http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/seisaku(毎日新聞


引用はじめ

 谷垣禎一財務相は16日の閣議後会見で「歳出削減を徹底した上で国民負担をお願いするときは、消費税を社会保障の安定財源として位置付けたい」と述べ、消費税を引き上げる際に「社会保障目的税」とするのが望ましいとの考えを初めて表明した。

 中略

 政府の06年度一般会計の社会保障費は20兆5739億円で、一般歳出の44・4%に及ぶ上、今後も年間1兆円規模で増え続けるとみられる。谷垣財務相は、財源を国債に頼って将来世代にツケを先送りするのではなく、今、国民に負担を求めて世代間の不公平感を薄めるとともに、景気に左右されにくい消費税を安定財源として位置付ける必要があると判断した。「社会保障費を確保するには、消費税収を上げなくてはならない」という仕組みとすることで、社会保障給付の伸びを抑制する狙いもある。

 後略

引用終わり


 何でもかんでも、「国民のため」とか「将来のため」なんて接頭語を付けたらいいと云うものではない。やはり、「金持ちには金持ちの気持ちしか分からない」としか言いようのない政策だと思わざるを得ない。


 普段とは全く違ったテンションでいわばナブリガキといっていいような見幕で冒頭から書き付けていますが、それもそのはず、付け焼刃的な政策を行ったところでもはやどうこうなるような段階ではないはずです。


 まず、富の再分配をどうにかするような政策を行わなければならない。何で村上のファンドのようなことをやっている奴らのところに銭が集まっていって、汗して働いている人たちのところへは銭が貯まらないのか。


 これは、社会の慢性的な構造が原因で、資本主義の歪みの部分がどうしようもなくなってきたことを示していると考えております。オイラは資本主義を否定しようとは思っておりません。ただ、資本主義が時代と共に歪みを生じてきて、市場原理主義のような変なシステムが幅を利かせてきています。


 もうこのシステムは限界で、先物取引とかも投機的になってきており、本来の目的を果たせなくなってきています。先物取引の目的がうがった見方をすれば、ある特定の銭をやたら持っている集団が世界の人々から銭を搾取する象徴と化しているようにも見えなくはありません。


 そのあたりの歪みを如何に正常な方向に改善していくかが最も本質的なことで、そのレベルで抜本的な改革を自分の身を削ってでも推し進めていかないと、とんでもない世の中になっていくのではないかとオイラは危惧しております。


 もはや消費税どうこうでどうにかなるような社会システムだとは思っておりません。早急な抜本的な改革を期待しております。

<a href=http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200606010023.html>http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200606010023.html</a>(朝日新聞)

 先日から駐車違反の取締りが始まったとマスコミで大々的に報道されています。その中で、配送業者についての問題が依然として解決されていません。


 この問題について言えば駐車違反取り締まり民間委託先進国イギリスでも未解決のままだそうですが、まず日本で問題なのは郵便局の営業車は取締りの対象にならないけれど、民間の配送業車は取締りの対象になるということ。


 まずこの点が不公平だということができます。唯でさえ、ノラネコヤマトと郵便局は民業圧迫だと仲が悪いのにさらに悪化しそうです。


 オイラが懸念していることはそんなことではないので、その話はその辺にしておきましょう。で、オイラが何を懸念しているのかというと、いずれ配送業者と民間の取締りの業者の間で癒着が生じてくるのではないかということです。


 民間の取り締まり業者にはたくさんの官僚が天下っているそうです。官僚はただでさえ、不正行為が得意なのにそのあたりの取り決めを明瞭にしておかないとやっぱり将来的に我々が憤らなければならない事態引き起こされかねません。


 法律で特別扱いは認めませんとするのもよいかも分かりませんが、オイラとしては運送業者に申告させておいて、一定の金額を納めさせた上で許可証を発行してはどうかと考えています。


 一定の金額というのは適切な額をオイラは想像できないので分かりませんが、一般の市民と区別して特別扱いされるのと、迷惑料ということで考えたらいいと思っています。配送を二人制にするよりも余程経済的だと思います。


