












約20回の区切り打ちが、2008年11月3日にようやく完了しました。
とりとめがないのですが、最後の旅行日記をアップします。
愛媛松山の44番大宝寺から47番八坂寺と高知県の足摺岬38番金剛福寺と39番延光寺が残っている札所です。都心では四国のバスの運行状況がわかりにくく、県をまたいで複数のバスを乗り継ぐ場合は、実際に現地にいかなければどこに問い合わせてよいかもわかりません。
とりあえず、今回は、松山に向かうことにしました。
【11月1日】
大阪発の松山行きの夜行バスで、11月1日の6時30分に松山駅に到着しました。
翌々日に足摺岬に行く手段を探すため、JRの駅でいろいろたずねてもバスの情報が不確定で旅程が確定しません。
バスを待つ時間を節約するために7時30分にはタクシーで47番八坂寺に移動し、そのまま44番大宝寺に逆うちをすることにしました。
47番八坂寺でお参りをすませ、それほど歩くことなく46番浄瑠璃寺と順調に歩きます。
途中、道がわかりにくくなりましたが、逆うちなので何人かのお遍路さんにすれ違うため聞きながら歩きます。
三坂峠の麓の坂下屋さんでサイダーとお茶のお接待を頂戴しました。
峠は急で300メートル以上のぼりましたが、思ったよりも調子よく超えることができそれほど体力を消耗することはありません。でも、その後の国道での大宝寺への工程が長く‥‥
12時に道沿いの食堂で昼飯を食べました。おばあさん一人でやっています‥‥大盛の定食を食べたあとに、また、歩き‥
1時過ぎには大宝寺に着きました。
その後、遍路道で岩屋寺に向かいますが、山道を歩き始めるところで藪から人が転がり落ちてきました‥
「Yかわ」さんというお遍路さんで74歳になられる4回目のお遍路とのことでした。
同じく、岩屋寺に行く旅程なので、ご一緒に歩きましたが、とても74歳の足ではなく驚くほどの健脚で‥‥
山を降りて、国道で歩き始めましたが、すでに2時を過ぎていたので本日中に岩屋寺に着きたいので、随分、早いペースで歩きました。「Yさん」はほんとに健脚です。
なんとか、ぎりぎりの4時過ぎには岩屋寺につきお参りを済ませました。
その後、「Yかわ」さんとお別れし、タクシーで九里高原のバスセンターまで下ります。
一旦、松山に戻ることにしました。
バスで松山に戻る道も随分時間がかかり7時ころに松山駅に到着し、駅前の安ホテルで泊まりました。
風呂に入って、すぐ近くの釣り魚を出す居酒屋で一杯やって今日は、終わりました。
【11月2日】
翌11月2日には、朝一番6時45分のJRで宇和島に向かいました。(後で思うと松山市駅から宿毛行きのバスがあったので1時間の無駄だったのですが情報がなく‥)
宇和島からバスに乗り換え、バスの中でパンで朝食を済ませました。ひたすら長い間バスに乗り続け‥
また、土佐清水バスターセンター(センターといっても随分小さい)で、足摺岬行きに乗り換え13時50分にようやく、足摺岬に着きました。
納経し(お参り中、大師堂で般若心経を唱えながら自分の顔を殴っている人がいました、ドン引きき‥‥)、歩き始めました。
明日に結願をするためには、少しでも延光寺に近づいておく必要があります。
土佐清水まで海沿いの道を歩きますが、結構遠くて‥‥
右足に豆ができて、歩くことも厳しくなってきたので、土佐清水の薬局(おばあさんとおばさんが二人でやってます。)で、テープ、マキロン、ガーゼを購入して、その場で手当てさせてもらいました。
近くに「あしずり食堂」があったので、そこで、さしみで一杯やりました。鰹が一切れしかなかったけれど、まじでうまい!
