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津波十訓

東北の地震発生から間もなく1年。

被災地での日常生活回復はまだ先であり、地震を契機に浮き彫りとなった原発問題、もっと言えば公共インフラ等における様々な問題も山積みのまま、解決に向けた課題も明確になっていない。

震災は、日本社会の脆弱性を我々示し、これの再構築が議論されているが、今後の検討の為にも個人として学ぶべきは日頃の心構えと準備の大切さではないかと思う。

約半世紀前に起こった昭和南海地震による津波災害の教訓を振り返った「津波十訓」があるが、
忘れてはならない教訓は、これのように石碑に刻む等して必ずに残すべきである。

【津波十訓】
1 南海地震津波の最高潮位標識をみよ。それより高い津波もあることに注意せよ。
2 非常時の最小限の持出品の準備を日頃よりおこたるな。
3 わが家の緊急時の避難道、避難場所を日頃より定めておけ
4 携帯ラジオ等を常備し、停電時でも正確な情報を知れ。デマにまどわされるな。
5 真剣に防災訓練に参加せよ。日頃の訓練、それが緊急時にわが身を救うと心得よ。
6 「津波警報」がでれば、直ちに近くの高い所に避難せよ。もし、津波が来なかったら幸いと思え。
7 大地震のあと、直ちに津波が来襲すると思え。津波の来襲前に海水は必ずひくとは限らない。
8 大地震のあと、車で防潮堤外の埋立地に入るな。門扉が閉じられ、車も命もなくすことがあることを知れ。
9 津波は必ず数回やってくる。避難後、警報が解除されるまで避難所で待機せよ。命より大切なものはない。
10 沖で地震を感じたら、直ちに湾外の深いところへ船を移動せよ。湾内では直ちに下船し緊急避難せよ。

※徳島県にある津波十訓が刻まれた石碑
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房総半島にはミャンマーとアイガー北壁が!?

今日も絶好の外出日和!これで9月は1勝1敗!

さて、今日は初めての房総半島!かつては有名な石切り場だった鋸山(のこぎりやま)に登ります。

でも、登山なのにいきなりの船!
陸から行くのは時間がかかるので、久里浜からフェリーに乗り、浦賀水道を横断しての上陸作戦です。
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上陸作戦の名に恥ず、潜水艦も登場!2隻が浮上した状態で外洋へ航行していました。
訓練かな?いや、訓練じゃなきゃ困るんやけどね。。
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補給にも余念がありません!液化天然ガス輸送中の大型タンカーもお出まし!
排水量は10万トンほどかな?
東京湾へ向かってたので満載かと思いますが、ガスなので船体はしっかり水面に出ています。
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40分ほどで房総半島へ上陸。漁村?こんなええ感じの魚屋さんが残る町です。
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しばらく町中を歩くと登山道開始、石切り場だっただけに、岩場が多い山です。
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こんな切り通しなどを通っていると、
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さっきまでいた漁村がもうこんなに小さい。
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いよいよ見えてきました、ミャンマーたる所以。
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鋸山名物「地獄のぞき」です!
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横から見ると…こんな感じ!
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ミャンマーのこれに似てませんか?笑
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鋸山の頂上部は、「日本寺」というお寺の境内です。
なので、観音様や
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お地蔵さま達
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さらには、大仏様まで!しかも、奈良や鎌倉を超えて、日本最大!
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そんな立派な境内に負けないぐらい、見晴らしも素晴らしい!
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なぜなら、ここは房総半島のアイガー北壁でもあるから!ていうか、テトリス!
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※本物のアイガーはこれ。非常に危険な場所です。
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鋸山は、実にすばらしい山でした。
下山後は、漁村のおばあちゃんが作る地元密着型定食を頂きました。
アジフライ+アジのたたき定食。人生で一番美味しいアジでした。
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遠いと思っていた房総半島ですが、またぷらっと行きたいと思います。

消えた「SANYO」ブランド

 大阪から東京へ向かう新幹線が米原駅を過ぎる辺りに、大きなソーラーパネルに書かれた「SANYO」の文字が目に飛び込む場所がある。三洋電機岐阜事業所内に設置されている太陽電池科学館-SOLAR ARK-である。「SANYO」と書かれたソーラーパネルは、太陽電池の主力メーカーである三洋電機のシンボルとして誇らしげに輝いていたが、その「SANYO」の文字は、この夏、「Panasonic」へ書きかえられる。
 三洋電機は2005年に表面化した財政危機以来、迷走が続き(※迷走については別の機会に)、2006年には無配当、2008年にはパナソニックによって買収されている。以後、両社の重複部門の整理が行われ、先日、白物家電事業が中国家電メーカーの「ハイアール」へ売却された。
 
 なぜ、三洋電機は今日を迎えることになったのか。
 戦後間も無い時に設立された三洋電機の成長は、他社事業の隙間(=ニッチ)へ飛び込むことによって支えられてきた。しかし、この成功は三洋電機を失敗へ向かわせた。
 成功は、三洋電機をニッチから王道へ向かわせ、半導体と液晶パネルに巨額の投資がなされた。しかし、後発の三洋電機には、“王道”で対等に戦える技術力もブランド力も販売力もなかった。競争相手であるサムソン(韓)やAUO(台)、CMO(台)に太刀打ち出来ず、財政状況は悪化の一途を辿った。(※無保険の半導体工場が地震で被災し、被害額がそのまま損失計上されるということもあったが)。
 前年度末を持って、SANYOブランドの新製品出荷はすでに終了しており、本年度より原則Panasonicブランドでの出荷となる。あのソーラーパネル同様、国内市場から「SANYO」の文字が消える日も近い(※海外は一部継続)。

 「知己知彼、百戦不敗」とは孫子の言葉であるが、経営トップとして「SANYO」の明暗を見た井植敏氏は「2000年頃、初めてハイアールを視察した時、その生産規模や最新設備に圧倒された」と言う。遅きに失した気付きであり、油断である。
 それから10年。ハイアールによる事業買収が、驚嘆や批判、感傷を引き起こすニュースであるとすれば、それは我々が何も学んでいない証拠である。
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