‶苦言〟を言われると
「何か怒られた、注意された、何か言われた」
と、思って‶腹を立てる〟方がいます
でも、今の世の中‶苦言〟を言ってくれる方が
減っています
何かの時に、さっと‶苦言〟を言って下さる
からこそ、人は、間違えた方向に行かずに
済むのです
しかし、今の人達は‶苦言〟を言われると
‶切れる〟のです
注意して下さったら「あぁ、どこか自分に
間違いがあるかもしれない」
例えば「座禅」で、禅を組んでいると
後ろから「喝!(カツ)」と、言われるますね
でも、皆さんが、心の中で
「なんで‶喝!〟と言われるのだろう?」と
思ったら、座禅は組めなくなるわけです
「あぁ、きっと自分の心に
自分では気が付かない、慢心がある
自分では気が付かない、油断があるから
「喝!」と入れて頂けるのだな」
だから座禅で「喝!」と、言われると
「有難うございました」と手を合わせる
のです
≪「喝!」と入れて頂けるからこそ
人生において‶勝つ事〟ができるわけです≫
≪「喝!」と言われて「有難い」と思う
心を持てるから‶勝つ〟のであって≫
≪「喝!」と言われて
腹を立てたら‶負ける〟わけです
だから短気は、あかんよ
短気を起こしてはいかん
≪常に「学ばせて頂いている」と云う
姿勢を持って人生を通る事であります≫
(2019年・天命庵のお話から)