今年の6月に50歳になる私。。
母に「?」と思う、不穏が現れ始めたのは私が40歳の頃だったから
かれこれ10年経つことになるのね。
「高齢者重度鬱」という診断が出るまで、身体の方にばかり注目していくつもの検査や
手術までして。どんどん深い闇に落ちて行った。
体に合うお薬に落ち着くまで、何度も副作用に苦しんだり・幻聴・妄想・高熱でのけぞり返り
四肢胴体拘束状態で「こんな姿でサヨナラしたくない!」って思った時期もあった。
今は毎週末、病院にお迎えに行き「日帰り」「外泊」を隔週で出来るほどに安定している。
今の安定は「お薬のおかげ」ではあるのだが、母の個性はかすかに残しつつも
ちゃきちゃきと話し、バリバリとノンストップで家事をする母の姿は見る影もない。
でもね、まるで小さい子供の様に可愛らしいとさえ思える、穏やかな母が今ここにいてくれることに感謝する自分がいる。
浮き沈みを繰り返していたころ、何度も、何十回も、「今なら元の母に戻れるかも」と
家に連れ帰ること(退院を)考えたし挑戦した。
そのたびに、弟共に私の家族までがみんな疲弊し、数日みんなにかまってもらえた母は
「病院に帰りたくない!」と騒いだ。
本当に、何度も、何十回も泣いたし、苦しんだよ(^^)
けどね、涙の回数って無駄じゃないんだ。ちゃんとね、泣いた分人は成長するんだね。
3月に、娘と母を連れて3世代女子旅に行ったときにね、思い切って母に伝えたんだ。
「あ~ちゃん。5月の連休にさ、家に帰ろう。退院しようか?って言ったよね私。
でもね、ごめん。。やっぱりさ、それは無理だわ。よ~く考えたの。サロンのお仕事もお洗濯などを手伝ってもらえば連れて帰れるかな?って。でもねやっぱり無理なんだ。。
その代わり、毎週末のお迎えはこれからも続ける。その日はあ~ちゃんとの時間を大事にする。あ~ちゃんが平日病院で頑張っている分、私も普段はお仕事頑張って、定期的にこんな風な旅行に行こうよ!だから。。」
5月に家に帰れると思っていたはずの母。
女子旅を楽しみ、富士山をじっと見つめていた母。
私の宣告をじっと目を覗くように見て黙って聞いていた母。
ちゃんとわかって聞いてくれたかどうかは解らない。けど一言だけこう言った。
(約束ね。。又、旅行に連れて行ってね。。約束ね。。お願いします。。)
正直、「騒がれるかも・・」と覚悟があった自分がいたのでその言葉には驚いた。
けど、見間違えでは決して無い「娘を思う母親の優しい瞳」がそこにあった。
私の「揺るがない決意」が母からこの言葉をもらえたのか、
母がそれほどまで良くなってくれているのかは今でもわからない。
けれど私が、その目に母親の深い愛情を感じたことは間違いがない。
だから、あえてスケジュール表に「母と過ごす日」は「介」を増やしました。
ついでにあとから父も加わりましたが・・。(笑) 19歳の時に置いてきた父。
仕事も思い切りやる。 自分の人生を楽しみたいから。 生きていることを実感できる。
「学」の日は講師として、生徒として学びの日。
そして、限られた時間の大切な両親と、全身で向き合う日を「介」としました。
我儘なサロンですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします!!
人生経験だけは「か・な・り」豊富です(笑)
大抵のお悩み相談にはのれること間違いなしです(^^)
そんなセラピストもいてもいいですよね(笑)
ある意味、色々振り切れた50歳のセラピストは怖いものなしです♪
皆さんを癒せる努力を重ねて参ります。共に人生を共にエンジョイいたしましょうね♡