なんちゃってミツナリスト虎之助のブログ
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閑話休題。

ブログを書きながら「真田丸」を見てました。おもろいけど、やや歴史というよりは…っていうドラマになってそうな気配がちらほら。笑

OPかっこいいけど、この城見たことあるなーと思ったら、備中松山城ですかね?

CGでは石垣の下が岩崖になってて滝が流れているけど。

備中松山城は朝は雲海に包まれる絶景なのです。しかも、石垣の下に真田丸のOPみたいな岸壁がそびえたっていて、滝はないけど、自分も日本一かっこいいと思う城なのです!

(いやいや、…熊本城がやっぱり一番かな…。宇和島城もいいけどな。)

石垣も、独特の湾曲した琉球積みというここでしか見れない石垣があります。

石垣については熊本城でたっぷり書いてみたいなと思います。

 

 

 

ある日、思い立って、関ヶ原の合戦の後の三成の足取りを追ってみました。

10月の合戦祭りがない日は穏やかな三成の陣地。写真は蒲生さんの陣地です。

三成陣地をいよいよ出発。

まずは伊吹山を目指します。・・・えっと、もちろん馬で。

頑張れ俺の帝釈栗毛!(車の名前)

伊吹山。これは長浜方面から見た景色。花のことはよく解らんが、コスモスの季節が綺麗です。伊吹山に逃げ込んだ三成の敗走ルートは三通りはあるらしく、もしかすると影武者もいたのかなぁと推測。伊吹山に登るのは無理なので、原から、薩摩カイコウズ街道を通って姉川付近に出ます。

三成の隠れた炭焼き小屋跡とか、鍛冶屋とか、難所の七曲峠(これ、発見するの難しかった)谷口村までたどり着きました。(谷口村の祠の写真は「石田貞宗」について書いた記事を見てね。)

(↑甲津原ルートも検証してみたけど、ちょっと遠回りでした。)

谷口村から古橋まで出るコースは車では行けないので、365号線を迂回して古橋村に到着したのが夕方。

古橋村は静かで、三成のことを思うと、なんだかジーンとします。

三成は法華寺の住職さんのところに転がり込んだようですが、既に東軍の手が回っていて、大蛇洞窟に匿われたそうです。しかし、三成はおなかを壊していたので、与次郎さん(三成の寺小姓時代の幼馴染?)が、自分の家のツシ(屋根裏?)に匿ってくれたそうです。

しかし、ついに役人に見つかってしまい、三成を野菜籠に入れて担いで逃亡したんですって。

石垣を飛び降り、高時川を渡ろうとしたところを捕まってしまったそうです。

三成は高時川を船で下り、井口で休んだ後、大津城に連行されたそうです。

古橋村は三成のお母さんの故郷で、三成が作ったお墓もあります。法華寺は廃寺ですが、とても雰囲気のいいところでした。(蛇を一匹跨ぎましたが)

観音様の像がたくさんあり、もし、三成が佐吉時代に観音寺ではなく、法華寺で小姓をしていたのなら、当時見たであろう観音像がいくつも安置されています。

また、三成は法華寺と深い繋がりがあったため、佐和山城に法華寺の分社である法華丸を作ってたいそう大事にしたそうです。

佐和山のふもとの龍譚寺には三成の法華丸の鐘が残されています。

法華丸は佐和山城を壊した後、彦根の蓮成寺に移されたそうです。

三成の鬼子母神像がある法華宗の寺で、住職さんに色々お話を伺うことができました。清正も祀られています。

佐和山については、また別の記事に書いてみたいです。

去年だったか、急に「本物の片鎌十文字槍が見たい!」と思い立ち、東京国立博物館へ馳せ参じた時のことです。博物館って、所有物をいつも展示しているわけじゃ無いんですね・・・。

勉強になりました。次回からはちゃんとHPを確認してから行こうと思いました。

 

結局、片鎌十文字槍にはこの時は出会えなかったのですが、偶然三成が関ヶ原の合戦で捕縛されるまで持っていた「石田貞宗」(重文)に出会いました。

殆ど人もいなく、4時間ぐらい見てました。(×2日間)←馬鹿…

東京国立博物館様に写真撮影許可を頂き、撮らせていただきました。

梵字がカッコイイ。

目抜きのお守りのところ、鮫皮に血?が…。まさか、三成のかな…(ノДT) うう。

とにかく、三成と決戦関ヶ原と、7日間の苦難の逃亡を共にした刀です。出会えた感慨はひとしおでした。素晴らしい、三成サプライズ!

 

 余談ですが、三成の刀といえば「石田正宗」が有名ですが、宇喜多さんが毛利さんから購入して、三成にプレゼントした「正宗」は、三成の佐和山蟄居の際に送ってくれた結城さんにお礼であげてしまったので、リアル、三成の刀ではないと思うのです・・・。

 

そして、「貞宗」が脇差ならば、戦国武将なら揃えの刀があるはずですが、それは、別の日に名古屋の徳川美術館で発見しました。「鳥飼国俊」というのですが、なんと、三成、関ヶ原の合戦の前日か最中に紛失したそうです・・・。そして、東軍の鳥飼さんに拾われたそうです。み、三成…ホンマかいな…そんな大事なもの、失くすなよ・・・(でもそこが好きだ!) と思いながらも、「石田貞宗」に会えた奇跡に感無量でした。

 

 三成の関ヶ原での刀といえば、もうひとつ存在したと思われます。敗戦した三成が谷口という村に立ち寄った際、匿ってもらったそうで、感激した三成は匿ってくれた庄屋さんに、石田姓と、鳩八の紋と、持っていた短刀をプレゼントしたそうです。

三成を匿った家屋は洪水で流されてしまったそうですが、七曲峠を抜けた山間に小さな祠が残っています。

三成、樵のふりをしていたそうですが、刀を二本持っていた流石に怪しまれただろうな・・・。短刀と脇差を持っていたのに、再起をかけて、強い信念で逃げ続けたのは凄い。

そして、捕まるまで三成のお供をしたのが、「石田貞宗」だったのでした。