![育った街はどんなところ?](https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif)
私が生まれた所は、兵庫県の神戸市です。
六甲山のふもとで6歳の途中まで暮らしていました。
まだ覚えていることは、家の外に出て見上げると街のすぐ側まで山が迫っていました。
街中坂道だらけだった印象があります。
6歳の後半から22歳までは福岡県の福岡市です。
なんとなく夢見がちでぼーとしていた一方で、なぜか訳の分からないところで神経質であったという少し屈折していた私にとっては、まさにガラス細工のような時期でした。
(ちなみに、今はただぼーとしているだけですが・・・・・・)
神戸から福岡に来た時は、なんだか寂しいところに来たなあと一人ポツンと感じていました。
ただ、博多弁はあっという間に自分の言葉になってしまいました。
その当時の福岡といえば、まだ市内電車が走っていて、今ではとてもはなやかな天神も目ぼしいショッピング場所といえば岩田屋と新天町ぐらいしか印象に残っていません。(もちろん地下街もありません。)
渡辺通りと昭和通りの交差点付近にダイエーができたころから、天神は大きな店舗が増えてきて、街そのものが広がっていきました。
私の成長にあわせて、街もだんだん大きく育っているようでした。
そういえば「シティ情報ふくおか」という雑誌が生まれ、天神周辺の小さな店にもスポットが当てられ、その店からもどんどん色々な情報を発信するようになってきました。
この雑誌はタウン情報誌の走りとのことだそうです(今は「ぴあ」や「~ウォーカー」などたくさんありますね)。
まだインターネットもない時代で、このタウン誌を見ながら、手探りで色々な場所、ユニークな店を開拓していったのを覚えています。
まるで自分自身が街を開拓しているような感覚でした。
また小さなライブハウスもあちこちに現れて、夜遅くまで?通っていました。
(今回は街そのものがテーマなので、その街で何をしでかしたかはあえて触れないことにします。)
街はどんどん大きくなっていきました。それでも少し足を伸ばすと油山や百道の海岸などがあって、ここは私の心のサイズにあった「正しい街」でした。
「正しい街」は私と同じ福岡で育った椎名林檎の初期の作品のタイトルですが、彼女の気持ちが少しわかるような気がします。
地下鉄工事が盛んだった頃、私は就職を機に福岡を飛び出していきました。それでバブルの時期やその後の状況を良く知りません。
最近、色々と機会があってまた福岡の街を訪れるようになってきました。
昨年大きくリニューアルされた博多駅周辺をはじめ、私が暮らしていた時から更に大きく、はなやかになったように思えます。
それでも、ぼーとしたり、ちょっと神経質になったりそしてそんなところをまっいいか!と笑い飛ばすように丸ごと受け入れてくれる。
そんな「心のサイズにあった正しい街」の部分が少し残っているのを見つけると、とても懐かしく、ほっとしてしまいます。
今回は少し長くなってしまいました。
長くなったうえで更にダメ押しで恐縮ですが、良かったら福岡のことを少し触れたヤッシーのブログの「椎名林檎」をご覧下さい。
椎名林檎
http://ameblo.jp/yashy004596/entry-10938538460.html