ダンナ、友人、誰に対しても、話しをした後に自己嫌悪に陥る。

冗長だった、早口で弾丸のような話し方だった、内容が無かった、相手の時間を無駄遣いした、
わかりづらかった、もう次から次へと出てきて、死にたいと口にしてしまう。

ふと気付いた。

そんなに自己嫌悪に陥るのに、なぜ毎回はしゃいで話しすぎるのか。

そうだった。親にはぜんぜん話を聞いてもらえなかった。

父親は、話しかける概念すら消えるほど、関係が希薄だった。

母親は、自分の愚痴に一生懸命で、私の話を聞くことは無かった。

私が悩んだり弱音を吐きたかったとき、黙って聞いてくれたことはほとんど無かった。
私の話はすべて、自分の過去の悲劇話を再開するきっかけにされたり、
母親はもっと辛かったことがたくさんあると、気合が足りないと感情を否定されたりした。

自分の話=くだらない、と思うようになるのも当然だ。

わずかなタイミングを狙って自分の言いたいことを言わなくてはならなかった。
早口、内容の詰め込みにもなるだろう。

そして、一番重要なのが、

私は、私がもっと話したかった、という気持ちを封じ込めてきたのだということ。

母親が機嫌を損ねるかもしれないと気を張らせながらではなく。
リラックスして、穏やかに笑ったり頷いたりしながら、
なんでもない会話をしてみたかった。

だから、前のめりな話し方をしてしまう。
話したいという欲求を抑え込んできて、それに気付いてなかったから、
ただ単に私は話が下手だとか自分否定を繰り返し、堂々巡りをしていた。

私のインナーチャイルド、いろんな年がいるのかもしれない。
自分を聞き上手と勘違いしだしたのは、高校の頃。
たぶん高校の頃の私も私の心の奥底で怒っているか泣いているかしている。

もっと話したかった。
親と普通に話がしたかった。
警戒心と緊張感を持たずに、両方の親と同時にたくさん話したかった。

・・・あれ?
警戒心と緊張感、と書いたとき、なぜか小学校低学年の時の食卓が出てきた。
両方の親と同時に、と書いたとき、小学校低学年と高校の両方が出てきた。

おかしいな。そんな小さい頃からだったのか?

それに、中学は?
なんでなんにも出てこないの?

また大きな爆弾を見つけたようです。
私の中の私、早く救い出したい。
ふと、小さな女の子が浮かんできた。

髪の毛を頭の横で二つに括って、両手の甲を目に当てて泣いていた。

これ、私のICなの?

最近ICに出会った人の具体的な話を読んでから、自分の中を探り続けている。

もしかしたら、その人の話に引っ張られてるだけかもしれない。

でも、一瞬だけ心があたたかく、でも痒い感じがした。

すぐに引っ込んでしまったけど、もしあの小さな女の子が私のICなら。

何で泣いてるんだろう。

3~5才くらいの女の子。ひとりぼっちで泣いている。

もう一回会いたいよ。

会って抱きしめたい。

置き去りにされて閉じ込められた、本当の私を。
感情を爆発させてから、心が平穏になって、ここに書き込むことが無くなった。

解放されたんだ。そう思った。

一ヵ月半たって、なんだか最近キレ易い自分に気付いたが、関係ないと思っていた。

ラジオから聞こえてきたある歌に、勝手に涙が流れてきた。

母親と兄弟が隣の家に住んでいるのに、なぜか自分だけおばあちゃんに育てられ、
(どんな理由があろうと、虐待だろう。隣からもれてくる親と兄弟の笑い声を聞いていたというのだから)
複雑な心境を抱えながら東京へ飛び出して歌手になった人の歌だ。

久々に会ったおばあちゃんは次の日亡くなり、自分を待っててくれた、
ちゃんと育ててくれたのにこんな私でごめん、という歌詞が私に突き刺さった。

前にテレビでチラッと見たのは、おばあちゃんの位牌の前で歌えずに泣き伏してしまった彼女。
最近やっと普通に話せるようになったという母親と、ライブ会場の控え室で会う彼女。
そんな映像が脳内をフラッシュした。

そして、いきなり来た。

私も、ママに会いたい。
ママと普通に話がしたい。
どうして、そう思わせてくれないの?

