たった一度だけモスクワ経由でパリに乗り込んだことがある。
同行3名。1990年の冬だった。
その頃はまだ「旧ソヴィエト」への旅行はままならず、一泊のトランジット宿泊付きという、降って沸いたようなこの機を逃せば、自分は一生「鉄の壁の国」の地を踏む事はない。そんな気持ちだった。
空港出発ロビーから機内に一歩足を踏み入れたとたん、そこはもう完全に『アナタの知らない世界』 だった。
閑散とした機内に散らばっているのは、ニコリともしないソヴィエト人(あえてこう称したい)ばかり。
そこには旅の楽しさもウキウキ感もなにもナイ。 否、そういうものが一切許されない空気が充満していた。
確かに・・「旅」の目的で日本に来ている者など彼等の内には1人として居ないのだから・・・。
ニコリともしないのは乗客ばかりではなかった。客室乗務員達の顔にも一切ニコリはない。・・・どころか、乗り込んだ時の「コンニチワ」さえなかった。
乗客たちはチケットに記されたシートナンバーと現場を照らし合わせ、自ら席上にあるBOXの蓋を開けてそこに荷物を整え、シートベルトを締めて、あとは寡黙に離陸の時を待っている。
小学校低学年の頃に元気よく自分が口にした言葉が思い出された。
「自分のことは自分でする!」
音楽一つさえない沈黙の機内で、私達はコソコソ小声で話し合った。
「ドーシヨー?」「コワクない?」「??」・・・。
これはもはや地球を水平移動するという、そういうカンジではない。
この機がめざしているのはきっと4次元の世界とか、そういう異次元の世界なのだ。
しかし、時すでに遅し・・・。
沈黙のアエロフロート機はとうとう飛び立った。
・・・・飛び立ったが、私達を乗せたその機はナント極寒のシベリアの地ハバロフスク空港に降りたのでアル。
ハ・ハ・・・ハバロフスクゥ?
そ・そ・・そんなことは聞いていないんです、私達!
今さらそんなことがドコに通じようか・・・
この期に及んで、私はもうスッカリ人生を諦めた。、
私以外の同行2名が「ノーテンキ人間」であってくれたことが 『苦難の2日間』 から私を救ってくれたと、今も私は信じている。生涯感謝し続けている。
「ハバロフスクってドコだっけ?」「国家のインボー・・・」「ヨクリュー(抑留)ってヤツよ。もう仕方ないジャン?」(ナニガッ?!)
彼女たちは相変わらずコソコソ小声で私を励ましてくれた。(??)
窓外にみえる「極寒のハバロフスク」は、ただただ分厚い氷に閉ざされていた。
扉が開いた時には、ビュ~~ッ!と、それはそれはモノスゴイ風が機内を吹き荒れた。
私は、(あらゆる意味で)ガタガタ震えていた。
扉が開いて私達が降りたのではナイ。
座ったままでいろ、と命令を受けたその機内には、分厚いコートに四角い毛皮帽子をかぶったソヴィエト兵(!)数人が乗り込み、一人一人の席を見回り始めたのである。
(ああ・・もうイイですよネ?思い出すのも辛くなってきました・・)
この地に降りたのはどうやら給油の目的であったらしく、その後この機は本当にモスクワの地に降りた。
そこかしこに兵士達が立ち並ぶ薄暗くて物騒な空港ロビーで私の目に飛び込んできたモノ・・・
それは、明るい電灯に浮き上がる<マクドナルド>であり、<ケンタッキーフライドチキン>であり、<ペプシコーラ>が並ぶショップだった。
そして、居並ぶソヴィエト兵の数と同じくらい、私の耳には英語が聞こえてきた。
ソヴィエトは無くなる・・・・ハッキリと自分が悟ったこの瞬間を、今も私は覚えている。
国の崩壊を招くものは、決して理念などではない。
その後、TVでソヴィエト崩壊の模様が映し出される度に、画面の向こう側に私はこの日自分が降り立ったモスクワ空港を観続けていた。