日常的スピリチュアル、安田です。


私たちは欲求が満たされることを
願っています。

この願いは、ごく自然な願いなので
悪いことではないのですが
どう欲求を満たしていくかなのです。

成熟した環境では
生きていくために必要な欲求は
満たされています。

ただ、私たちの欲求というのは
生きているだけでは満たせない
本質的な欲求があるのです。

時代、環境が成熟することで
常に何かの足りなさを感じるのですが
何が足りないのかが分からないのです。

本質的な欲求が
成長欲求なのですが
成長欲求は他の誰かが
満たせることではないのです。

自分から努力をしなければ
成長欲求を満たすことはできません。

誰も何も満たしてくれないというのは
満たすことができないという
ことでもあるのです。

自分の努力は自分でやるしかないし
他の人に代わってもらうことも
代わりにやってあげることも
できないのです。

この当たり前のことが
ぼやかされてしまうと
満たされないことを
無駄に求めてしまうのです。

誰も何も満たせないことを
悟ることによって
自分で自分を満たすことができます。

成長欲求を満たすことができれば
上限なく満たし続けることができるので
行き詰まることがないのです。

そして、他の誰かから
満たしてもらうことを
一切期待しなくなるのです。

努力を続けていくことで
自分で自分を満たすことができ
満たされた状態から
自然に貢献したくなるのです。

成長欲求を満たすことで
貢献欲求が満たしたくなり

貢献していくことで
さらに成長ができるという
好循環ができます。

受け身体質の人は
受けることばかりを
考えているのですが

思った通りに、願った通りに
満たしてくれる人はいないので
必ず不満を感じるのです。

誰も何も満たしてくれない
満たすことができないことを
悟ることによって

自分で自分を満たすしかないことを
悟ることができるのです。

「努力をすることで満たされる」
ということを悟っている人は
少ないのですが

本質的な欲求が満たされれば
全てが満たされているような
境地に至ることができます。

何をやっても空しい
何となく満たされない
という思いが出ているというのは
本質を求めているということです。

本質を求めているので
行き詰まりを感じるようになり
生みの苦しみを感じることで
悟りの境地に至ることができます。

今の時代は
ただ頑張るだけでは
満たされないのです。

努力を続けて
積み上げていく感覚によって
満たされていくのです。

努力することに
苦痛を感じてしまう人は
義務、強制感が強いので
苦痛を感じてしまうのです。

受け身でいては
義務、強制感が強くなるので

主体的に歩めるようになれば
自分で自分を満たす努力が
できるようになります。

努力というのは
自分で勝手に決めて
勝手にやっていくことであり
単なる自己満足でもあるのです。

努力する人を
やたらと褒め称える人がいますが
自己満足の歩みをしている人を
褒め称えているだけなのです。

努力することが
自己満足であることを悟ることで

どんなに褒め称えられても
傲慢になることはできないし
安心することができなくなります。

自己ペースの歩みによって
どう努力をしていくのかを
決めることができるようになり

決めた通りの歩みによって
心理的な自由を感じることができ
成長欲求を満たすことができます。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