ある日、思い立って、関ヶ原の合戦の後の三成の足取りを追ってみました。
10月の合戦祭りがない日は穏やかな三成の陣地。写真は蒲生さんの陣地です。

三成陣地をいよいよ出発。
まずは伊吹山を目指します。・・・えっと、もちろん馬で。
頑張れ俺の帝釈栗毛!(車の名前)

伊吹山。これは長浜方面から見た景色。花のことはよく解らんが、コスモスの季節が綺麗です。伊吹山に逃げ込んだ三成の敗走ルートは三通りはあるらしく、もしかすると影武者もいたのかなぁと推測。伊吹山に登るのは無理なので、原から、薩摩カイコウズ街道を通って姉川付近に出ます。
三成の隠れた炭焼き小屋跡とか、鍛冶屋とか、難所の七曲峠(これ、発見するの難しかった)谷口村までたどり着きました。(谷口村の祠の写真は「石田貞宗」について書いた記事を見てね。)

(↑甲津原ルートも検証してみたけど、ちょっと遠回りでした。)
谷口村から古橋まで出るコースは車では行けないので、365号線を迂回して古橋村に到着したのが夕方。

古橋村は静かで、三成のことを思うと、なんだかジーンとします。
三成は法華寺の住職さんのところに転がり込んだようですが、既に東軍の手が回っていて、大蛇洞窟に匿われたそうです。しかし、三成はおなかを壊していたので、与次郎さん(三成の寺小姓時代の幼馴染?)が、自分の家のツシ(屋根裏?)に匿ってくれたそうです。
しかし、ついに役人に見つかってしまい、三成を野菜籠に入れて担いで逃亡したんですって。

石垣を飛び降り、高時川を渡ろうとしたところを捕まってしまったそうです。
三成は高時川を船で下り、井口で休んだ後、大津城に連行されたそうです。
古橋村は三成のお母さんの故郷で、三成が作ったお墓もあります。法華寺は廃寺ですが、とても雰囲気のいいところでした。(蛇を一匹跨ぎましたが)
観音様の像がたくさんあり、もし、三成が佐吉時代に観音寺ではなく、法華寺で小姓をしていたのなら、当時見たであろう観音像がいくつも安置されています。
また、三成は法華寺と深い繋がりがあったため、佐和山城に法華寺の分社である法華丸を作ってたいそう大事にしたそうです。

佐和山のふもとの龍譚寺には三成の法華丸の鐘が残されています。

法華丸は佐和山城を壊した後、彦根の蓮成寺に移されたそうです。
三成の鬼子母神像がある法華宗の寺で、住職さんに色々お話を伺うことができました。清正も祀られています。
佐和山については、また別の記事に書いてみたいです。