居酒屋を出て、また、歩き始めます。もう7時過ぎ‥‥
海岸沿いの真っ暗な道をひたすら歩き続け‥‥8時頃に、雨が降ってきて‥‥かなり「へなちょこ」気分で歩き続け‥‥
そこで、車が止まってくれました。仕事帰りのおばさんで、化粧品やかつら?のはこが車いっぱいに積んでいましたが、助手席に座り「道の駅めじかの里」まで乗せてくれました。
ほんとうにありがたかった‥‥
【11月3日】
道の駅では、当然、泊まることのできる施設などないので、身障者用のトイレの中で寝袋で寝ました。
トイレの中で寝たのは初めてですが、なんの問題(ちょっとみじめな気分)もなく「熟睡」しました‥‥
朝5時過ぎに目が覚めて、外に出ると「雨!!!!!!」が降っている。雨具も持っていないので、この不運を恨みましたが、1時間ほど逡巡し、意を決して6時半から雨の中を歩き始めました。生来、私は「晴れ男」なのですが、このときも、小雨になり‥‥
寝袋を家に送って、楽になりたかったのですが、そのような施設はまったく見当たらず‥‥約10キロほどの荷物が肩に食い込みます‥‥足の豆も痛くて‥‥
その後、三原村に向かう林道を選択(これは最悪の選択でした‥)して、山深い林道を歩きます。小雨の中、林道をひたすら歩きますが、2時間歩いてすれ違った車が2台‥‥道を聞くとあってるそうなので、とにかく歩きました。
途中で、みかんを食べて休憩しましたが、誰もいない林道を歩いていて「本当にこのまま歩いていて、村に着くのだろうか?」と不安がつのります。荒涼として山の伐採場を経て標高646mまで上ります。お遍路の姿もまったくありません‥‥
ようやく、峠の頂上らしきところに出ると、雲の合間から山々が除く壮大な風景が見えました。思わず声を上げました‥「もう許して!ここどこ!」‥
くだりになり、「鹿」が2匹、道に出てきました‥‥もっと、おりていくと、四国にたくさんいる「巨大ミミズ」も‥‥
そこで、ビニールハウスで花を育てている農家の方が作業されているのに出会いました。道を聞くと、歩いてあと一時間くらいで三原村ではないかとのこと‥
また、くだりをひたすらおりていきます。苔むした壁に、「根本進53才バカ」と落書きしており、苔の状態からきっと、何年も「根本進さん」はここに描かれているんだろうなと‥‥
とにかく、下っていくと、12時ころに村にたどり着きました。5時間半ほど山を歩いた勘定になります。後で確認すると、土佐清水より、いったん北にあがってて廻るコースであれば、高低差がなくお遍路も多かったようです。よく調べるべきでした‥
村からは、フラットな平地なので、ペースをあげました。
三原村も小さな村ですが、宅急便で家に寝袋を送ることにしました。もっと早く送りたかったのですが‥残り少しでも楽になりたくて‥
荷物を送った後に、村役場周辺に出ると「どぶろく祭り」をしていたので、どぶろくをご相伴に預かり、「ツガニ汁(うどん入り)」500円とビール300円でランチにしました。
慌しく食べて、また、歩きます。今日の4時までに納経を済ませなければ、高知経由で帰ることができなくなります。かなり早いペースで国道21号を歩きます。
途中、軽トラが止まって、おじいさんから「お菓子」のお接待をいただきました。
飴をなめながら、歩きます‥‥
なんとか、3時過ぎに延光寺に到着しました。早々に納経を済ませました。(昨日のドン引きの人が、なぜか、また居ました。今度はホロホロ泣いていて、また、ドン引きです‥)
これで、結願です。今回の3日間のお遍路は、これまで20回ほど廻った旅程の印象の、国道、林道、海岸、安宿、野宿、お接待‥‥のすべての出来事が集約された旅行になりました。
ようやく、88札所を廻り終えたのですが、強い感慨はありません。無事に廻り終えたことを、「お太師」さまに感謝するべきなのでしょう。南無大師遍照金剛‥です。ありがとうございました。
再び廻り始めることにしました。
納経所で、説明を聞いて今度は「掛軸」に納経してもらうことにしました。
また、長い旅が始まります。