日常的スピリチュアル、安田です。


活字離れが進んでいますが
活字で学ばないと学ぶ力が
身につかないのです。

力というのは
負荷をかけることで
身についていくので

負荷をかけた学びでないと
学ぶ力が身につきません。

どんな時代、環境になっても
基本的なことは変わらないのです。

いくら次世代が優秀だとしても
負荷をかける努力をしなければ
力は身につかないのです。

活字離れが進んでも
結局は行き詰ってしまい
活字で学ぶことの必要性を
悟るようになるのです。

いくら、動画、音声で
効率よく学ぶことができても
学びの土台ができていなければ
身につける学びはできないのです。

活字で負荷をかけた学びを続けることで
学びの土台をつくることができ
動画、音声での学びを効率的
効果的にすることができます。

活字からの学びによって
濃く、深く学ぶことができ
身につけることができるのです。

読書の必要性は変わらないのですが
速読を目指す必要はありません。

結果的に速読ができれば
いいだけであって
無理に速読のテクニックを
身につけなくてもいいのです。

速読のテクニックを身につけて
多くのことを学ぶことができても
何かが有利になることはないのです。

本を読むのが遅くても
何の問題もないので
無理に速読のテクニックを
身につけようとしなくていいのです。

学びの努力というのは
続けて積み重ねることが
必要なのです。

自分のペースで
学び続けることで
積み重ねることができ
土台をつくることができます。

学びというのは
ほとんどが独学になるので
独学ができるように
教育することが必要なのです。

みんなと一緒であれば
学べるとなると
一人では学べなくなり

独学力を身につけることが
できなくなってしまいます。

今は無数に学ぶことができる
環境が整っていますが
人それぞれで学ぶ分野が違うので

自分から主体的に学べる力が
求められてくるのです。

何を学んだらいいのかが
分からない人がいますが
何を学ぶのかは
自分で決めるしかないのです。

学びたいことを
学んでいけばいいのですが
何が学びたいかは
自分で見いだすしかないのです。

「活字で学ぶのは古い」という
無責任な教育をする人がいますが
努力することに新しいも
古いもないのです。

基本的なことは変わらないので
変えてはいけないのです。

何の土台もなく
効率的な歩みをしたり
テクニックを用いてしまうと

簡単に崩れてしまうので
かえって時間がかかり
非効率になってしまいます。

受け身教育では
身につける学びができないので
主体的に学べるように導く
教育が必要なのです。

活字で学ぶことで
負荷をかけることができ
学ぶ力を身につけることができ

どんな環境からでも
学ぶことができます。

学びというのは
机の上だけの学びではなく
実践的な学びも必要なのです。

外の環境の中から
自分なりに分析したり
解釈をしていくことで

実践的な学びができ
より濃く、深く学ぶことが
できるようになるのです。

自分から主体的に学べるように
導いていく教育力が必要なのです。

今は生涯学習時代なので
生涯学び続けられるように
導ける人が求められてきます。

教育ができるように
教育していくことによって
より教育を拡大させることができ

未来に連結させることができ
次世代の優秀さを発揮させることが
できるようになるのです。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