やさしさ通心…No.732 | yasashisatuushinのブログ

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心に栄養補給を!!
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2024年3月23日(土)

 

おはようございます。

 

今朝の大阪は雨模様でとても肌寒いお天気です。春分の日も過ぎたのに、本当に春は来るのかなあ?桜は咲くのかなあ?と、ちょっと心配してしまいます。笑

どうかくれぐれも、風邪など引かれませんように。

 

さて、今朝は大ヒットしたドラマ「おしん」のお話です。

 

私は大変忙しく働いていた頃ですので、もちろん「おしん」というドラマがNHKで放送されていたことは知っていましたが、見たこともなくストーリーも知りませんでした。

 

しかし、日本だけでなく、これほど世界中の人々の心を惹きつけていたとは知りませんでした。

そして、世界中のどんな国の人々も、心の奥底にある「心根」は同じなのだなと、少し安心しました。

 

『おしん』

 

昭和58(1983)年4月から約1年間に渡りNHKで放送された連続テレビ小説「おしん」は朝ドラの最高傑作とされ、1年間の平均視聴率は52.6%、最高視聴率は62.9%と、当時のテレビドラマの最高視聴率記録となりました。

 

「おしん」ブームで山形県を訪れる観光客が増えたり、当時の総理大臣中曽根康弘首相は、「おしん、康弘、隆の里」と自らを重ね合わせ、田中角栄氏も涙ながらに「俺は男おしんだ」と訓示に引用するなど、当時の社会現象にまで発展しました。

 

そして、この「おしん」が日本以外68の国や地域で放送されると、その国の文化や言葉にまで強い影響を与えていたことをご存知でしょうか?

 

「おしん」は、山形の貧しい農村に生まれた少女が、たった一俵の米俵と引き換えに、奉公人として様々な苦労を重ね、明治、大正、昭和と時代に翻弄されながらも、懸命に生き抜いていく姿を描くドラマです。

 

「おしん」の健気で純真な姿に、当時の日本人は心を打たれ、一大ブームを巻き起こしたのです。

 

当時主婦をしていた女性の大半がテレビの前に座ったので、水道の使用量が激減したとまで言われています。

 

また、熱狂的な視聴者がドラマと現実を混同し、おしん役の小林綾子氏や、母ふじを演じた泉ピン子氏に白米を送ったり、NHKに多額の金銭を送ってくるというエピソードもあったそうです。

 

その他にも、嫁姑問題の舞台となった佐賀県では、佐賀の女性はこんなのではない」「県のイメージダウンになる」と、NHK佐賀放送局に抗議の電話が殺到しました。

 

さらに、作中でおしんの父・作造が、おしんやふじに厳しく接するため、作造役の伊東四朗宅に石が投げ込まれたり、「お宅のご主人は娘に厳しすぎる」と視聴者が抗議に訪れる騒動が起こったそうです。

 

その際、伊藤四郎氏の家の人は、「あれはそういう役」「うちには娘はいない」と冷静に応対しましたが、最終的には庭先で口論にまで発展してしまったというエピソードもあります。

 

また、おしんと対立した姑役を演じた高森和子氏は、町中でにらみつけられたり、苦情を言われたこともあったそうです。

 

海外で初めて「おしん」を放送した国はシンガポールでした。そのシンガポールでの放送が始まると、視聴率は驚異の80%に達する大ヒットとなりました。

 

これがきっかけで、タイ、オーストラリア、アメリカ、中国などでも放送されたのです。

 

そしてその反響は、日本国内に引けを取らないほどの大人気を博したのです。

 

当時、アメリカ大統領だったロナルド・レーガン氏が、国会で「日本には『おしん』の精神がある」と、日本人を「おしん」にたとえ、称賛していました。

 

中国では1985年からテレビ放送され、視聴率は75.9%と高い視聴率となっています。

 

台湾でも1994年から放送され大ヒットとなり、2008年にも「おしん」が再放送されています。

 

ベトナムでは1990年代半ばに「おしん」が放送され、放送時間には街に人影がまばらになるほどの高視聴率を獲得しています。

 

さらに「おしん」という言葉はベトナムで貧しい女性を意味するようになり、メイドや家政婦やお手伝いさんを指す代名詞としてベトナム語になったのです。

 

「おしん」は中東やアフガニスタンでも放送されています。

 

エジプトでは1993年に「おしん」の放送が開始されました。

その時、おしんの放映中に突如として停電が発生し、怒りに震える視聴者たちが、電力会社やテレビ局に押し寄せ、暴動が勃発したという驚きのエピソードが語られています。

 

しかし、政府が「おしん」の再放送を約束する声明を出すことで、ようやく事態は収まったという、さらに驚くべきエピソードが残されているのです。

 

エジプト人たちは「おしん」という名前は、働き者で正直者、向上心があって賢いというイメージを持っているそうなのです。

 