どうしてママは私のことが嫌いなの?
どうしてママは私をそんな眼で見るの?
私はママが大好きだったのに。今でも本当は大好きなのに。

ああ、トラウマってこんな感じなんだ。
終わったと思ったら、ぜんぜん終わってなくて、いつの間にか生活を侵食している。
切れやすかったのは、母親へのこの思いと疑問を認識してほしいと、私の心が叫んでいたからだったんだ。

私をこんなに歪ませた母親。
それなのにまだ追いかけてる自分。

私が自分のことで精一杯で、周りに八つ当たりしていたら、
私の子どもたちもきっと、同じになってしまう。
ちょっとしたことで、すぐ激昂して、睨み付けている。小さな子ども相手に。

ママ、怒らないでよ。ママのこと大好きなんだよ。
そう思わせていると思う。
この間本をたくさん読んだり一人で爆発したりしたからか、
妙に心が静かだ。

ひとまず、自分の中の怒りを認めて外に出すということを
実現したからかもしれない。

ウェブで自助グループを探したら、そんなに遠くないところにあった。

ただ話をして、話を聞く。
名前もニックネームでいい。

近いうちに行ってみようと思う。
毒になる親、という本を読んだ。

なかなか買う勇気がなかった。怖かったから。

1年たって、ようやく買えた。

そして半日で一気に読んだ。

いろんなブログを読んでいたし、知らない内容はほとんど無かった。

ところが、途中、涙が出てきた箇所があった。

読み終わったあとも、涙が出てきた。

洗濯物が終わっていたので、干しながら、なんとなく、
叔母に聞いてもらっているという設定で、今までのことを話した。
本に、親と対決するのに親戚に聞いてもらうという手もあるとあったので。

5時間前のことなのに、もう記憶があやふやだ。

覚えているのは、母親に心をつぶされてきたことの数々と
父親が助けてくれなかったことへの恨みを泣き喚いていたこと。

あまりにも苦しくて、声がほとんど出ていなかったこと。

途中、突然怒りが吹き上げてきて、視界が真っ赤になり、手がぶるぶる震えたこと。

この怒りは当然だ、私はがんばってきた、罪悪感を感じる必要なんかない、と
何度も何度も自分に言い聞かせたこと。



いつも、家族の問題は私のせいだった。
私に関係の無いことでも、私のせいになった。

親どうしのケンカ(しかもしょうもないこと。年末、電灯の笠の掃除のやり方が違うとか
お正月のお餅の焼き方でストーブが白い粉で汚れたとかで、
母親が父親にぎゃーぎゃー文句つけ、父親がキレたこととか)も、
母親に八つ当たりされていつの間にか私のせいになっていたこと、

突然部屋に喚きながら乱入してきて、タコ殴りされそうになり、とっさに母親の手をつかんで阻止したが、
理由は、私が友人からファミコンをもらったこと。
弟のファミコン中毒を知りながら家に入れるとは私が家族のことを何も考えていない冷たい人間だと。
そもそも弟がキレて壊した最初のファミコンは、私のものでもあったのに。

それだけじゃない。

8歳のとき、母親が私の髪の毛をつかんで引きずり回し、新聞を読んでいた父親にぶつかった時、
父親は阻止するどころか、微動だにせず、一瞥もせず、何も無かったかのようにそこに居続けたこと。

母親が父親と食事を別にして、我々子どもたちにどっちと食べるか決めろと
父母を選ばせることをしたこと

そんなことをしても何もアクションの無かった父親。

母親の暴言をそのままぶつけた私に、叱ったり話し合ったりというような
向き合い方を一切しなかった父親

母親が結婚式に来なかった理由が、父親との確執と弟とのケンカ。

出産直前に電話したら、あんたと話すことは無い、といきなりキレていた。

子どもが生まれても、訪ねられるように家を整えたり行きやすい環境を作ろうともしない二人。

いつも自分の話ばかり。
何か聞かれたことはほとんど無い。


ボーダーの母親と、ネグレクトの父親。

私は母親に嫌われている子で、父親に見捨てられた子なんだ。
今日始めて気付いた。
父親が帰った後、号泣した。前もそうだった。

なんで泣く?