 そのあたりはオイラが何を言おうが変わらないとは思いますが、容易にそんな懸念が考えられるわけですから、議論が必要でしょう。政府だって「e-JAPAN戦略」など積極的にITの政策を推し進めてきた訳で、その結果として運送業は欠かせないものとなってきているわけですから、政府も一考する義務があるはずだとオイラは考えています。


 今日は村上ファンドのインサイダー疑惑も熱いですが、いずれ逮捕されるでしょうから議論の余地はありませんので今日のところは扱いません

 オイラの専門分野の学術会議でしばらく空けておりました。


 社保庁改革法案に関して最近会期延長するとかしないとか、そんな話をよく聞きます。けれども、一体それって何を議論しているの?テレビのニュースを見ていてもよく分からない。

 
 野党の若手の議員さんが委員会のようなところに乗り込んで、ああだこうだと講義している場面がメディアの中で流されていました。けれども、社保庁改革法案の何でそんなに対立しているの?


 一見したところ、全国紙の中では朝日新聞が比較的分かり易いと思います。


<a href=http://www.asahi.com/politics/update/0526/002.html>http://www.asahi.com/politics/update/0526/002.html</a>(朝日新聞)


 オイラは、自民党が社保庁の不正免除問題をあやふやにしてしまうために、社保庁改革法案を今国会中に審議しないようにするのだとばかり思っていましたが、どうやらそんなんではないようです。


 オイラの感覚で云えば、これまでの社保庁改革法案では不正免除問題ほどの腐敗具合までは想定しておらず、これまでの不信度を遥かに越えてしまったため、どれほど腐敗しているのか分からず、真剣に調査する必要が出てきたためだと考えています。


 「野党側は、一連の不祥事がどれだけの広がりがあるのかなど実態把握、真相究明がなければ、社保庁改革の議論ができないと主張。」(朝日新聞)


 の部分なんかはそのことを表しているのではないでしょうか。


 そう考えると、改めて更に社保庁改革法案を社保庁は信用すべからざる所だという前提の上で作り直さなければならないということもあるかもしれないということかもしれません。


 社保庁の問題はオイラたちの生活に実は非常な影響を及ぼす問題ですので、もっと関心を持たなければいけない問題かもしれませんね。


 社保庁改革法案の内容を実は知らないオイラです。


<a href=http://www.asahi.com/national/update/0521/OSK200605210007.html?ref=rss>http://www.asahi.com/national/update/0521/OSK200605210007.html?ref=rss</a>(朝日新聞)


 先日チンパンジーと人間の交配が数百万年前という話題について考えましたが、今回は数億年という話です。


 門外漢のオイラからしたら、冒頭の「宇宙誕生から約9億年後、宇宙空間に光の通過を妨げる電子の浮遊(電離)が再び起き、「薄曇り」の状態になっていることが、京都大学の戸谷友則助教授(宇宙物理学)らのグループの研究でわかった。」という部分がどういうことなのか理解できないのでこれ以上解説できないけれど、天文学的時間とはまさにこのことを意味するんでしょう。


 電離している状態が何なのか説明不足でよく分かりませんが、宇宙の誕生はホイルというイギリスの学者が提唱した「ビッグバン」ということばであらわされます。


 そもそも、本当に宇宙がビッグバンで誕生したどうかすら今の人類には知るすべもないのですが、それに、それ以前に時間と空間がなかったならばそもそもビッグバンは起こらないという問題もあったりするそうです。


 オイラには想像不能な事態ですが。


 哲学は「自分とは何か」から始まって、どうやら「自分が世界や宇宙の中に存在している」ことがわかってくると、「我々の存在する宇宙」とは何か?という問題から「自分とは何か」を知ろうとしました。


 そして、ニュートンたちによって、重力が発見されたり、アインシュタインによって相対性理論が発見され、素粒子という観念が登場したりというように哲学から科学が生まれました。


 オイラはニュートンが木から落ちるリンゴを見る前に何で自分の糞が地面に落ちるのを見て気づかなかったのかと時々思ったりもするんです。そんなことは取るに足らない問題なのでどうでもいいんですが。


