昨日のブログに、「事実ではないのなら、毅然とした態度で釈明を」と書きました。
その時は「本当にそんなこと言ったの?」と懐疑的でしたが、どうやら発言はあったようですね。
ただ、インタビュー自体は終了し、席を立つときの雑談部分が当該記事のようです。
日本ではオフレコはありますが、アメリカにはそのような概念は報道にはないと以前聞いたことがあります。
まして、ニューヨークタイムズは、日本に対して辛辣なことをよく書いていますからね。
(今回もロビー活動の成果でしょうか、記者の署名を見て「なるほどね」と感じました)
今回のインタビューは都から申し込んだそうです。
あえて「敵陣」の中に突っ込むのであれば、記者と別れるまで気を抜かないでほしかった!!
あとはダメージを最小限に抑えることに尽力していただきたいです。
それにしても残念なのは、知事が「日本は」を主語にしなかったこと。
「日本は」、「私たちは」であれば、今回のような文章にはならなかったと思います。
例えば
「こんなミスするなんて、だめじゃないか!」
これは「あなた」が主語。
もちろん、仕事上でミスは歓迎されるものではありません。
指摘されて当然です。
ですが、言われた方は「自分が否定された」と捉えかねません。
正しい指摘に対しても、素直に聞けなくなってしまいます。
「こんなミスするなんて、私は驚いたよ」
これは「私」が主語。
ニュアンスが全く違います。
この例で言えば、発言者が相手に対して望むことは「ミスをしない」ということのはずです。
叱責するのもその手段のひとつ。
「どのような経緯だったんだ?」と説明を求めるのも手段のひとつ。
「どうすれば今後このようなミスがなくなる?」と解決策を考えさせるのも手段のひとつ。
これが正解、というものはありません。
状況に応じて違ってくるでしょう。
ただし、「こんなミスするなんて、だめじゃないか!」からは叱責だけです。
ほかの手段には至りません。
このように相手を主語にしてしまうと、自分が関与できることがほとんどなくなってしまいます。
これはしんどい。
猪瀬都知事もこれ以上ネガキャンに使われないように、言い回しに気をつけてくださ~い!!
その時は「本当にそんなこと言ったの?」と懐疑的でしたが、どうやら発言はあったようですね。
ただ、インタビュー自体は終了し、席を立つときの雑談部分が当該記事のようです。
日本ではオフレコはありますが、アメリカにはそのような概念は報道にはないと以前聞いたことがあります。
まして、ニューヨークタイムズは、日本に対して辛辣なことをよく書いていますからね。
(今回もロビー活動の成果でしょうか、記者の署名を見て「なるほどね」と感じました)
今回のインタビューは都から申し込んだそうです。
あえて「敵陣」の中に突っ込むのであれば、記者と別れるまで気を抜かないでほしかった!!
あとはダメージを最小限に抑えることに尽力していただきたいです。
それにしても残念なのは、知事が「日本は」を主語にしなかったこと。
「日本は」、「私たちは」であれば、今回のような文章にはならなかったと思います。
例えば
「こんなミスするなんて、だめじゃないか!」
これは「あなた」が主語。
もちろん、仕事上でミスは歓迎されるものではありません。
指摘されて当然です。
ですが、言われた方は「自分が否定された」と捉えかねません。
正しい指摘に対しても、素直に聞けなくなってしまいます。
「こんなミスするなんて、私は驚いたよ」
これは「私」が主語。
ニュアンスが全く違います。
この例で言えば、発言者が相手に対して望むことは「ミスをしない」ということのはずです。
叱責するのもその手段のひとつ。
「どのような経緯だったんだ?」と説明を求めるのも手段のひとつ。
「どうすれば今後このようなミスがなくなる?」と解決策を考えさせるのも手段のひとつ。
これが正解、というものはありません。
状況に応じて違ってくるでしょう。
ただし、「こんなミスするなんて、だめじゃないか!」からは叱責だけです。
ほかの手段には至りません。
このように相手を主語にしてしまうと、自分が関与できることがほとんどなくなってしまいます。
これはしんどい。
猪瀬都知事もこれ以上ネガキャンに使われないように、言い回しに気をつけてくださ~い!!