≪自分の心臓の鼓動に合わせる≫
例えば、運動会の駆けっこで
初めから全力で走ったら、きっと途中で
疲れて、走り切れなくなってしまうでしょう
そのように物事には
≪余り初めから夢中にならないほうがよい≫
という事があります
‶教えの話〟を聞いて
「あぁ、凄い!凄い! 命を掛けて…」
と、夢中になる人程、危ないのです
《氣が変わり易い》
でも、ゆっくりゆっくり自分を見つめて
慌てる事なく
‶神様の教え〟をゆっくり聞いている人は
変わる事がありません
何故、慌てないかというと
自分は、それこそ「熱しやすく冷めやすい」
性格でない事を、確り解っているからです
「いつまでも‶神様の教え〟と共に
生きられるだろう」
という気持ちが陰にあるから
慌てる事が無いのです
でも、熱しやすく冷めやすい人は
「どうせ飽きてしまうでしょう」
と思うから、今だけ一生懸命になります
(2015年・天命庵のお話から)