日常的スピリチュアル、安田です。


楽しむことは必要なのですが
楽しいことというのは
一時的、一瞬なのです。

その時間だけの楽しみであるので
瞬間的な楽しみになってしまい
何も残らないだけではなく
空しさを感じてしまうのです。

常に楽しさばかりを
求めている人というのは
常に空しさを感じているので

その空しさを紛らわすために
一時的、一瞬の快楽ばかりを
求めてしまうのです。

ストレス解消のために
楽しさを求める人もいますが
その瞬間だけストレスの解消ができても

後になってより空しさを感じるので
ストレス解消ができて
いるかどうかが分からないのです。

一時的、一瞬の快楽ばかりでは
限度、限界があるのです。

私たちが本当に求めているのは
瞬間的な欲求を満たすことではなく
成長欲求を満たすことなのです。

どれだけ楽しんだとしても
何も残らないので
空しさを感じてしまい

その空しさを埋めるために
また楽しさを求めてしまうという
悪循環が続いてしまいます。

成長することを求めることで
努力ができるようになり
成長欲求を満たすことができます。

成長欲求は、どんなに満たしても
上限なく満たし続けることができ
空しさを感じることもなく
確実に積み上げることができるのです。

成長欲求は努力をすることで
続けることで満たすことができ
どんなに満たしても
行き詰まることはありません。

楽しいことから満たすことは
限度、限界が来ているのです。

時代、環境が成熟することで
我知らず、本質を求めるようになり
一時的、一瞬の快楽が
即麻痺してしまいます。

成熟しているがゆえに
常に何かの足りなさを
感じているのですが

その何かが分かるようで
分からないのです。

私たちの本能は痛みを避けて
快楽を求めているのですが
この本能の欲求に限度
限界を感じています。

本質の時代になることで
本心基準の欲求が
目覚めてくるのです。

本心基準の欲求が、成長欲求であり
今よりも成長していくことで
成長欲求が満たされるのです。

今までの時代では
努力をすることで
満たされるということを
悟ることができなかったのですが

今の時代になって
本質を求めるようになり
努力することに
目覚めるようになったのです。

一時的、一瞬の快楽は
たまに、時々満たせばいいのです。

常に満たし続けようとすると
限度、限界を感じるだけでなく
空しさばかりを感じてしまうので
よりストレスが強くなります。

ストレスというのは
負荷をかける歩みによって
解消することができます。

そして、多少のストレスを
感じることも必要なのです。

ストレスが悪いと思っている人がいますが
適度なストレスを感じることによって
歩み、努力の原動力になるのです。

努力を続けて
成長欲求を満たし続けていれば
ストレスを感じているか
いないかは気にならなくなります。

目の前のことに最善を尽くして
やるべきことができていれば
どんなことを感じていても
確実に前に進むことができるので

成長欲求を満たし続けることができ
ストレスが気にならなくなるのです。

楽しさを求めるのではなく
成長を求めていくことで
本心基準の欲求が満たされ
より高い基準を目指すことができます。

時代の基準に合わせることができ
未来に希望と可能性を感じることが
できるようになります。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