⭐️やさしさ通心…No.734 | yasashisatuushinのブログ

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2024年4月6日(土)

 

おはようございます。

 

桜も綺麗に咲き始め、今朝の大阪は穏やかな土曜日になりました。

お花見に行かれる方も多いのではないでしょうか?

 

さて今朝も、先週に続き、経営の神様と呼ばれた松下電器産業(現:パナソニック)の創業者、松下幸之助氏のお話をご紹介させて頂きます。

 

そして、その幸之助氏のお話のあとに、私が最も尊敬するフジ住宅(株)の創業者で現会長の今井光郎氏についても、なぜ私が最も尊敬しているのか?について、お話をさせて頂きたいと思います。

 

少し長いですが、ぜひ、お読み頂けましたら嬉しいです。では、幸之助さんのお話からどうぞ。

 

『賢い人間は国を興し会社を興す。同じように、賢い人間が国をつぶし会社をつぶす』

 

怖い言葉である。この名言は1976(昭和51)年、松下幸之助氏が81歳の相談役時代、名古屋青年会議所の招きを受けて登壇し、名講演となった一節の中で出てきた。

 

若い経営者たちが目を輝かせて己を見つめる先で、幸之助氏はわが経営の60年史を語った。

 

話が後半に入ったとき、幸之助氏は突然、相撲の話を始めた。

 

「きのう相撲を見ていましたら、負けるべき人が負けずして勝ち、そして勝つべき人が負けるというような場面も出てきました」

 

その多くの理由は油断だと片づけながら、急に商売の話に戻し、経営者に関しては、60年の経験から言えば、経営者その人自身がつぶしている、と幸之助氏は言い切った。

 

「ですから、賢い人は、会社を興し、国を興します。しかしまた同時に、会社をつぶし国をつぶすと、こういうことです。

(中略)

 

 面白いものやと思いますな。国をつぶす賢い人と国を興す賢い人と、どれだけの差があるかというと、紙一枚の差です。紙一枚も差がないくらいです」

 

観衆は思わず息を呑んだ。

 

たくさんの経営者、部下と接してきたからこそ説得力がある。

 

一例にTという幹部の人生を辿ってみよう。Tは創業間もない時代の松下電器でナンバー2にまで上り詰めた有能な幹部であった。

 

幸之助氏が大開町にいた頃、Tは同じ町内で米屋をしていた。

 

1925年、たまたま市の連合区会議員選挙に幸之助氏とTが共に立候補、当選したのが出会うきっかけとなった。

 

親しくなった2人だったが、数年で境遇が変わってきた。幸之助氏の事業が飛躍的に拡大、米屋のTは幸之助氏が羨ましくなり、共同事業をもちかけた。

 

幸之助氏も電熱器事業を拡大したい矢先だったので気軽に承諾し、Tも資本を出して始めた。ところが、これが見事に失敗するのだ。幸之助氏には珍しい話である。

 

幸之助氏はTに失敗した理由を告げた。

 

「自分はTに任せて片手間だったし、Tも米屋を片手間にやっていた。事業は命をかける覚悟で臨むものであり、これは自分の責任である。損失は自分が引き受けるから共同事業は解消しよう」

 

ところがTも強情で、「君一人に損をかけられん。わしの責任だ」と退かない。

 

幸之助氏は条件を出した。「君が松下の店員(社員)になるなら任そう。ただ、その場合はぼくは店主、きみは店員だ。君はぼくを主人と仰ぐことができるか?」

 

思い切った提案だったが、Tはここで米屋をきっぱりやめ、幸之助氏の片腕となった。

 

1929年の大恐慌の年、経営を乗り切るために幸之助氏に人員整理を提言してきた2人の幹部とは、幸之助氏の義弟井植歳男と、このTである。

 

ではその後Tは松下電器で大成したかというと、残念ながらそうはならなかったのである。9年間は営業部長として活躍したが、Tは同僚と諍いを起こし、松下電器を退職する。

 

その翌年、独立してT乾電池製作所を創業したが、経営は向上せず。しかし、Tは幸之助氏の下に戻ろうとはしなかった。

 

かつての同僚で三洋電機創業者として発展していた井植の支援を受ける。しかしさらに3年後、不遇のまま脳溢血で59歳の若さで急死するのである。

 

自我を抑えきれなかったTの悲劇

 

幸之助氏はのちに、ある取材でTと井植を比較して、こう論じた。

 

「ひとつ例をあげましょうか。Tを使いにやると必ず成功する。そして、先方がどういう感じを持つかというと、『Tはんはなかなかええ番頭はんや。松下さんはええ番頭はんを持ってまんなあ』という感じを与える。

 

井植をやりますとね。やっぱりそういう感じを与える。しかし、一つ違うことは『松下さんとこは、ああいうええ番頭がたくさんおるらしいなあ』という感じを与えてくる。

 

そこが違うところなんですよ。どっちも目的を達成して、相手を感心させて帰ってくる。そこは同じだ。しかし相手を感心させてくる感じがひと味違う。それで井植はのちに成功し、Tは大成しなかった」

 

幸之助氏はこう分析している。

 

「Tには"自分(我)”というものがあった。非常に商売はうまいし、熱心。説得もうまい。しかし、いくらか、自意識というものがあるわけです。

 井植のほうは、ぼくに同化してやっていましたから自分というものがない。だから松下(電器=会社)というものが前に出る。Tのほうは松下(会社)ではなくて自分という感じが残ってしまう」

 

幸之助氏はかつて自分を支えてくれた2人を偲びつつ、Tの早逝を残念がっている。Tはビジネスマンとして決して無能だったわけではない。

むしろ、有能ゆえに、逆にあらゆる場面で有能さを示さずにはいられない自我が出て、それが経営者としては瑕疵となったのだ。

 