 そして、科学によって我々の周りの仕組みがどんどん解明されていって、いよいよ科学は「終焉」を迎えるのかと考えられ始めてきました。


 それは、現代哲学の先生方が主張されている傾向があるそうです。


 で、「科学は本当に終わるのか?」は実のところ分かりません。誰もそのことを証明できる人はいませんし、科学で最後の発見は「最終理論」だとされていますが、最終理論とは我々を含め、宇宙のすべての出来事は「最終理論」一つであらわせられるという理論です。そもそも、この理論が本当にあるのかないのか分かりませんが、それで終わりになるのかすらも分かりませんし、いつその理論が発見されるかも分かりません。


 「なぜ人は生きていくのか」という疑問をかねがねオイラはもっていて、それは「宇宙とは何か」を知るためだと思っています。宇宙にはおそらくたくさんの生き物がいて(確認は永遠にできないと思いますが)、地球にも生き物がいます。


 最初はすべての生き物に「知る」権利があったけれど、最終的にその権利を手にしたのが「人類」であって、だから我々は「知るため」に生きている。

 とそう思っているわけです。


 何か嘘でも人間の生きる本質を持っていないと、努力もしないと思うのでオイラはそう思うことにしています。人類が何のために生きているのかという問題に対しては、オイラは相対主義でありますので一義的なものではないと思っています。たから、自分のその意見が必ずしも万人に当たるものだとも考えていません。


 で、宇宙を知ろうと思って突き詰めていけば突き詰めていくほど、それは自分の知覚からはかけ離れた次元のものとなっていって次第にリアリティを失っていく。そして最後にはSFの世界に片足を突っ込んでしまう。


 そんな、ジレンマを内包しながらオイラは生きているのだろうか。と時々思ったりします。そして、これらのことを内包した小説を、前衛作家として書いてみたいですね。まだまだ、知識が必要ですが。「ある物理学者の憂鬱」とか何とか言う題名にして。

○参考図書
ジョン・ホーガン「科学の終焉」徳間書店 1997

<a href=http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kigyou/news/20060518k0000m020141000c.html>http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kigyou/news/20060518k0000m020141000c.html</a>(毎日新聞)


 時々「村上世彰は売国奴だ」と書かれていますが、なぜそのように云われるのでしょうか。その点について考えてみたいと思います。


 結論から申し上げますと、オイラも彼は「売国奴」と呼ばれても仕方がないだろうと思っています。彼は「株主のため」という「口実」で資本の大幅な株主への還元を声高に叫んでおられます。


 一見、正常に聞こえる彼の主張ですが、よく考えるとおかしく思えてきます。株式投資とは投資する会社の将来に投資するというのが本来の投資です。「今年利益が出たからすべてを還元する」なんていうことをしていたならば、会社は一向に成長しません。


 つまり「株主のために今すぐ払え」はオイラの考えでは短絡的過ぎやしないかということです。彼には彼の事情がありますので、仕方がないとは思いますが、それゆえに責められても仕方がないのでしょう。


 彼のファンドへの出資は一口10億円だとも言われているようにとても多くの銭を必要とします。そんなにあれば自分で運用しても十分利益が上がるはずです。それ以上の還元を彼は要求されます。


 したがって、彼の投資の通り道は台風や竜巻のようになるのです。散々搾取されて傷跡を残しながらその後は台風一過。結果を見れば得をしたのは彼とそれに便乗したずる賢い人だけ。取り残された常識的な投資家は決して得をしていない。


 会社は資産を持っていかれ、その後の展開ができなくなったり、競争力が劣ったりするかもしれません。世界を相手にしていれば、なおさら競争力が低下することは致命的です。


 それに、彼のファンドへ投資しているのがお金持ちの外国人だったらどうでしょう。彼が利益を上げた分、つまり日本人から巻き上げたお金は外貨として外国人に振り分けられます。

