昨日書いた、私にとってのおばあちゃん同様の大事な方のお葬式に参列させていただいた

「いずれ…」と半ば心の準備をしていたのだが
やはり悲しい

悲しいのだが、とっても悲しいのだが、穏やかな気持ちも同時に私の中に存在している

今日のおばちゃん(私はこう呼んでいた)のお葬式よりも、数年前に亡くなったおじちゃん(おばちゃんのご主人)の時の方が悲しいばっかりだった

…なぜ?

おじちゃんの時は残ったおばちゃんが落胆して、それを見ているのがどうしようもなく悲しかったのだ

今日は悲しいんだけど、孫も最近結婚したり、間もなく結婚だったり、仕事をがんばっていたり、ひ孫もすくすく育っていたりと、「世代の」じゃないな、「命の」でもないな、「魂の」バトンタッチをこうして間近で感じることができて、おばちゃんを穏やかな気持ちで送り出せた

なんとも言えない複雑な不思議な気持ちの一日です