私が起業したのが、2000年で次女のマリンを妊娠してる時。
長女かれんが、1999年に生まれて、起業の準備をした記憶
がある。
長女かれんは大学生で20歳となった。
起業雑談のブログをYahooブログからアメブロに
移す作業をして貰うのと共に、一緒に書いてみる事になり、
この時空を超えた感じの雑談が楽しくなり、こうして
ブログをまた書いている。
※今、かれんは、ウチの会社のインターンでインターン代
払ってます。何故この状態になったのか?は、また
別記事にて。
娘がここに初投稿した記事の中に、こんな言葉がありました。
「母にとっては辛いことばかりだったのではないかと思っていたので、ブログの中では生き生きとしていたので安心しました。」
読んで、何と!そうだったのか?!と驚いた。
しかし、確かに、バリバリ縦横無尽に無駄なエネルギーも
浪費しながら、激走していた時期もあったので、
確かに辛そうに見えていてもおかしくは無いなと思い返した。
思い返して感じるのは、その辛く見えた状態でさえも
どれほど尊いかと云う事。
もっと言えば、どんだけ楽しんだのだろうかと云う思い、
そして、今も楽しんでいるなと云う満足感。
よく思うのは、結局いつも幸せで満たされてる、って事だ。
好きな様に何かをしてみ続けると、物質的な事や
経済的な事や人間関係がどうであろうが(それは大切な
要素だけど)心の深い所に満足感や充足感があって、
至福なのだ。
つくづく、全部やってみて良かったと思う。
失敗があって成長を早めてくれて、邪魔が入れば自分の
成長のスピードは上がっていた事を、後になって、
よくよく理解出来て、全部の環境が後押ししてくれた。
上っ面じゃない、こうした自分の言葉を見て、昔は、
殆ど無かった自分への信頼感が、今、こうしてある。
こんな喜びがあるんだな、と思う。
自信もなく、自尊心のかけらすらもあっただろうか?と
思う昔の自分が懐かしい。
子供だったかれんは、不安もあったと思う。心配もあった
のも知ってる。親子が逆だとも、よく思った。
そして、数年前なら、こんな母でごめんね、とか何とか
言ったかもしれないけど、今はそんな嘘臭いエネルギーの
言葉は、信頼関係をむしろ損なうだろう。
母、娘って、不思議だね。
そして、かれんの記事で笑った箇所、
「母のブログの上達具合とかみると、初期の下手さがウケますww」
初期のブログを自分では、到底読む気にもなれないが、笑、
下手でも、自分では下手とも分からず?なのか、気にせず?
なのか?書いていたのかと思うと、私も笑ってしまう。
その笑いには、昔の自分への愛があって、
おー、下手なのに不器用なのに頑張っていたのか!と
何の役にも立たなかったプライドは、捨てようとして
捨てるまでもなく、
事実、プライドなど保てていなかったのだ!と思うと、
その空回りすら面白い。
今も大して変わらない。
かれんは、今、あちこち迷走?中に見えるけど、、
なんだ、昔の自分と同じだわ。+諸々の事項の前例を
小さな頃から微塵も変わらない上から目線で母を見つつ、
色々やってみてるんだなぁと、私も変わらぬ上から目線で
見つめている。
私達親子は、お互いにとても尊敬している。
何故かは、よく分からないが、、、
敬意も常にある。
しかし、上から目線だけは、変わらない。
家族全員ナチュラル上から目線、、、、
いつかフラット目線になっていくのだろうか?
実際は、上からでも、下からでも、フラットでも、
結局どれも一緒だよな、、
見てるとか見守るとか、見つめるとか、そこが重要なのだ。
そして、それを伝える事も。
このブログを、また下の娘や息子も見る時がくるのかな。
長女かれんが、1999年に生まれて、起業の準備をした記憶
がある。
長女かれんは大学生で20歳となった。
起業雑談のブログをYahooブログからアメブロに
移す作業をして貰うのと共に、一緒に書いてみる事になり、
この時空を超えた感じの雑談が楽しくなり、こうして
ブログをまた書いている。
※今、かれんは、ウチの会社のインターンでインターン代
払ってます。何故この状態になったのか?は、また
別記事にて。
娘がここに初投稿した記事の中に、こんな言葉がありました。
「母にとっては辛いことばかりだったのではないかと思っていたので、ブログの中では生き生きとしていたので安心しました。」
読んで、何と!そうだったのか?!と驚いた。
しかし、確かに、バリバリ縦横無尽に無駄なエネルギーも
浪費しながら、激走していた時期もあったので、
確かに辛そうに見えていてもおかしくは無いなと思い返した。
思い返して感じるのは、その辛く見えた状態でさえも
どれほど尊いかと云う事。
もっと言えば、どんだけ楽しんだのだろうかと云う思い、
そして、今も楽しんでいるなと云う満足感。
よく思うのは、結局いつも幸せで満たされてる、って事だ。
好きな様に何かをしてみ続けると、物質的な事や
経済的な事や人間関係がどうであろうが(それは大切な
要素だけど)心の深い所に満足感や充足感があって、
至福なのだ。
つくづく、全部やってみて良かったと思う。
失敗があって成長を早めてくれて、邪魔が入れば自分の
成長のスピードは上がっていた事を、後になって、
よくよく理解出来て、全部の環境が後押ししてくれた。
上っ面じゃない、こうした自分の言葉を見て、昔は、
殆ど無かった自分への信頼感が、今、こうしてある。
こんな喜びがあるんだな、と思う。
自信もなく、自尊心のかけらすらもあっただろうか?と
思う昔の自分が懐かしい。
子供だったかれんは、不安もあったと思う。心配もあった
のも知ってる。親子が逆だとも、よく思った。
そして、数年前なら、こんな母でごめんね、とか何とか
言ったかもしれないけど、今はそんな嘘臭いエネルギーの
言葉は、信頼関係をむしろ損なうだろう。
母、娘って、不思議だね。
そして、かれんの記事で笑った箇所、
「母のブログの上達具合とかみると、初期の下手さがウケますww」
初期のブログを自分では、到底読む気にもなれないが、笑、
下手でも、自分では下手とも分からず?なのか、気にせず?
なのか?書いていたのかと思うと、私も笑ってしまう。
その笑いには、昔の自分への愛があって、
おー、下手なのに不器用なのに頑張っていたのか!と
何の役にも立たなかったプライドは、捨てようとして
捨てるまでもなく、
事実、プライドなど保てていなかったのだ!と思うと、
その空回りすら面白い。
今も大して変わらない。
かれんは、今、あちこち迷走?中に見えるけど、、
なんだ、昔の自分と同じだわ。+諸々の事項の前例を
小さな頃から微塵も変わらない上から目線で母を見つつ、
色々やってみてるんだなぁと、私も変わらぬ上から目線で
見つめている。
私達親子は、お互いにとても尊敬している。
何故かは、よく分からないが、、、
敬意も常にある。
しかし、上から目線だけは、変わらない。
家族全員ナチュラル上から目線、、、、
いつかフラット目線になっていくのだろうか?
実際は、上からでも、下からでも、フラットでも、
結局どれも一緒だよな、、
見てるとか見守るとか、見つめるとか、そこが重要なのだ。
そして、それを伝える事も。
このブログを、また下の娘や息子も見る時がくるのかな。