 
 日本から外貨としてお金が消えていくわけですから、その分日本のお金の力も低下して、日本の競争力もそれだけ落ちるかもしれません。


 それよりも、企業への打撃の方が大きいはずですが。以上のことから、彼は日本を売っているという人たちがいても決して否定はできないでしょう。間違ってはいませんから。


 そうですね、せっかく外国人(?)になったのですから、どうせならこれからは村上さんはアメリカや香港の市場で活動して欲しいですね。

<a href=http://www.sankei.co.jp/enak/2006/may/kiji/10scienceCafe.html>http://www.sankei.co.jp/enak/2006/may/kiji/10scienceCafe.html</a>(産経新聞)

<a href=http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000013409.shtml>http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000013409.shtml</a>(神戸新聞)

<a href=http://www.ton-press.jp/mtt/archives/2005/10/post_257.html>http://www.ton-press.jp/mtt/archives/2005/10/post_257.html</a>(東北大学新聞)

 ここ一年くらいで、「サイエンスカフェ」というイベントが市民権を得てきたいるような気がします。まだまだ、認知度は高くないかも分かりませんが、オイラはよい傾向だと思っております。


 自分の身の回りのものの多くは科学の基に作られているものが少なくありません。それらがどのような仕組みで作られているのか。そんな細かいことをサイエンスカフェで聞くわけではありませんが、「科学者って実際はどんなことをやっているの?」という疑問に答えてくれるものであるかもしれません。


 サイエンスカフェとは「どんなものか」は「気軽に科学者の話をカフェの場所を借りて聞く」という定義でいいのではないでしょうか。初心者の科学へのエントランスとしては「厳重」な大学の講義のようなものではいけません。


 オイラはプラッと立ち寄れるような環境にあるべきだと考えています。学者は自分の専門の内で自分たちにしか分からない言葉や専門用語だけで語り合っていてはいけない時代になってきています。


 日本でも学問は随分と成熟してきていますから、そろそろその成果を社会に還元していかなければならない時代になってきているのです。で、実際に「どこでその成果を披露するのか」と考えたときに「サイエンスカフェ」なのです。


 日本学術振興会という法人の後押を受けて参加料はコーヒー代のみという傾向が主流になってきていて、どんな人でも気軽に立ち寄れるように考えているみたいです。科学を啓蒙していくことは学者の義務の一つですから、学者はギャラをもらわなくてもよいのです。

 
 「開かれた」学問を念頭に入れてこれからもますます発展して言って欲しいと思っています。カフェでBGMの代わりにいろんな学者のお話が流れるような時代がやってくるような成熟した文化がわれわれの国にもつくられていくことをオイラは期待しています。

<a href=http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20060504i211.htm>http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20060504i211.htm</a>(読売新聞)

<a href=http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060503i103.htm>http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060503i103.htm</a>(読売新聞)

<a href=http://www.asahi.com/life/update/0504/007.html>http://www.asahi.com/life/update/0504/007.html</a>(朝日新聞)

 どれを取り上げようか悩みましたが、一番下の記事について考えてみようと思います。


 そもそも、子供が減ることの何が問題なのか?

 
 かなり恣意的な疑問なんだけど、一番基本的な問題だと思う。何に基準を置いているのか。そこからの出発。


 そう、「子供の減少は危機だ」は経済活動を基準としているからだと思う。資本主義の世界。銭金の汚い世界。世界の政治を見ているとそんな嫌な気分になってくる。ヘッジファンド、歪んだ先物投資、仕手株、オレオレ詐欺...ホリエモン...


 だから、オイラは「少子化」は危機だともなんとも思ってない。資本主義とか、国際経済とか国際政治とかそういう弱いところから富をふんだくるような歪んだ世界が危機的状況になるだけで、実は生き易い世界になるかもしれない。


 そんなことはなってみないと分からないけれど、そもそも、何を根拠に危機というのか。考えなければならない。


 そもそも、日本のキャパシティは限界を超えているからこんなにたくさん人がいないほうがよい。毎年何千人も何万人も食いっぱぐれた人たちが自殺していく世の中。それでも人口を増やしたいのだろうか。