何が悲しい?何が苦しいのか?

そして、子どもに八つ当たりだ。

私は父親に対して、怒りや悲しみを押し殺しているのではないのか?

だから、いい顔をして父親を送り出した後、私の中のインナーチャイルドが暴れるのではないのか?



父親のことを考えるとき、不自然さを感じる。

直視しようとしても、斜めから見ているような感じ。

父親も被害者なんだから、と最初からふたをしようとする力を感じる。

おかしいだろう?

父親が母親との防波堤になってくれたことがあったか?

ダンナは実家に帰るといつもおかしくなる。
いきなり憔悴しきる。腹痛やめまいなど具合が悪くなる。

そして次の日は寝込む。

そして今日気付いたのは、子どもが泣いたら絶対に抱かせないこと。
ミルクすらやらせない。
義父母が抱きたがって両手を出していても拒絶する。

話の流れで聞いても不自然じゃなかった時に聞いてみた。
なぜ今日泣いたとき、抱きたがっていたのに渡さなかったのか、と。

すると、予想外の答えが返ってきた。

小さいとき、両親特に父親からは、怒らせたら殺されると思うくらい恐怖を味わった。
だから今いくら変わったように見えても、孫は可愛い(から暴力はしない)と思っていても、
信用していない。信用できない。

ああ、そうか。私が母親に対して感じていた、恐怖と不安と不信感なのか。
一緒なのか。そういうことだったのか。

もう1つ聞いてみた。
家族だけで外食するのと、義父母がいるのとどちらが楽か。

答えは前者。両親には気を使うからと言っていた。

ならばもう義実家行くの、やめようよ。
私だって好きで行ってるんじゃないんだよ。

予定を根掘り葉掘り聞かれて、空いてるところにあちらの都合でどんどん入れられていくの、
婚約時代から苦痛だったんだよ。
今はもう打算で行ってるけど、さ。

あなたは、具合が悪くなるほど、全身で拒絶反応が出ているんだよ。
最近じゃ行って10分もしたら、目の光、消えてるんだよ。
今じゃ、食卓に座っていられないほど体が逃げたがっているんだよ。

義実家につきあって旅行行くのも、やめよう。
この間の旅行も、まさか殺されないように全身逆立った状態でいるとは思わなかったよ。
気付かなくて、今まで気付かなくてごめんね。

私より、ダンナがサバイバーだった。
ふと気付いた。

ダンナもACなのでは。

実家に帰るとげっそりする。
そのくせ、実家(主に義母)サービスに励む。
でも私の機嫌も損ねたくないから、板ばさみでぐったりする。

最初、すごくいらいらしたものだが、同じACだとすると腑に落ちる。

特に気になるのが、義母のダンナへの暴言。

子どもの頃のことを聞いていると、愛が感じられない。
温かみが感じられない。

たとえば、ダンナが幼稚園に行き始めたとき、寂しくなかったですかと聞いたら、
吐き捨てるように、「どんだけ嬉しかったか」を2回繰り返した。

関西では、基本ネタは自虐であり、他人攻撃をする場合でも必ず最後は自分を落とす。
しかし義母のこういう発言の場合、ダンナをないがしろにしてそれで終わりである。

こんなことを言われたら、普通傷つくか、何か反応があるだろう。
ダンナはまったく反応しなかった。

今までも、私にはお土産があっても、ダンナに対しては、
手のひらをぴっと横にふるようなジェスチャーと共にあんたはいいでしょ、
みたいなことが何回かあった。

ダンナが開催し、支払った食事会でも私にお礼が言われることも多々あった。

自分にずいぶん気を使ってもらっているとあまり深く考えなかったが、
どうだろうか。

嫁として気に入らない点はたくさんあるはずだ。
それを、「ダンナのために」飲み込んであげてるのだ、「ダンナのために」至らない嫁をたててやってるんだ、
感謝しろ、だからサービスしろと無言の圧力をかけられているのだとしたら。

