はじめに 


内容

タンザニアの掛け売り=支払い猶予を与える契約を、「代金支払いの契約」と「時間・機会の贈与交換」の二つの側面で捉えると、商品取引の中に、相互扶助の芽がみえる。

※お金や損得から芽生える助け合いシステムのおもしろさやしの木


ポイント

「市場交換」と「贈与交換」

ネットや電子マネーは市場取引のみ
 ↕
売り買いに含まれる、助け合うコミュニケーション。
思いやりの貸し借り


キーワード


A「市場交換」
サービスと代金
支払い契約
信用の不履行


B「贈与交換」
時間を与えあう、ギフト
基盤的コミュニズムを胚胎
「貸し借り」 助け合い
困難の共有





  解答例


 問一 

ア 行商人たちにとって掛け売りを認めることは、商売戦略上の合理性とも合致していた。

それはなぜか。

 掛け売りの容認は、貧しい得意客の確保や支払い時の販売促進、仕入れ先からの優遇につながり、ツケは緊急時の預金のようにも使えるから。


※傍線の続きをザクッとまとめる。

◎まず 「市場交換」の視点


 問二

彼らは、イ「まだ返してもらっていないだけだ」 と言い張り

なぜそう主張できるのか。

 客がツケを払えないのは、困難や貧しさのため返す余裕がないからであり、いつ返すかは貸し手が決められることではないと、商人は考えているから。


※以下に注目
「そんなこと俺にわかるわけがないだろう」と怒り出した。

その機会をいつ返すかはプレゼントの返礼のように与えられた側が決めるのだと。


◎「贈与交換」:商人の認識
→支払い猶予は契約じゃなくて、プレゼント☆
きっと返してくれる、お金でなくても。。待つ信頼 真顔


税金みたいに人によって値段も変わる取引文化もありそう。学割や性別割みたいな。

ちょっと違うけど、日本で、客が代金を設定するカフェがあった気がする。あとは、次のお客さんの代金を先払いする「恩送りカフェ」も。


 問三 

仮に「商品代金の支払い」は遂行されなくても、「時間や機会の贈与」に何らかの返礼が遂行されるのだとしたら、商売の帳尻があわなくても、ウ 生活全般の上では帳尻があっているような気もするのだ。

どういうことか。

 掛け売りは、貸し手に不利にみえるが、未払いの客でも、支払いの猶予をくれたことに対して、何か手助けや返礼をしたくなるので、結果 win-win ということ。


※以下に注目
しかし実際には、ツケを支払っても客は、行商人に「借り」をもつかのように語ったりふるまったりする。


◎「贈与交換」:客の認識
→お金はなくても、恩返しはしたい!
(お金を払っても恩は残ってるよ)

お礼したくなる、という人間の信頼をもとにした考察。性善説
情けは人のためならず?


「いつか払う」ってやり取り自体がおもしろい。日本とは時間感覚の範囲が違うのかも。
「将来」が何十年とかじゃなくて、数日とか今日と明日だけの時間を生きてる、ような。

どこかの文化で、数字を 「1、2、それ以上」 て数えるの聞いたの思い出した。クローバー


 問四

エ この余韻が商交渉の帳尻をあわせる失敗を時間や機会の贈与交換に回収させるステップになる

筆者はどのようなことを言っているのか。

 解答①

 お互いの困難の共有をもとにした商交渉は、金銭的には不平等でも、時間や機会のプレゼントとそれに対する返礼というやり取りを生み、助け合う信頼関係を想像させるコミュニケーションの場でもある、ということ。


 解答②

 商交渉は、お互いが困難を共有することで、貸し手による困窮者への配慮と、借り手によるその恩への返礼につながり、金銭的には不平等にみえるが、実際は互恵的な営みである、ということ。



※問二、三を軸に全体まとめる。
→市場的には不均衡だが、そこに思いやりあう想像力が生まれる。お互いの信頼

☆解答キーワード
困難を共有する交渉の過程
市場的には不平等

貧しさへの猶予(商人)
プレゼントに対する返礼(客)

助け合う姿勢、想像力
相互了解、信頼関係


◎モノの未足を心の満足へ
商品取引の持つコミュニケーションの役割を考え、人間関係や社会のあり方につなげる。


おわりに 

「交換と贈与」、「経済と感情」などコミュニケーション論に広がるテーマだった。

内容はシンプルだけど、端的に答える記述・語彙力が相変わらずムズい。




昔話「わらしべ長者」から、物の価値を考えるの面白そう。そろそろお金じゃなくてサービスや感情の交換で成り立つ経済が生まれてくるんじゃないかな キョロキョロ