日常的スピリチュアル、安田です。


私たちにできることは
どんな歩みをするにしても
最善を尽くすことしかできません。

最善を尽くしながら
実る時期を待つしかないのです。

実る時期というのは
タイミングが合っているのですが
いつそのタイミングが来てもいいように
準備をしていけばいいのです。

その準備の期間というのは
人それぞれで違うので
自分の実る時期を待っていればいいのです。

時期を待つことでタイミングが合い
必要なことが実るようになっています。

原因と結果というのは
一致してくるのですが
いつどのように一致するのかは
分かりようがないのです。

私たちの歩みというのは
原因をつくることしかできません。

結果のコントロールはできないので
原因をつくりながら待つしかないのです。

常に原因をつくる歩みを
積み重ねていくことで
実るタイミングと
一致させやすくなります。

いくら実る時期が来ていても
原因をつくっていなければ
実らせることはできないのです。

逆にいくら原因をつくったとしても
実る時期が来なければ
実らせることはできません。

時期と原因が一致したときに
実らせることができ
原因と結果が一致します。

時期を待つというのは
最善を尽くしていなければ
待っていても意味がないのですが

最善を尽くしているのであれば
違和感なく待つことができます。

結果がどのように実るのかは
分かりようがないのですが
与えられた使命の通りに
実るようになっているのです。

どんな人でも
努力したことが
報われることを
願っているのですが

敢えて報われない使命が
与えられている人もいます。

それこそ、生涯報われないで
つなぎのような使命が与えられ
次世代が報われることもあるのです。

なので、実る時期を待つには
長期、超長期視点が必要であり
長期視点は最低でも10年であり
超長期視点は100年待つということです。

となると、気が遠くなるのと
自分は報われないということなのですが
報われる、報われないというのは
そう大きな問題ではないのです。

問題は、使命を全うしたかどうかであり
できる限りのことができていれば
使命を全うしているので
何の問題もありません。

過去の歴史の中でも
大きく報われる人もいれば
全くといっていいほど
報われない人もいました。

報われる人も、報われない人も
最善を尽くしているのであれば
使命を全うしているということになります。

表面的には大きな差がありますが
使命の全うという面では
同等の立場なのです。

報われることも結果なのですが
報われないことも結果なのです。

どちらも必要な結果が
与えられているので
表面的なことだけで
無駄に比べる必要はないのです。

最善を尽くすことで
使命を全うすることができ
必要なことが与えられます。

何がどう与えられたとしても
必要なことが与えられていると
漠然と信じていればいいのです。

私たちにできることは
原因をつくることなので
原因をつくることに集中し
投入していけばいいのです。

原因をつくることだけを
意識していくことで
結果がどうであるかが
気にならなくなります。

実ってもいいし
実らなくてもいいという
どっちでもいいという
意識をしていくことで

結果に左右されることなく
歩み続けることができ
使命を全うすることが
できるようになります。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