調和がとれている、釣り合って存在している…
存在していること、すなわち釣り合って在るということ。
う~ん…こうして何もせんでもしててもここにいるでしょ??
ぐ~すか寝て起きて、さてと…
何の疑問も抱いてないですわ(今朝の私)。
ある哲学者が述べています。
【わたし】がなければ、そのとき【世界】があると。
"すなわち、エゴによって生じたセルフイメージが存在しないとしたら、確固とした他者から分離した「私」など存在せず、ただこの世界の現象の「調和的結晶」のようなものがあるだけなのです。"
ここにも調和が出てきている。
自分を無くすと、世界だけがある。
そしてさらに、そのとき【世界は愛】だと強調していたのでした。
信頼しているもの同士が釣り合って
バランスが取れて存在している
すなわち合気になっている
自分もなく敵もないならそのとき
世界だけすなわち愛だけがある
魂の共鳴それが愛魂冠光寺眞法
さてここで保江邦夫先生の師匠である佐川幸義先生の合気訓なのですが、
この合気を愛魂に入れ替えても意味は通じます。
愛魂は魂を合わせることである…
その調和が愛魂なのである…
☞「観念的にはどうでもいいから!」
おっしゃる通りです。ではそれ、具体的にどうするのか?
☞「どうせ愛するんでしょう?」
前回も載せた【愛の水中花】、まさにあれです。
完全に調和がとれて在る
マイク落ちてないし、破壊されてもない…?
佐川幸義先生は師匠武田惣角から口伝されています。
「赤子の手を持って揚げさせてみろ、それが合気だ」
保江邦夫先生の先輩である塩坂洋一師範は、
"これは赤ちゃんがいたら実際にやってみたらよい。確かに赤ん坊をどうだとばかり抑えつけたら、赤ん坊がその手を振り解くことはできまい。しかし、普通に持って抑えてみたら、赤ん坊はその柔らかな手をムニュムニュッと動かす。そのとき、何とも言えない軽やかな透明な力(感触)を味わうことができるだろう。そのような力の出し方に合気のヒントがある。"
と述べられています。【合気問答 BABジャパン 2013】
小さくてか弱くて頼りないものを壊さないようにそっと持って
確かにその動きそのものだと思いますが、ただそれはあとの操作。
持った瞬間、そこをどうするか?
稽古で演示し口頭説明しているけど、
あまりに当たり前すぎるので印象に残りません。
こうしてはてなき問答は続き彷徨するのでした。