普通は↑の考え方はひねくれすぎだと思う。
だが、自分が実母から受けてきた仕打ちを考えると、ボーダーな人はベーシックなスタンスである。
特別な考え方ではない。

子どもがぐずって聞き分けがない時、ダンナは異常に憔悴する。
それは、彼の中のインナーチャイルドが暴れているのではないか。

ダンナは子どもの頃ずいぶん抑圧されていたと感じられるエピソードがずいぶんあった。
そして、「いい子」でないと親から愛されないという感覚があるのではないか。

私たちは、ACであるということが共通の似たものどうしだったのかもしれない。

しばらくこの視点でダンナや義実家を見てみようと思う。
日曜日。朝からなんかテンションの高い母。

でもなんだか不安定だったんだろうな。

なぜか必ず、朝食が終わるころまでには怒られていた。

内容は些細なことだったと思う。

ちょっと口答えをしたとか、母親の言うことに即反応しなかったとか。

でもものすごい怒りようだった。

決まって、「あなたは楽しい雰囲気になると必ずぶち壊すのよね。なんでそんな嫌がらせするの?」

おまえじゃねーかよ怒り狂ってんのは。今ならそう思います。

だって7歳よ?その頃。
そんな嫌がらせなんかできるか!
だいたい何の目的でそんな嫌がらせせなならん。どあほう。

母親のしかわからない定義の完璧な楽しい空間は、なにか不自然だったんだと今は思う。

母が機嫌が良すぎて不安、みたいな感じか。

母の機嫌の七変化は思っていた以上に幼少の頃からあったんだなぁ。

本人は、「理性的できちんと言い聞かせをする親だった」なんてぬかしていたが、
あったとしても、それとセットでいきなりどかーんがあったのなら、子どもは不安定にもなるよ。

何からいこうか。

まずは、理不尽だと思ったけどその場では飲み込んだことからいこう。

と思ったら、記憶が噴出してきて、書き始めたら別のが次々とオーバーラップしてきて
どうにも書けない。

すごいな。思ってる以上にあるんだろうな。

楽しかった記憶もあるはずなのに、笑顔と声がきれいで大好きだった母なのに、
まず真っ先に思い出すのはあの憤怒した顔。

顔を真っ赤にさせて、目を裂けんばかりに見開いて、
口元をぶるぶる震わせて、神経が切れそうなくらい青筋がたっていたこめかみ。

もう私が無抵抗に殴らせないことをわかっているから、
振り上げたくても振り上げられない腕が不自然な位置で固まっていて、
本当は見下ろして威嚇したいのに私の方が背が高くなってしまったから、
見上げて睨み付けないといけないことに心から腹を立てていた、そんな顔。

そして次に、カメラの前で作る、貼り付けたような笑顔とポーズ。
きれいな母だったけど、そのころは呪いの言葉しか吐いていなかったので、
その落差がうとましかった。

もう死んでくれていいと思う自分がいる。
いや、死んだものとして切り離している自分がいる。

その一方で、見ないようにしないと自分を焼き尽くしそうな、
憎しみの黒い炎が確かにある。

人をゴミ箱にしやがって。
今会ったら、突き飛ばして顔を踏んづけそうだ。

少なくとも、前みたいにおかしいと思っていても同意したり、
最後まで聞いてあげたりはしない。

昨日のことが反動になっているのか、立ち上がれないくらい
ののしって否定して追い詰めてやるとまで思っている。

でも、半日たったら、急にしぼんだ。
もともと、戦闘的じゃないんだ。
そう思っていたけど、母の影響だったんだ。

一番ほしいのは心の平穏。
だから母のことは死んだと思っていたい。

それもまた逃げなのだろうか。