また、放送から25年たった今でも、店名や社名に「おしん」を使う例が見られるほか、エジプトの子供にはイスラム教に関連する名前をつけることが一般的な中で、「おしん」と名付けられた女性たちも数多く存在しています。

 

彼女たちは当初、前例がないと言う理由で、名前の届け出を市役所に断られることもあり、それを不服と感じた人々が裁判に訴える現象にまで発展したそうなのです。

 

イランでは1986年に国営テレビで放映されました。その時の視聴率はなんと90%超を記録し、イラン、イラク、戦争で家族を失ったり、物資不足に苦しむ当時のイラン人たちの心を鷲掴みにしていたのです。

 

「おしん」が放送されている間は銃声が止むなど、戦場の兵士ですら銃を置いてテレビのリモコンに持ち替えたというエピソードがあるのです。

 

またイランでは、「おしん」の子供時代の部分のみがまとめられ、青少年向け映画として上映されたり、

おしん夫婦が経営した子供服製造所の名前から古着屋のことを「タナクラ店」、古着のことを「タナクラ服」と呼んでいます。

 

タイでは、「おしん」の放送時間と国会議員の閣議がかぶらないように、時間が変更されたエピソードまであります。

 

ベルギーでは、修道院の尼僧が「おしん」を見るために、お祈りの時間を変更したそうなのです。

 

カナダでは日本同様、ドラマと現実を混同してしまう現象が起き、放送局に「おしん」宛の現金やお米が多数届いたそうです。

 

その後も「おしん」は全世界で何度も繰り返し放送され、日本の過去の貧困時代を伝えるだけでなく、

先進国の人には先人の苦労や知恵を伝え、発展途上国の人には勇気と希望を与える力となっていたのだと思います。

 

「おしん」の物語は、どんなに人生が辛くても、勇気があれば、諦めなければ乗り越えられると教えてくれる物語です。

 

おしんは貧しさゆえに幼少期から奉公に出され、容赦ない厳しい大人の世界に放り出され、逆境でも自分の意見を持ち、大人同様の気配りを見せる場面が涙を誘います。

 

「勘弁してけろ

 オレの家は小作農で貧しいんだ

 働いても働いても大根めし食うしかねえんだ

 オレ、少しでも父ちゃんや母ちゃんたちを楽させてやりてえんだ

 オレが奉公を返されたら、米一俵返さねばならねえ

 どうかやめさせねえでけれ」

 

こうして諦めず、勇気を持って今自分ができることを行動し、未来を切り開いてきた姿が、日本だけでなく、世界中の人々が勇気をもらい励まされてきたのです。

 

『おしん』は、1983年(昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで放送されていたNHK連続テレビ小説。

 

原作は橋田壽賀子

『おしん』誕生のきっかけを橋田壽賀子は次のように説明している。

「ある明治生まれの女性が、人に言えない過去を病床で綴ったものでした。子守り奉公したり、“女郎屋”に売られたりね」という、1979年に原作者の橋田壽賀子へ寄せられた1通の手紙であった。

静岡県榛原郡川根本町出身の丸山静江の半生を、次女の千鶴子が代筆し、橋田壽賀子が「主婦と生活」誌で連載していた「母たちの遺産」に送ったことが発端である。

その後のドラマ化にあたり、橋田壽賀子やNHK番組関係者から取材を受け、脚本作りに協力した。

ドラマでは、丁稚に出る幼いおしんが、最上川をいかだで下るシーンが名場面として知られているが、丸山静江も榛原郡金谷に丁稚に出るため、大井川を筏で下って行ったという。

主人公のモデルについては、誤報や誤解も多く、「ダイエーの中内㓛」や「ヤオハンの和田カツ」とする噂話も存在した。

しかし、「母たちの遺産」での取材内容などをヒントにはしたが、特定のモデルは存在しないことを橋田自身が明言している。「ヒントはいただいたが、モデルはいない。いるとすれば、それは苦難の時代を生き抜いてきた全ての日本人女性です」

明治世代の人の苦労を伝えるのは、自分達の世代の義務だと感じた。「でもテーマが地味過ぎて、どのテレビ局にも断られました。NHKでも、かなり反対があったんですよ。『明治物は、当たらない』と言われてましたし…。川口幹夫放送総局長(当時)の賛成で、やっと決まったんです」と橋田は述べている。

おしんの誕生年と昭和天皇の誕生年は同じ明治34年となっている。これは橋田壽賀子の意図的な設定であり、「私は昭和天皇にご覧いただきたくて、このドラマを書いたような気がする。だからおしんの生まれを陛下と同じ明治34年にした」と語っている。

おしんというネーミングの由来は「信じる、信念、心、辛抱、芯、新、真」などの「しん」とされており、「日本人は豊かになったが、それと引き換えに様々な『しん』を忘れてしまったのではないかと思って名付けた」と橋田は述べている。

 

【すばらしきJAPANチャンネル、ウキペディア】より抜粋