失敗したTが幸之助氏でなく井植を頼った理由も、意地なのか恥なのか、それとも井植の包容力への甘えなのかやるせない。

 

井植はTの人となりを「素朴にして淡々とした性情で、真に敬愛すべき人柄」と述べ、業界紙でもその強引さと繊細さが同居した個性ある人柄だったとの評が残されている。

 

実際に有能か無能かより、自己の有能感、肯定感を他人にどこまで主張するかによってビジネス人生は浮き沈みする。

 

知識やスキルを高めることも大切だが、人間としていかに慎み深く己を修養していくべきか、その心構えが問われる。

 

【アゴラ研究所:インターネット記事より】

 

▼今井会長を最も尊敬する理由

 

それでは次に、私が今井会長を最も尊敬する理由をお話させて頂きます。

 

最初に、今井会長の実績から簡単にご紹介させて頂きますと、フジ住宅(株)をゼロから一代で従業員数1,222名(連結含む)、売上高1,144億円、当期純利益38億円(2023年3月期)の東証プライム(旧:一部上場)企業に育てあげられ、

 

更に、ご自身が保有されておられる自社株式を、一般社団法人今井光郎文化道徳歴史教育研究会と一般社団法人今井光郎幼児教育会に寄付をされ、

 

その自社株式の毎年数億円という配当金を、それぞれの社団法人の目的に添い、日本の未来のために頑張っておられる個人、法人、団体等に寄付をされておられます。

 

その実績だけでも、とんでもなく凄いことで尊敬に値いすることなんですが、私が一番驚き尊敬申し上げるのは、今井会長ご自身に、今朝の幸之助さんのお話の中にあった「自我=我」を全く感じないからなのです。

 

大変失礼な言い方になりましたが、これまで銀行員として、また今の保険の仕事を通して、たくさんの方々にお会いして来ましたが、どんなに立派な方にお会いしても、大なり小なり「我」を感じることがありました。

 

「我」=自己重要感は、プライドとは違い五大本能の一つで、現代人の誰もが最も不足し、最も欲している本能です。

 

人は誰しも、人に褒められたい!認められたい!という思いがあり、無意識に、自分を良く見せよう!、人に良く思われよう!、いいカッコをしよう!、マウントを取ろう!と思うのは本能ですから当然のことで、

これは、いくらお金があろうが、いくら社会的地位が高かろうが、この本能だけは満足させることが出来ません。

 

最近辞任を表明した静岡県の川勝知事のように、他人を見下すような発言をしたり、差別発言をする人は、自分に自信が無く、無意識に他人を押し下げることによって、自分の自我(自己重要感)を満足させようとしている典型的な例です。

 

国家でも、近隣の国々が日本を貶める反日教育を行う一つの理由が、同様の理由です。

 

左翼の人々を見ていても、本心から左翼思想なのかなあ?と思うことがあります。

 

今は左翼思想に染まっていたとしても、本当は、ただ人と違う意見を言うことで自分の自我を満足させようとしてるだけなのでは?と思う人が時々います。

 

野党が国会で何でも反対するのを見ても、ただ存在感を示したい、つまり自分たちの自我を満足させたいだけなのではないか?と思ったりします。

 

ブランド品を身に着けたり、つい話の中に家柄や学歴、自慢話等の自分のことを話したり、もちろんそれらは本能ですし無意識にやっていることですから、それを非難している訳ではありません。

 

私自身もそんな風な言動や行動をしてしまうことがしばしばあります。

 

これらは本能だから仕方のないことなのです。

 

しかし、今井会長だけは、誰にも出来ないあれだけ素晴らしい実績を上げておられながら、それを全く感じないのです。ご自分からご自身のことをお話されることもほとんどありません。

 

その上、私のような年下の社外のどうでもいいような人間にも、全く偉そうにすることなどなく、どんな余談になっても、常に相手の話題に主眼に置いて、敬語で丁寧に腰を低くしてお話下さいます。

 

そして、お電話を下さった時などは必ず最後に、「田畑さん、今、何か困ってることはありませんか?」と聞いて下さいます。

 

もちろん「はい、大丈夫です。何もありません」とお答えさせて頂きますが、暖かいお気持ちが伝わってきて、それが嬉しくて、つい涙が出そうになったりします。

 

お聞きすると、社員の皆様方にも同様の接し方をされておられるとか、もう、本当に頭が下がります。「こんな上司の下で働きたい」と思うのは私だけではないと思います。

 

私の知る限り、これまでこのような印象を受けた方は、今井会長の他には天皇陛下と上皇陛下しか知りません。

 

ところで、以下は以前お坊さんの説法でお話を聞いた内容ですが、ご参考にどうぞ。

 

もう皆さんも聞かれたことあると思いますが、神社の鳥居は実は女性の陰門(女生器)を表現しており、そしてそれをくぐり参道(産道)を進むと本宮(子宮)です。

 

また、私たちが手を合わせる本宮に祀られている御神体は何か?と言いますと、それは、「鏡」です。

 

その「鏡」、ひらがなで書くと「かがみ」になりますが、今日のお話で一番重要なことは「我=が」があると仕事も人生もうまくいかないから、「『我=が』を取りなさい」ということでした。

 

そして実はそれぞれの神社の神様が、神社へお参りに来た人々に一番言いたいことは、「我(が)を取れ!」ということなんだそうです。

 

つまり、神社の御神体の鏡「かがみ」から「が=我」を取ると「かみ=神」。

 

そういうことだったんですね。

人が神になるには、「我=が」を取ることだったんです。笑

 

なぜ、仏教の説法で神社や神様のお話が出て来たか?につきましては、また、機会がありましたらお話させて頂きますね。