小田原市議会12月定例会が終わりましたが、定例会中のひとつのエピソード。

 

13日と14日の午前は、新採用の職員さんたちが議場で一般質問を見学されていて、私の最後の教え子がおそらくこの年代になっているのではないかと思うと、懐かしい気持ちになりました。

 

実は新採用の職員さんたちの見学の日は昔は固定されていたのですが、私が一般質問に立つと傍聴者がとても多くて(普段は傍聴者が5人超えることはほぼ無い)、会場に人が入り切らなくて急遽別室にモニターが設置されたこともあります。そのため、「小谷英次郎が一般質問を行う日以外」に新採用の職員さんたちの見学日が定められるというルールが出来てしまいました。

 

新採用の職員さんたちに私の全力の一般質問を見て貰えないのは残念ですが、未来の部長さんたちの真剣な眼差しに身が引き締まる思いでした。

 

そして、もう一エピソード。私は、一般質問の最後の14秒を使って、守屋市長への感謝の気持ちを伝えました。

 

すると反響がけっこうあり、そのほとんどは「嫌味を言うな!」と言った類のもの。

 

物凄く誤解を受けているなと思いましたので、ここで書いておきます。

 

感謝の言葉は、原稿に全くありませんでした。残り、14秒、用意していた原稿が全く読めないことがわかり、無意識に口走った言葉。紛れも無く本心です。

 

守屋市長には、徹底して苦しめられました。なにせ、200億をこえる病院建設事業の落札業者を事前訪問していた市長の非常意識な行動を追及したら、その報復にパワハラの冤罪を着せられ、市議会の多数派にたたかれ続け、人生で最も苦しい時期も過ごしました。

 

でも、そういった艱難辛苦を与えられたことで、私は強くなったと思います。

 

そして、これは私の最も尊敬する他自治体の議員が言っていたことですが、私のことを

「同じ議員として羨ましい」

 

と言ったことがあるのです。それはその方のいる自治体の首長がとても優秀で、

 

「住民にとっては最高なことだからとてもいいんだが、議員として、行政監視の面で行う仕事が無いから」

 

と言っていたのです。

 

嫌味で書いているつもりではありませんが、次から次と起こる小田原市の問題に対して

「あなたは議員として、働きがいが本当にあると思う」

 

と言われたことを明確に覚えています。

 

確かに、振り返れば1年目2年目は、聞いたことには答えない。聞いていないことを延々と喋り続ける。

3年目以降最近では、私の質問にほとんど答えてくれなくなりました。

 

どうやって答弁を引き出すか、そしてどうやって反省してもらうか、本当に悩み考え試行錯誤を続けた結果、

私の質問能力は4年前と比べてはるかに高くなったと自負しています。

 

だから、嫌味でもなんでもなく、12日の正午に差し掛かった頃、予定していた6項目86問の質問をやり終えて、本会議場に佇みながら、議員として、私をここまで育ててくださったのはほかでもない、守屋市長だと心の底から思ったのです。

 

同時に、私は守屋市長のやってきた不誠実な市政運営が今でも本当に許せないということを実感しました。

 

来年5月の市長選挙の結果がどうなるかわかりません。結果次第ではまた、議場で相まみえるかも知れません。

しかし、ひょっとしたら守屋市長相手の最後の一般質問となったかも知れないと思うと、ふと口から感謝の言葉がこぼれていたのです。

 

長くなりました。一般質問は終わりましたが、3月議会では私は予算特別委員となって、厳しく小田原市の新年度予算に向かい合っていくつもりです。

 

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