 資本主義の中で消費し放題の世の中。エネルギーが枯渇するかもしれないという不安を抱えながらそれでも浪費を止められない。私も含めて。


 そんな世の中を見ていると少子化はなるべくしてなるものだと思いはじめる。

<a href=http://www.gyao.jp/anime/eurekaseven/>http://www.gyao.jp/anime/eurekaseven/</a>(USEN GYAO)

 ついつい現実逃避したくなってアニメを見てしまいました。エウレカセブンというアニメです。時々アニメにも奥ゆかしいものがあって、これもその一つだと感じています。ガンダムは奥ゆかしい代表です。

 
 エウレカセブンはエヴァンゲリオンにやや似ているような感じがしますが、まだ途中見なので善く分かりません。何がよく分からないのかっていうと、まず設定がよく分からない。何のために波乗りのようなことをしているのか?とか主人公とその仲間がいるのですが、その仲間は何だか陰を背負っているようなのです。それは一体何なのか?主人公はある女の子に恋をするのですが、その子は一体何者なのか?


 よく注意してみていると、いろんな場面に伏線が張られているような気がしてきます。前述したこれらの疑問っていうのはどうやら制作者が意図的に作り上げた疑問で、その疑問をいつ解くのか?そんな知恵比べのような様相を呈してきます。


 前半で頻繁にジェームズ・フレイザーの記した『金枝篇』という本が出てくるのですが、それが一つの最大の伏線だと睨んでいます。最近、あることをきっかけとしてこの『金枝篇』という本を知ったのですが、偶然にもこのアニメに出てきたことでビックリと同時に非常に気にかかっています。


 『金枝篇』とは世界に伝わる「王殺し」の伝承に注目して制作された文化人類学系のアカデミックな本で、おそらく最終的にはエウレカセブンはこの内容に集約していくのではないかと睨んでいます。

 
 『金枝篇』の詳しい内容はこちらで<a href=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9E%9D%E7%AF%87>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9E%9D%E7%AF%87</a>(ウィキペディア)<a href=http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B6%E2%BB%DE%CA%D3?kid=99518>http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B6%E2%BB%DE%CA%D3?kid=99518</a>(はてな)


 はてなではかなり批判的に書いていますが、こうやって書くこと自体が偏見というべきものです。時代には時代の文体があるわけですから、その中から何を評価すべきかを積極的に考えていくべきです。こんなにスケールの大きい著作は多くはないと筆者は考えています。

 
 話がそれましたが、多少の知識を持って見ると非常に考えさせられますし、おもしろく見ることのできますアニメの一つだと思います。ガンダムSEED等も、アメリカ帝国対仮想社会主義国との対立のかたちでとらえることもでき、奥ゆかしいアニメの一つだと思います。


 何はともあれスケールの大きい仕事に接すると知的好奇心を刺激させられて、「こういう大きい仕事をいつかはしたいな」とか思ってテンションがあがっていくオイラです。

<a href=http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060501AT2M2300V01052006.html>http://www.nikkei.co.jp/news/main
/20060501AT2M2300V01052006.html</a>

 以前からクドイほど広告のことを記しているけれど、アメリカでは100億ドルを越えたそうです。日本も半年後位には今のアメリカのようになって行くような気がします。


 テレビCMとネット広告を比べてみましてもブロードバンドの発達によって、テレビCMの役割をもネットが取って代わるような構造の変化を見せています。


 以前、ホリエモンがテレビとネットの融合などと言って世間から白い目で見られていましたが、「あながち間違ってもいないんだな。」と思っています。

 
 このまま、テレビとネットが「仲良く住み分けていく」なんて保障はどこにもなくて、いずれライブドアとニッポン放送の件のようにテレビはインターネットに取り込まれていくような気がします。


 ネット企業が欲しいのはテレビ局のCM料ではなくて、番組の制作能力、つまり人材とスキルな分けですから、ITの人材を取り巻く環境が整備されてこればいずれは多くの人材がネットの側に流れていくかもしれません。


 そうこうしているうちに、だんだんとテレビとITが近づいていって寸分違わぬ状態になっていきそうな気がしているオイラです。まぁ、悪までも財務の観点からITとテレビを見た場合の話ですが。