緑の広葉樹木群は隙間なく山谷を被って起伏を波打ち、群青群緑に透き通りひろがる海辺の瀬を舐め、海上はるか向うにかげろうゆらぐ水平線を望む。


 1972年のうりずん(初夏)のころの西表島の映像がテレビ画面に流れたときのことである。日本「本土」から八重山(西表島、石垣島)にやって来たメディアの取材クルーのひとりの姿が画面に浮かびあがりこちらを向いて言ったのだ。

「日本てなんてすばらしいんでしょう、日本てなんて広いんでしょう、北海道からここまで何千キロあるのかしら、ああ、日本て良いなあ! ・・・・」。


この年の515日に沖縄は日本に「復帰」した。この取材はそれから間もない時期に「県」となった沖縄に初めて踏み込んだ時のもので、全国放映された。

取材クルー達ははたしてそれまでの沖縄のことを知っていただろうか、沖縄の人々が日本「復帰」の内容に対して二度のゼネストを打ってはげしく反対を表明したことを知っていただろうか。

そのもの言いの雰囲気からすると沖縄がどこにあるかに関してもメディア人でありながら無頓着で過ごせた人たちのように思えた。その無邪気な暴力に僕はくらくら、ぐらぐらとなりながら、背後に無意識でおれる無数の存在に暗澹たる思いになった。

突然「日本」にされた感覚。土足で入り込まれてわがもの顔された気分であった。今から40年前のことである。この取材態度には予感めいたものが走った。


案の定、その後の沖縄は「本土」観光資本や土建屋やらの利権漁りにさらされ、地元のそれらを抱き込み、土地は買いたたかれ、海岸線の良地には生活の基層である古来の信仰の聖地“ウタキ”の所在など意に介さぬリゾート建設が続いた。ひとと自然と信仰が一体の生活環境の破壊が進み、島共同体の内実は危機に瀕した。そしてそんな島々を「本土」のひとびとは今“癒しの島々”と呼びかわす。 

 

 日本「復帰」は東西冷戦体制下の日米安保の位置づけが変節する大きな変曲点であった。以来沖縄の越し方40年は、日本の施政権を擬制した日米国家共同の軍事植民地として統治され沖縄民衆はその下にずっと喘いできた。1979年に明らかになった1947年のGHQへの天皇メッセージが思い起こされる・・・。いまや化外の民への差別の如く国内植民地的扱いが前景化しつつあり、それゆえに自己決定への根源的な問いと圧制への抵抗が大きくうねっている。日本「復帰」の年に生まれた子らもすでに40歳、現代はそれ以前の世代と以後の世代がそれぞれの時間と経験の積分値を重ねながら“自己決定権”を思う同時代の風を浴びて立っている。


 3月よりヤスミンライブラリーにおいて“沖縄を考えるゆんたく”が始まった。福岡の地で福岡の住人と共に“沖縄を考える”とはどういうことだろうか。近代から現代に到る沖縄の歴史を考え始めると、沖縄が単なる辺境ではなく周辺国家関係における時代時代のエッジであるゆえに、私たちの現在にも通底するいろんな難題にぶつかることになると思う。たとえば


琉球強制併合=明治の琉球処分

近代日本の国民国家システム(植民地主義の内在化とジェンダー)

・皇民化のかたちをとった国民化教育、同化政策

・沖縄固有語の卑語化禁圧による言語統制

・アイデンティティ喪失、擬似アイデンティティ装填

・太平洋戦争末期の日本軍基地建設

朝鮮人強制連行による軍夫と「従軍」慰安婦=日本軍性奴隷

(沖縄本島で130数か所の慰安所が確認されている)

・ミリタリズム(軍事同盟と基地)

日本「復帰」=沖縄併合と軍事植民地化、基地労働・社会国家、マイノリティ(少数者・先住民、島嶼社会)の思想、ディアスポラ(棄民・移民と故郷喪失)


などなど。


時局に合わせたテーマの集会やその他イベントの企画あるいは参加は必要なことではあるが、一方で自身の地域やその歴史、個人史を耕しながら相互に問いを交わし問いに巻き込まれる“ゆんたく”を通して、じっくりと考えるのも必要ではないか。世界は狭くなり、また時代が大きなターニングポイントにあると自覚されるがゆえにそう思う。


沖縄を考える“ゆんたく”においては一般的な記述に加え地域間の言語習慣による含意の差異を越えるための比ゆ的な表現や地のことば=固有語の投入と理解、文学批評や各種評論などからの引用による資料などを駆使しながら問いを深化して行きたい。

 

 この地での“ゆんたく”を表わすのに適切な友人の弁(『』内)があったのでここに引用紹介する。

 対話者の立ち位置や個々に生起する問いを『・・・越境的に考えることとは、異なる場を共通項でくくり上げることではなく、あえていえば、個々に生起する問いに、他人事ではないといって巻き込まれていく痛みや喜びの伴ったプロセスである。大切なのは、答えよりも問いであり、その問いをどう表現するかということだ。巻き込まれていくということは、問いが次なる問いに連鎖していくことに他ならない。そして、問いにまみれていく中で世界は暫定的となり、未来に開かれていく・・・』

*文中の「本土」は沖縄から見たいわゆるヤマトゥ=日本総体の呼称

*復帰運動の中で復帰の呼称は“祖国復帰”、“日本復帰”、“本土復帰”などと呼びかわされ、一方で反復帰や自立・独立の思想的運動もありこの文中では日本「復帰」とした。


1回「沖縄を考えるゆんたく」を325日に、第2回目を519日に開催しました。

(メルアド移動中のせいか、最近「開催お知らせ」が上手く機能していないケースもあり、申し訳ありません。早急にデータ整理と体制を整えますm(__)m


毎回参加者は多くはありませんが、仲村渠政彦さんに、沖縄の思いを気さくに飾らずに話していただきました。


時に参加者からの的外れな質問に話が脱線してしまいがちではありましたが、気持ち良く答えていただきましたし、参加者それぞれの関心により幅広い内容の会になっていると思います。

内容が散逸しすぎてしまう危惧はありますが、そこは気をつけながら、一方的に講義を聞くだけの講演会ではない少人数の「ゆんたく」ならではの良さを活かして、沖縄の現実と想いへの理解を深めることを目指し、今後も続ける予定です。


小粒でも、いや小粒だからこそ味の濃い「ゆんたく@ライブラリー」、ぜひ一度覗いてみてください♪

今、ヤスミンライブラリー・スタッフでテープ起こしの作業に取り組んでいます。ご期待ください。


また、ゆんたくでの出会いと学びを重ねる一環として、今秋に沖縄訪問を企画しています。

あなたも、沖縄と出会いに私達と一緒に行きませんか?


詳細はまだこれから、訪れる私達自身で練っていきます。

興味のある方、ライブラリーまでご連絡ください(^^)