麻生副総理らが先日靖国神社に参拝してから何かと騒がしい。
中国・韓国もさることながら、一番は国内メディアです。
やれ「外交的に問題だ」とうるさい、うるさい。
自国内のことを何ゆえ外交問題にしようとするのか?

自民党の高市政調会長が、24日都内で講演した時の内容ですが、
「(米国の)アーリントン墓地に日本の閣僚が行ったら花を捧げる。では、ベトナム戦争が正しかったのか。東京大空襲は明らかな陸戦法規違反だが、あれが良かったのか悪かったのか。そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない。」
と述べたそうです。

死者に鞭打つようなことは、日本人の感覚にはそぐわないと思います。

私の祖父と伯父は戦地に赴きました。
二人とも無事に家族の元へ帰ってくることができましたが、このブログを読んでくださっている方のご親族の中には、出征し帰還がかなわなかった方もいらっしゃるかもしれません。
そういう人たちのために祈りを捧げることが、どうして外交問題にならなければいけないのでしょうか。

昨日(4月24日)の日経新聞のコラムにこんな一文がありました。
「これだけ諍いのもとになる「靖国」だが、きのうは国会議員168人が集団参拝した。それぞれに思いはあろうし、麻生さんのふるまいと同一視することはないけれど、やはり何かと靖国は悩ましい。日本を破滅の淵に追いやったA級戦犯合祀の事実はとりわけ重く、昭和天皇もそれゆえに参拝を避けられるようになった。」

これを読んで、私は怒りというか情けなさで身体が震える思いでした。
迷惑施設扱いをしているんですね、この記者は靖国を。

戦地へ赴いた人たちは、自分のために戦ったのでしょうか?
そうではないと思います。
残してきた家族や友人、大切な人たちを守りたい、そういった無私の心境だったはずです。
(私も子を持つ親の立場になって、「何かあったら我が子は守らねば」という気持ちが芽生えたので、少しはわかります)
先人の尊い犠牲を否定できるほど私たちは賢いのでしょうか。

「靖国神社はいわゆるA級戦犯を合祀しているから」という反論が必ず出てきます。
結論ありきの東京裁判で有罪となった人たちの事ですね。
東京裁判のことは、書き出すと長くなるのでここでは触れませんが、戦勝国が敗戦国を裁くという裁判の体をなしていなかったとだけは言っておきます。

繰り返しますが、生前がどんな人であろうと亡くなれば口汚く罵ることはしない。
これが日本人の感覚です。

メディア(特にテレビ・新聞)は「中国・韓国に配慮すべき」と言いますが、
・前大統領が竹島に上陸し、天皇陛下を侮辱する発現をし
・現大統領が「1000年経っても被害者、加害者の立場は変わらない」と条約を無視する発言をする国
・海保に対し、レーダー照射を軍に指示する一党独裁の国
どうやって配慮すればいいのでしょうか?
参拝しなかったら、事態は好転するとでも?

日本は言論の自由がありますから、それぞれの立場から発信していただければいいと思います。
しかし、みーーーんな同じ金太郎飴の報道姿勢には、本当にうんざりです。